あおぞらラプソディ(本文) | ナノ
晴夜に咲く花



リヴァイが連れてきたのは、小綺麗な酒場だった。行きつけらしく、言葉少ないながらも店主と言葉を交わすリヴァイは兵団にいる時よりもリラックスしているようだ。
運ばれてきた杯を交わして一気に呷れば、緊張感は大分解れてきたように感じた。


「はっ…いい飲みっぷりだな」

「あ、すみません…」


喉の奥で笑ったリヴァイに、一気に恥ずかしさを覚えた。想い人と食事を共にするにはあまりに遠慮がなかっただろうか。


「構わねぇよ。変に気負われるよりそっちの方が良い。今日はお前の慰労会みてぇなものだ、好きなものを頼め」

「ありがとうございますっ…」


頬杖をついたリヴァイに笑って頷く。
入院中はもちろん飲めなかったので、酒自体も久しぶりだ。
杯を重ねても少しも顔色の変わらないリヴァイを見るに、やはり酒には強いのだろう。


「兵長はお酒強いんですね」

「まぁな…そういうお前は大丈夫なのか」

「人並みですかね。酔っても醜態を晒すことはないようなので、そこは大丈夫かと…」

「まぁ今日は俺がいるから好きなだけ飲め。もし酔っ払って動けなくなっちまっても、担いでいってやるよ」

「担がれるのは嫌ですねぇ…」


米俵のように担がれる自分を想像してクスッと笑ってしまう。そもそもリヴァイにそんなことをされた日には、二度と彼の顔を見れなくなってしまうだろう。


「そういえばなまえ、お前はハンジとやたら仲がいいな」

「仲が良いと言ってはおこがましいですが…たまに一緒にサボったりしてます」

「ほう…なまえでもサボったりすんのか」

「ふふっ、秘密ですよ?」


シーっと人差し指を立てて悪戯っぽく笑うなまえにリヴァイの目が奪われる。
それを誤魔化すようにして杯を空にすれば、ふと思いついて口を開いた。


「お前、天使とか呼ばれてたな」

「ちょ、兵長、知ってたんですか!?ほんとやめてくださいよっ…!」


途端に慌てて頬に朱を走らせるなまえ。
好きで呼ばれている名ではないが、こうして改めて言われると恥ずかしさしかない。


「なんだ、気に食わねぇのか」

「気に食わないとかじゃなくて…そんな呼び名、ただ恥ずかしいだけじゃないですか!」

「…気持ちは分からんでもないが。何かに秀でたヤツに呼び名を付けんのは、習性みてぇなモンだろ」

「…呼び始めたの、ハンジさんなんですけど」

「あのクソメガネ…」


まさかの名付け親にリヴァイが唸る。
呼び名自体は薄ら寒いものだが、それがなまえのものとなるとどこか神々しく感じてしまった自分を激しく責めた。


「本当…そんな大それたものじゃないんですよ」

「だがお前の立体機動が悪くねぇのは確かだ。何度目かの壁外調査で、腰を抜かしてた奴と同一人物だとは思えねぇな」

「え、兵長…?」

「なんだ?」


リヴァイの言葉に大きく目を見開いて、グラスを強く握りしめる。まさか、あの時のことをリヴァイも覚えているというのか。


「その…最初に私のことを助けてくださったこと…憶えてる、んですか?」

「あ?当たり前だろ。なんだ、そんなに耄碌してるように見えるか」

「いえ、まさかっ…!でも今までそんなこと一言も…」

「お前な…たかだか壁外調査で助けたくらいで、んな恩着せがましく言うかよ」


呆れたように言うリヴァイにじわじわと喜びやら恥ずかしさやらが溢れてきて、なまえは思わず両手で頬を覆った。
まさか憶えているとは思わなかったのだ。なまえにとって何よりも大切でかけがえのない思い出であり、全ての始まりだと言っても過言ではない出来事を。
それをリヴァイと共有出来ているようで嬉しくなる。今までは改めて掘り返すのも忍びなく、なまえから聞いたこともなかった。


