ざぁ、っと強く吹いた風に煽られて、目の前を歩いていた女が体勢を崩した。手に持っている紙袋も同じように揺れて、コロコロと林檎がいくつか転がり落ちる。咄嗟にしゃがんで手を伸ばしたリヴァイと、振り返った女の目が合った。
驚いたように見開かれた大きな目にしゃがみこんだリヴァイの姿が映っている。何故か、大きく心臓がなった。

「っ、すみませんっ!」

慌てて同じようにしゃがんだ女の髪がふんわりと揺れ、リヴァイの頬を擽った。次いで漂う甘い香りにくらりと視界が回った気がして思わず瞑目する。
リヴァイよりも若干背が低い、小柄な女だった。手に持っている紙袋の中には林檎の他にもオレンジや檸檬、柿などの色々な果物が見え隠れしている。

「あの…?」

「っ、悪い…」

最後の一個になった林檎をリヴァイが握り締めたまま凝視しているのに気がついた彼女が、顔を上げて訝しげに首を傾げた。
間近で交わった視線にもう一度大きく心臓がなるが、この時ほど自分のポーカーフェイスに感謝したことはない。差し出した林檎をゆっくりと受け取った女と、リヴァイの指先が僅かに触れる。チリ、と熱い痛みすら走ったように思えてリヴァイは益々表情筋を動かさないことに専念した。

「本当にありがとうございました!あの…失礼ですが、調査兵団の方、ですよね…?」

「…そうだが」

リヴァイの兵団服を見遣り、おずおずと口を開いた彼女に素っ気なく答える。咄嗟に『俺のことを知らないのか』と、ただの自意識過剰なナルシスト野郎のような言葉が出掛かったが何とか堪えた。街を歩くたびに掛けられる声にうんざりしていたのは、リヴァイの方だというのに。

「近々壁外調査があると伺いました。ご無事のお帰りを祈っております」

「お前…」

そっと差し出された林檎と女の顔を交互に見る。「お礼と激励の気持ちを込めてもし良ければ」と穏やかに微笑んだ彼女に促され、林檎がリヴァイの手に戻ってきた。

「それでは失礼します」

綺麗に一礼した彼女の背中が遠ざかっていくが、時折周りの店の者と言葉を交わして去っていく彼女の後ろ姿が見えなくなるまで見送ってしまう。手の中に残された赤い実と同じくらいの夕陽が、リヴァイの横顔を照らしていた。



「リヴァイが一目惚れぇぇぇ!?」

「…黙れ。誰もそんなことは言ってねぇ」

独特な持ち方で紅茶を啜るリヴァイは、ハンジのあげた素っ頓狂な声に顔を顰めた。
壁外調査後、諸々の雑事も終わり、兵士たちも受けた心身の傷から少しずつ立ち直ってきた頃、リヴァイは大切に取ってあった林檎を片手に思考を巡らせていた。あの日から心の片隅に居座っている彼女の小さな笑みが、食べごろをとうに過ぎた赤い果実に重なっている。そんな風に林檎と睨めっこしていたリヴァイが面白おかしくて、興味津々に声を掛けたのがこの話の始まりだった。

「いやいや、だってあなたがだよ?見ず知らずの他人から食べものを受け取るだけでもびっくりなのに、それが地面に落ちた林檎だときたもんだ!しかもそれを後生大事に持ってるなんてこれはもう…」

「…チッ」

言われなくても自分が一番分かっている。今の自分の状態が平素のリヴァイからどれだけかけ離れたところにいるかなんて、この持て余す知らない感情と共に全て放り出したいくらいだ。

「ねぇ本当に林檎拾ってあげただけでその人に惚れちゃったの?あのリヴァイが?」

「…そいつが林檎を落とす前、ガキと話している姿を見た」

「え?」

そう、リヴァイが女の落とし物に手を伸ばす少し前、彼女は一人の子どもにも手を差し伸べていた。転んだのか、道端で泣きじゃくる子どもの手を取り、自分の衣服が汚れるのも構わずに地面に膝を突いて服の汚れを払ってやっているのを、リヴァイは遠目から見ていたのだ。