「まさか兵長が憶えていらっしゃるなんて思わなくて…お礼も伝えずにすみません。改めてあの時はありがとうございました」

「改めることじゃねぇよ。お前がこうして生き延びて、兵団の戦力になってるのが何よりだ」


素っ気なく言うその裏側の優しさも、今はもう感じることが出来る。あの頃に比べたらそれくらい近くにはいるのだと自惚れていいだろうか。


「泣きベソかいて腰抜かしてた奴が、まさか『天使』とはな」

「もうっ…それはやめてくださいって」

「ふ…そう怒るな」


わざと怒ったように頬を膨らませるなまえを見て、リヴァイも表情を和らげる。
なまえの以前のポーカーフェイスぶりを考えれば今のようにくるくる変わる表情がくすぐったく感じて、リヴァイはこの時間を存分に楽しんだ。





暫く経つとなまえも大分酔いが回ったのか、頬を赤くしている。だが本人の申告通り酔っ払うとまではいかないようで、リヴァイは安堵する反面どこか残念な気持ちも感じていた。
だが今日はなまえに気持ちをきちんと伝えるという重大な使命がある。リヴァイ側の勝手な事情だが、酔いに任せたくはないし、なまえにも忘れて欲しくない。


(こんな店ん中で言うようなものじゃねぇよな…。帰り道か…?つーかなんでコイツはここまでして気付かねぇんだよ)


にこにこと目の前で話を続けるなまえに相槌を打ちつつ、その暢気さに八つ当たりに近い気持ちすら沸いてくる。
大体リヴァイが女の部下と二人で飲みに行くなどなまえでなければあり得ないし、酔っ払ったら担いでいくなんてことも、彼女でなければ置いていくところだ。
全てはなまえだからなのだと、それが一つも伝わってなさそうでリヴァイは思わず哀愁漂う視線を酒に向けてしまう。


「兵長?どうしたんです、まるでそのお酒が巨人に化けるような目をして」

「なまえ…発想が段々あのクソメガネに似てきたな」

「え、それはちょっと…」


ほんの少し嫌そうな顔をしたなまえを余所に、リヴァイはチラリと時計を見上げた。
明日が休みとはいえ、あまり遅くまで引き留めるのは悪いだろう。だがリヴァイも後に引くつもりはない。だからここで、少しだけ踏み出すことにした。


「なまえ、お前、結婚すんのか」

「ぶっ…はいっ!?え、なんの話です!?」

「いや…ハンジがお前が野郎からの誘いを断らなくなったと、気にしてやがったからな」

「あー…あれですか。まさかハンジさんや兵長の耳にまで入るとは」


曖昧に濁したリヴァイの問いに酒を吹き出しかけたなまえだが、流布する噂に思い至ったのだろう。苦笑いをして何杯目かの杯を空けながら、溜息を吐く。


「…くだらない噂ですよ。結婚するつもりもそんな相手もいません」

「だがお前に心境の変化があったのは確かなんだろ。どうした」

「んー…そうですね…」


モブリットから聞いて凡その検討はついているが、なまえの口からちゃんと考えを聞きたかった。グラスの淵をそっとなぞるなまえの指先がゆっくりとそこから離れる。


「…約束って大事だなと思ったんです」

「ほう…」

「私たちが生き残るために必要なのは、体力気力戦闘力…あと立体機動の能力とその場の運と。
でもそれだけじゃなくて、何がなんでも生きて帰ろうとする気持ちが、時にそれらを上回ることもあるんじゃないかなって」

「…死んでいった奴らにはそれが足りなかったと?」

「まさか。気持ちだけで生き残れるようなら、私たち調査兵団はいりません」


試すようなリヴァイの言葉にきっぱりと答えるなまえ。
もちろんリヴァイにも分かっている。なまえが言っているのは、生き残るために必要な最後の最後の、ほんの一欠片の部分だ。