「ふぅん。ま、リヴァイのことだから転んだ子どもを助けようとしたけど、彼女に先を越されたってことか」

「うるせぇよ。大体てめぇが振ってきた話だろ。聞く気がねぇなら俺は戻るぞ」

「あ、うそうそ、冗談だよ!リヴァイのそんな気持ち悪…じゃなくて純情な話、是非聞かせて欲しいな!」

慌てたハンジをひと睨みして、あの日に記憶を馳せる。なんとか泣き止んだ子どもに向けた温かい笑顔から何故か目が離せなかった。悪戯っぽく片目を瞑った彼女の小さな掌に乗せられた瑞々しい果実を見て、子どもがパッと笑顔を取り戻す。何度もお礼を言いながらそれを手に駆けて行く子どもを見送った彼女の横顔は、穏やかで慈愛に満ちたものだった。

「…やっぱりやめだ。てめぇなんぞに話すのがもったいねぇ」

「えええ!?ここまで話しといて!?」

「もう会うこともねぇだろうよ。向こうは俺の顔も知らなかったしな」

「リヴァイの顔を知らないってことは兵団に全く興味が無いってことか」

「だろうな」

「でも壁外調査の日程は知っている…。なるほど、分かった気がするよ」

「…なにがだ」

「彼女がどこで何をしている人なのか、大体予測がついたよ!」

「…は?」

自信満々で眼鏡を光らせたハンジを思わず振り返った。その珍しく驚いた顔を視界に入れながらハンジがフンと鼻を鳴らす。

「多分大きく外れちゃいないと思うけどな。…知りたい?」

否、と答えれば良いのだ。ハンジになんの見返りを求められるかも分からないし、そもそも本来なら道が交わることのなかった女だ。
たまたま目を惹いて、たまたまほんの少し言葉を交わしただけ。それなのに。

「…外れてたら蹴り飛ばすからな」

ニヤリと笑ったハンジの顔をしっかり見ることは出来なかった。



カラン、と店の扉が軽やかに鳴った。振り向いて「いらっしゃいませ」と明るく声を上げた女の目がまんまるくくるりと動く。

「あっ、この前の…!」

「…お前」

「あの、覚えていらっしゃいますか?街中で林檎を拾って頂いた…」

「…あぁ」

兵団服のポケットに手を突っ込んだまま目を細めたリヴァイの様子に、自分のことを覚えていないのだろうと勘違いした彼女が慌てて説明するのを静かに制した。
実際はハンジの予想が外れていなかったばかりか、リヴァイのことを彼女が覚えていたことに内心喜びが湧き出てきたのだが、リヴァイが頷いたことで彼女もホッと胸を撫で下ろしたようだ。

「偶然ですね!先日はありがとうございました」

「大したことじゃねぇよ。それより今日は買い物に来た」

「兵士さんがいらっしゃるなんて珍しいので嬉しいです」

にこにこ笑う彼女から目を逸らせずリヴァイは曖昧に頷いた。ここがどんな店なのか事前に知ってはいたが、今まで入ったことのない部類の店で戸惑ってしまう。
甘い中にも爽やかで気持ちの良い香りが、リヴァイの鼻腔を擽った。

「ここは乾燥させた果物を売っていると聞いたが」

「はいっ。干し果物…ドライフルーツですね」

「…同僚にいくつか包みたい。見繕ってもらえるか」

そう、リヴァイから聞いた話を繋げてハンジが導き出した答えは『何か果物だけを扱った店をやっている女性』だった。
曰く、紙袋に入っていたのが果物だけで、しかもそれが何種類もあったこと、リヴァイのことを知らないのに壁外調査の日程を知っていたのは恐らく客との雑談話で聞いたこと、周りの店の者と言葉を交わしていたということはあの辺りで商いをしている可能性が高いこと。それだけ聞けば、この店に辿り着くのはそう難しいことではなかった。

「もちろんです。先日の壁外調査のこと、新聞で拝見しました。…本当にお疲れさまでした」

「…あぁ」

せっかく振ってくれた話題にもこの素っ気なさだ。よく喋る方だと自負していたが、これではその肩書きは返上しなければならないかもしれない。

「補給拠点を一つ確保されたとか。すみません、私そういうのに疎くてお客さんから話を聞くばかりなんですが…」

「…聞いてて楽しいもんじゃねぇだろ」

「いえ…皆さんが勇敢で、何にも代えがたい誇りを持っていらっしゃる方だってことだけは分かります」

きっぱりと言った女の声に思わず顔を上げる。ショーケースから商品をいくつか取り出していた彼女が、真っ直ぐにリヴァイを見つめていた。そのままふわりと笑う。

「お怪我はされませんでしたか?」

「あぁ、問題ない」

「良かった。あの、良ければ味見してみません?」

そう言って差し出されたものを咄嗟に受け取ってしまう。触れた指先の温かさにぞくりと背中に震えが走ったが、それを誤魔化すように指先で掴んだものをまじまじと見つめた。干し果物は初めて見るが、香りから林檎だと分かった。そのまま口の中に放り込む。

「…うめぇな」

「お口にあって良かったです。といっても林檎を乾燥させたものなので、味はただの林檎なんですけどね」

「ほう…それだけでこんなに甘味が出るものなのか」

「果物本来の甘さが凝縮されるんです。こっちは檸檬ですよ。良ければこちらもどうぞ」

いつの間にか自然に会話が交わせるようになっていたことにリヴァイは気がついた。恐らくリヴァイの逡巡に気を遣った彼女の為せる技なのだろうが、肝心な彼女の名前を未だ聞けていない。
タイミングを見計らっていると、その時は突然やってきた。

「そういえば調査兵団にはとてもお強い兵士さんがいらっしゃるんですよね?」

「…そうだったか」

「確か人類最強の呼び名がついているとか…その方がいれば人類は負けないって伺いました」

いつも言われている呼び名と褒め言葉が、彼女の口から出ているだけでむず痒くなってくる。緩みそうになる口元を何とか引き締め、何の気もなさそうに口を開く。

「…そうか。そいつの名前は聞いているか」

「えっと…確か、りば……あ、リヴァイ兵士長さまです!」

「…正解だ」

思い出せたのが嬉しいのか、パッと顔を輝かせた彼女に思わず喉の奥で笑ってしまう。まさか目の前にいるのがその人類最強と呼ばれる兵士長だとは思ってもいないようだ。

「ちなみに俺がそのリヴァイだ」

「…え?」

あっさりと告げた事実に、彼女が笑顔のまま固まったのが分かった。傍目にはリヴァイの顔色も表情も全く変わっていないように見えるだろうが、彼は今楽しくて仕方がない。

「え、あの…あなたが…」

「あぁ、リヴァイだ。よろしく頼む」

ポカン、と口を半開きにしてしまった彼女の手から檸檬の干し果物が落ちそうになる。それを悠々と掬い上げて、リヴァイは片眉をあげた。

「…想像と違って悪かったな」

「い、いえっ…そんなこと…!まさかあなたが兵士長さまだなんて…私、なんてご無礼を…」

「はっ…ここではただの客の一人だ。出来ればその兵士長さまってのも無くしてもらえると助かる」

「…分かりました、リヴァイさん」

あたふたとしていた彼女だがリヴァイの言葉にはゆっくりと頷き、はにかんだ笑みを見せた。下手な距離を取って欲しく無かったし、ここではただのリヴァイでいたいと、そう思う気持ちに嘘はない。