「壁外調査が終わった後、何か自分にとっての特別なことがあると分かっていれば…最期の瞬間まで諦めることなく刃を振るかもしれない。その足掻きが奇跡を起こすかもしれない。そう思ったらなかなか…」

「…誘いも断れなくなったってか」

「私なんかとの約束が、そこまで力になると思いませんけど…それでも断るのを躊躇うようにはなっちゃいました」


自嘲気味にそう言うなまえからはもどかしさが伝わってくる。
生真面目な彼女のことだ。果たすつもりのない約束を曖昧に交わすことも、それでもはっきり断ることも出来ない自身に苛立ちを感じているのだろう。


「兵長から見たらくだらないことだと思うんですけど…」

「そんなことねぇよ」

「え…?」

「俺にも今まで死んでいった奴らとの約束がある。それを果たすまでは死ねねぇと誓っている。だが…お前のはそうだな。確かに気にいらねぇな」

「す、すみません…私、」

「勘違いすんじゃねぇ」


ポツリと呟かれたリヴァイの言葉に顔を蒼くするなまえを真っ直ぐに見た。
ガヤガヤと喧騒が煩い店内でも、リヴァイの静かな声はなまえの耳にきちんと届く。


「お前が他の野郎と約束をしてるっつうのが気に食わねぇって言ってんだ」

「…は、え…?」


やはり肝心な一言を告げることが出来ない。
だがこれまでとは違い、さすがのなまえにも真意は届いたようで、真っ赤になった彼女の顔を満足げに見ながらリヴァイは口角を上げた。


「お前な…俺がただの部下ひとりの為に、ここまで親切にするやつだと思ったのか」

「あ、の…兵長、それは、その…」

「大体自主練に付き合うにしろ、菓子をやるにしろ、お前以外にやってるところを見たことがあるか?ねぇだろ。気付け、阿保が」

「ちょ、ちょ、兵長待って…!」


つらつらと恨み言のような口説き文句のような台詞を続けるリヴァイを、なまえは沸騰しそうな頭で慌てて止めた。そしていきなりガタン、と立ち上がる。


「出ましょう!」

「は?オイ、なまえ…」

「とりあえず出ましょう兵長!話はそれからです!」

「話っておま、ちょっと待て……ってオイ、金出すな!」


真っ赤な顔のままズンズンと進むなまえを一瞬ぽかんと見送ってしまうが、すぐにその後を追う。何故か会計をしようとしているなまえを無理やり扉の外に押しやり、深々と溜息を吐いた。
色々と勢いのようなものだったが、なまえの新たな一面が見られたので良しとしよう。


(…ここまま逃すかよ)


肝心な言葉を中々伝えられない己を叱咤しつつ、リヴァイは途方に暮れているだろうなまえを思い浮かべて微かに笑みを浮かべた。





押しやられた扉の外、なまえは茫然と立ち尽くしたまま夜風に当たっていた。酒が回った身体にひんやりとした空気が気持ちいい。


(ちょっと待ってちょっと待って…兵長が言ってたのって、私が他の男と約束したりするのが嫌ってこと、だよね?それってどういうこと?え、兵長が私のこと……)


ぐるぐると回る頭の中を整理しようとしても、全く纏まらない。火照る頬を抓ってみても、これは現実だと思い知らせるだけだ。


「いやまさか…でも…」

「何一人でぶつぶつ言ってやがる」


不意に後ろから聞こえた声に思わず飛び上がりそうになった。慌てて振り向けば、呆れたようなリヴァイの顔が見える。


「兵長、ご馳走さまです!」

「ああ…お前、金払おうとしてんじゃねぇよ。俺の立場がねぇだろうが」

「う、すみません…」


居た堪れなさに小さくなるなまえの頭をポンっと軽く叩くと、「行くぞ」と声を掛けて歩き出した。慌ててついてきたなまえが隣を歩くのに満足げに息を吐けば、恐る恐るというように彼女が口を開いた。