「ついでにもし良ければ、お前の名前を教えてもらえないか」

「やだ、私ったら…。失礼しました。ナマエです。ナマエ・ミョウジと申します」

「…ナマエ」

「はい、リヴァイさん。よろしくお願いします」

にっこりと笑ったナマエの笑顔を真っ正面から見られなくて、リヴァイは手の中の檸檬をそっと口に含んだ。酸っぱいはずのその味は、何故かじんわりと甘味を伝えていた。



「あ、兵長!私、この柿のやつもらっていいですか!?」

「ニファ、私にも取ってー!苺がいいな」

「分隊長、この書類にサインしてからにしてください!」

ナマエの店に初めて顔を出してから数ヶ月。
リヴァイは二週間と間を置かずに店を訪れるようにしていた。買ったドライフルーツは自然と周りに配るようになり、特にハンジとニファのお気に入りになったようで個人的に買いに行きたい、と騒ぐのを何とか抑えている状態だ。ニファはともかく、ハンジは何を言うか分かったものじゃない。

「で、リヴァイ、進展あったの?」

「あ?」

ニファとモブリットがいくつかのドライフルーツを手に退室した後、くるりと筆を回したハンジがリヴァイの顔を覗き込む。その眉間に寄せられた皺が全てを物語っているようで、ハンジは内心苦笑した。

「何やってんだよ。ちゃっちゃとご飯にでも行って、ちゃっちゃと告白しちゃいなよ」

「…黙れ。簡単に言ってんじゃねぇよ」

ぶすっと不機嫌そうな表情を隠さないリヴァイだが、その内心は穏やかではない。
店に通いつめることでナマエと気さくに言葉を交わせるようになったし、ナマエの方もリヴァイが来ると接客用ではない笑顔を見せてくれるようになった…はずだ。

「全く…人類最強が聞いて呆れるね」

「うるせぇってんだよ。向こうも店があって忙しい身だ。予定合わせる方が難しいだろ」

「誘ってもないのによく言うよ」

わざとらしく肩を竦めて言ったハンジを思いきり睨みつける。大体女に一目惚れしたのもこうして足繁く誰かの元に通うのも初めてのことなのだ。そう簡単にうまくいくはずがないだろう。

「あのリヴァイがねぇ…」

「なんだよ。何か文句あるか」

「ないない!今まで休みどころか定時に上がるのすらほとんどなかったあなたが、ちゃーんとプライベートを充実させているようで何よりだよ」

「…クソメガネ。人をなんだと思ってやがる」

「ま、でも冗談抜きでこのままの状態が続くのがいいはずないだろ?彼女とは色々話も出来てるみたいだけど、まさか既婚者とかではなかったよね」

「一人暮らしだそうだ。恋人もいねぇ…らしい」

「ふぅん。それならなんとかなる確率はあるね。ほら、さっさと告白して恋人にしてもらいなよ。もうすぐ壁外調査なんだから」

「…だから簡単に言うなっつってんだよ」

それが出来たら苦労しない。だが出会って数ヶ月、これ以上ナマエとの仲を進めるにはリヴァイが心を決めければならない。

「うかうかしてると横から掻っ攫われるよ」

そんなハンジの忠告を耳に残しながら、リヴァイは仕事を終えて今日も足早に店へと向かっていた。僅かな焦燥と微かな期待、そして余りある思慕を胸に秘めて。



いつも通り、カラン、と鈴を鳴らした扉を振り返れば、そこには常連になったリヴァイの姿があってナマエは頬を緩める。

「こんにちは、リヴァイさん」

「あぁ。毎度悪ィがいくつか包んでくれ」

「はいっ。いつもありがとうございます」

兵士長であるリヴァイと出会って暫く経つが、聞いていた噂よりも気安く優しい彼が来店するのを心待ちにするようになって、どれくらい過ぎただろうか。
人類最強だとか人外の強さを持つ兵士だと聞いていたからどんなに怖い人かと思っていたが、実際の彼は不器用な優しさと分かりづらい思いやりを持った素敵な人だった。

「今日はどんなものにしましょうか?」

「そうだな…。部下と新兵にも渡してぇから数を多めに頼む。あぁ、この前やった時は蜜柑を気に入ってたな」

「じゃあ柑橘類を多めにしましょうね」

たわいもない会話が楽しい。
リヴァイがぽつりぽつりと話してくれる会話から、今まで知らなかった調査兵団の姿が想像出来るようになってきた。過酷な訓練や規律の中、人類のために巨人と戦う彼らのほんの束の間の息抜きになれるように、ナマエはドライフルーツを丁寧に包んでいく。

「これはリヴァイさんに。新しい果物が入ったので干してみたんです」

「ほう、これは…」

「桃です。しっとりとして美味しいですよ」

手渡す指先が震えそうになる。密かに抱いた想いをどうにか伝えたくて、桃の果物言葉にそれを託した。
渡した袋をごそごそと探り、一欠片を探し出したリヴァイが早速それを食んだ。

「…ん、相変わらずうめぇな」

「リヴァイさん、紅茶がお好きだと仰っていたでしょう?桃も乾燥させると甘さが控えめになるので、疲れた時に紅茶と合わせると良い糖分摂取になりますよ」

「…ありがとうな」

ふ、と僅かに口角を上げた優しい表情にどくん、と心臓が鳴る。ギュッと両手を握りしめたナマエが顔を上げると同時に、リヴァイが口を開いた。

「…近々壁外調査がある」

「は、い…お客さんから聞きました」

「前回から間が空いちまった分、今回は大規模なものになる予定だ。…だから暫くここには来られねぇ」

「はい…。無事のお戻りを…心から祈っています」

いつかと同じ言葉を、あの時とは違う思いで告げた。強張る両手を解いてナマエはしっかりとリヴァイを見上げて微笑んだ。

「リヴァイさん、あの…」

「ナマエ」

凛とした声が店内に響く。何故か、今は他のお客さんには来て欲しくないと強く願って、ナマエはリヴァイの強い瞳を見返した。

「…戻ってきたら、話してぇことがある」

「え…?は、はい…」

「壁外調査が終わったら必ずここに顔を出す。だから…その時は俺に時間をくれねぇか」

飯でもどうだ、と告げたリヴァイにぱちくりと目を瞬かせるが、意味を理解した瞬間、何度も大きく頷いた。

「あのっ、是非…!楽しみにしています」

「…そうか」

ほっとしたように息を吐いたリヴァイの表情が柔らかくて、ナマエも同じように頬を緩めた。思いがけない誘いに色々考えそうになるが、それは彼が無事に帰ってきてからでも良いだろう。

「あの、お見送りに行ってもいいでしょうか」

「…は?」

「壁外調査に出発する時、私たちも見送ることが出来ると聞きました。あの、もしリヴァイさんが嫌じゃなかったら私…」

「…いいのか」

途切れ途切れのナマエの訴えに静かに問いかけるリヴァイ。ナマエとて噂は聞いているだろう。調査兵団に対する悪口や罵詈雑言だって耳に入っているはずだ。見送りに来ると言うことは、そんな嫌な言葉を直接耳にすることになる。
そんな思いを汲み取ったのか、ナマエが決意を込めた瞳で大きく頷く。

「私が行きたいんです。皆さんのご無事と…人類の勝利を願って」

「…あぁ。待ってる」

上気したナマエの頬に伸ばしそうになった手を辛うじて抑える。今はまだ、彼女に触れられない。

「リヴァイさん、もし時間があれば…桃の果物言葉を調べてみてもらえませんか」

「果物言葉?」

「はい。果物も花言葉のように、それぞれ意味を持っているんです。なので、もし良かったら」

穏やかに微笑むナマエの顔を無言で見返すリヴァイ。恐らく花言葉にも疎いリヴァイが、忙しいこの時期にわざわざ果物言葉を調べるとは思えない。でもナマエのことを少しでも知りたいと思っていてくれたら、その時はもしかしたら。