「あの、勢いで出てきちゃったんですけど…」

「だろうな。酔い覚ましに遠回りして歩くか」

「っ、はいっ!」


まだサヨナラしなくても良いのだと、瞬時に明るくなる気持ちのままなまえは笑顔で頷いた。
先ほどまでの微妙な気まずさのようなものは霧散し、ぽつりぽつりと会話を交わしながらゆっくりと歩いていく。


「あ、兵長、あそこ見てください」

「あ?」


ふとなまえが指差した方を見れば、広場のようなところで露店が出ているようだ。
何種類もの花で彩られたその広場は、夜の暗さの中でも温かさを放っていた。遅い時間だからか、人はまばらだ。


「夜限定なんて粋ですね」

「せっかくだから行くか。花見ながら酒飲むってのもたまにはいいだろ」

「ふふっ、兵長、まだ飲むんですか?」


おかしそうに笑うなまえを横目に、カップに入れられた酒を二つ手にする。
律儀にお礼を言うなまえの瞳は花に向けられていて、楽しそうに細められていた。


「…なんだこの花は。いやにでけぇな」

「これは向日葵ですね。太陽に向かって咲くらしいですよ」


なまえとリヴァイの身長をゆうに越してしまいそうなその花は、暗闇の中でも大きな存在感を放っていた。何本も咲いているその前に立つと、二人と姿は他の人からはすっぽり隠れてしまう。
早々に飲み終わった二人分のカップを捨てながら、なまえは向日葵を見上げて目を細めた。


「なんでも花が咲くまでは、太陽を追いかけて向きを変えるんですって。ロマンチックですね」

「…なまえに似てるな」

「え?」

「やたら上ばっか見てるところがな」

「兵長…」

「そんなだから俺は…お前から目を離せなくなる」


ざあっと風が強く吹いて、向日葵の花を大きく揺らした。まんまるく目を見開いているなまえのその瞳と向日葵の花もまた少し似ている気がして、リヴァイはふ、と笑った。


「なまえが空を舞うたびに、どこかに行っちまうじゃねぇかと柄にもないことを考える。お前が怪我なんかした日には、お前の病室に仕事を持ち込むくらいだ」

「兵長、…」

「…結婚相手を探してるらしいと聞けばクソメガネに詰め寄るくらいのことはするし、他の野郎が好意を寄せてると聞いたらそいつを削ぎたくなる。それくらいにはなまえ…お前の前じゃ、俺もただの男だってことだ」


なまえがゆっくりと震える手を口元に当てた。信じられないものを見るようにじっとリヴァイを見つめるその視線にすら心地よさを感じながら、そっと手を伸ばす。


「…無理強いはしねぇ。もしお前が俺と同じ気持ちなら…この手を取って欲しい」


最後までなまえに選択を迫る臆病な自身を嘲笑う自分もいる。だがなまえの意思でこの手を取って欲しかった。
一方通行ではないと、それを臆病なリヴァイ自身に示して欲しいといえばなまえは笑うだろうか。


「リヴァイ、兵長…」

「なんだ」

「…前に、見たい景色があると言ったのを憶えていますか」

「…ああ」


真っ直ぐに伸ばされたリヴァイの手。
リヴァイに命を救われ、彼と同じ景色を見てみたいと、それだけを願いここまでやってきた。
何度挫けそうになりながらもその度に掬い上げてくれたのは、この手だ。


「初めて兵長に救われてから今日までずっと…兵長が見てる景色を見たいと、そう思いながら生きてきました」

「なまえ」

「私の世界は最初からあなたでいっぱいなんですよ、リヴァイ兵長」


泣きそうになりながらも向日葵のような大輪の笑顔を咲かせたなまえが、そっと手を伸ばしてリヴァイのそれと重ねる。
一回りも二回りも小さいなまえの手の温かさに、リヴァイは湧き上がる衝動を抑えきれずにその身体を掻き抱いた。


「気付くのが遅ぇよ、なまえ」

「兵長こそ…分かりにくすぎます」


夜空に向かっても太陽を探す向日葵が、二人の姿を優しく覆っていた。




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