「…分かった」

桃のドライフルーツが包まれた紙を軽く叩いてリヴァイが浅く顎を引く。またな、と静かに出て行った背中を最後まで見送って、ナマエは両手を祈りの形に変えた。

「…どうかご無事で」

強い信頼と願いを込めた言葉は、甘い果物の香りが充満する空気に溶けて消えた。



わぁわぁと騒ぐ声が、大通りに向かうにつれてどんどん大きくなる。初めて壁外調査への出発に立ち会うが、まさかこんなに人が集まるものだとは思わなかった。なんとか後方にスペースを見つけて台の上に立てば、そこには既に出発の準備が出来た兵士たちが真っ直ぐに前を見つめていた。

「リヴァイさん…」

真ん中あたりに一際小柄な体躯を見つけて思わず名を溢す。鋭く前だけを見つめる瞳が遠く感じて、ナマエはギュッと唇を噛んだ。
と、その呼びかけが聞こえたように、リヴァイがふと視線を彷徨わせる。その時、出撃の合図がなった。

「エルヴィン団長!頼みますよ!」

「リヴァイ兵長!巨人共を蹴散らしてください!」

「税金を返せ!無駄死にしに行きやがって!」

激励に混じって罵倒も聞こえるが、彼らが前を見据える強さは変わらない。ただただ見つめることしか出来ないナマエとリヴァイの瞳が、交わった。僅かに目を見開いたリヴァイが不意に唇をゆっくりと動かす。

「行って、くる…」

読み取ったそれに大きく頷いて、ナマエも笑顔で声を上げた。

「リヴァイさん、行ってらっしゃい!」

聞こえたかどうかは定かではない。ただそれでも、ナマエの気持ちは伝わったのだと信じたかった。

「…お戻りをずっとお待ちしています」

人が疎らになった広場で、ナマエは最後まで砂埃を見送り続けた。



「ねぇねぇリヴァイ!さっき彼女来てたよね!?」

「…オイ、てめぇ。配置に戻りやがれ」

「うまくいったの!?あ、この前調べてた果物のことって、彼女に関係あるんだろ!」

興奮気味にリヴァイに近寄ってきたハンジを鬱陶しそうに交わし、今日もだだっ広い青空を見上げる。ナマエの声がまだ耳に残っていた。
その時、ふと視界の隅に赤とピンクの色を認めて思わずそちらを振り返った。

「…林檎と桃、か」

廃墟になった街にも果物は平等に実るらしい。いくつか転がり落ちたそれらを一瞥した後、リヴァイは再び前を向いた。
ナマエに果物言葉の存在を聞いたあの日、いてもたってもいられなくなってすぐにハンジの部屋をノックしたのは記憶に新しい。

「果物言葉?聞いたことはあるけど詳しくは知らないなぁ。あ、資料室にそんな文献がいくつかあったよ」

彼女絡み?とニヤニヤするハンジに短く礼を言って駆け込んだ資料室で見つけた文献に、隅々まで目を走らせた。そして。

「はっ…やってくれるじゃねぇか」

桃の果物言葉を目にしたリヴァイが棚に凭れかかって天を仰ぐ。湧き上がるこの気持ちは言葉にならなかった。
愛しそうに文字をなぞるリヴァイの横顔を、オレンジの夕陽が照らしていく。ついでに林檎のページも捲ってみた。

「林檎の果物言葉は…誘惑、か。…ぴったりじゃねぇか」

ナマエにそんなつもりはなかったのは重々承知しているが、あの時あの瞬間、リヴァイは間違いなくナマエの誘惑に囚われたのだ。

「…ちゃんと伝えるから待ってろ」

必ず戻って、彼女に伝えよう。
ひと目見た時から、自分こそナマエの虜だったのだと。拙い言葉になるだろうが、自分の持てうる全てを尽くして想いを告げるのだと、リヴァイは改めて心に誓うのだった。

-fin

桃の果物言葉
『私はあなたの虜、天下無敵』


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