「は……金曜日…今週ですか?……えー…はい、空いてます、が……」
土方は、肩と耳で携帯を挟んで手帳を開けると、隣に座る沖田に一瞥をくれた。
後ろに流れていく景色を仏頂面で眺めながら、膝の上に頬杖をついている。
全身から醸し出すその雰囲気は、最悪にご機嫌斜めの時のそれだった。
「…どうしても、ですか……」
その言葉に、沖田はさっと振り返ると、土方のことをぎろりと睨んだ。
しかし、土方が黙って見つめ返していると、益々頬を膨らませて、また顔を窓の外へと向けてしまう。
「わかりました。では、金曜日に……はい、よろしくお願いします」
土方は溜め息を吐きながら電話を切ると、ぱんぱんに膨れている沖田の頬をぐい、と引っ張った。
「むっ!…いきなり何するんですか!」
「そんなに拗ねんなよ」
睨みつけてくる沖田に、土方は苦笑する。
「拗ねてません」
「拗ねてるだろうが」
「僕は怒ってるんです!」
「大して変わらねえな」
「全っ然違いますよ!!土方さんは何も分かってない!」
「あー、はいはい」
尚もあーだこーだ並べ立てて怒鳴っている沖田を一蹴すると、土方は自らの手帳に、『7時、大江戸テレビ』と書き込んだ。
「今度の仕事は大江戸テレビだからな」
「……大江戸?何ですか、またハレトーーークですか?」
「またって言うなよ、またって。仕事が来るの、有り難くねぇのか?」
「だって僕の場合、人気が一人歩きしてるだけじゃないですか。僕はこんなの望んでない」
悪びれもせず、しれっと言ってのけた沖田の髪を、土方はわしゃわしゃと掻き回した。
「ったくお前って奴は……」
「あー!止めてくださいよっ!セットするの大変なんだからもう!」
「どうせメイクさんがやってくれんだろ」
沖田はくしゃくしゃに乱れた髪の毛を見上げて、はぁ、と溜め息を吐いた。
沖田は、いわゆる"今をときめく、人気沸騰中のアイドル"というやつである。
人気沸騰、とは言っても、その沸騰の仕方は尋常ではない。
テレビに出れば高視聴率を叩き出すわ、試しに歌を出してみれば歌手顔負けの大ヒットを飛ばすわで、すっかり世の中の女子という女子を虜にしてしまっている。
なにも女子ばかりではない。
男子の中にも、沖田に憧れている奴がいると言うのだから、ほとほと呆れてしまう。
最も、本人には全くその気はない。
約一年前までは、高校に通う、どこにでもいるようなごく普通の男子高生だったのに、クラスの悪戯好きな友達のちょっとした"出来心"で写真を雑誌のコンテストに応募されてしまい、それで堂々の第一位に選ばれた所為で、全てが変わってしまったのだ。
本人が嫌がるのに対し、世の中の人気というものはどんどん加熱していって、気付いたら、最早普通の男子高生には戻れなくなってしまっていた、というわけだ。
だから、沖田には全くやる気がない。
しかし、一年経過した今でも、相変わらずどこのテレビ局からも引っ張りだこで、雑誌やらCMやら、様々なジャンルで仕事が絶えないのは、やはり沖田の絶大な人気によるのだろう。
確かに週刊誌のランキングなんかを見ると、『今一番人気な芸能人』やら『恋人にしたい芸能人』やら、数々のテーマで第一位を獲得している。
マネージャーの土方にとしては、この小生意気で無気力な餓鬼の、一体どこがいいのかと日々疑問を感じるところなのだが、それすらも"良いキャラをしている"と評価され、こうもひっきりなしに仕事が入ってくるのでは文句も言えない。
現に、スケジュール帳はほぼ真っ黒に埋め尽くされている。
それに、担当している子が売れているのだから、自然と自分の株も上がるし、あまり悪い気もしなかった。
ただ、こうも仏頂面で拗ねられると、仕事中を除いてほぼ四六時中一緒にいる土方としては、多少苦痛に感じたりもするわけだ。
特に、新しい仕事が入った時の拗ね方は尋常じゃない。
沖田としては、世の中の人気なんてころころ変わるもんだし、人は飽きやすいからと思って何とか我慢していたようなので、こうも人気が続くのは、はっきり言って予想外だったのだろう。
現に、最近また行われたコンテストの優勝者よりも、沖田の人気が上回ってしまっていることに、相当ショックを受けていた。
「もぉやだ…」
不意に隣から聞こえてきた呟きに驚いて土方が首を捻ると、沖田はその長い睫を伏せて、じっと下を見つめていた。
「どうした」
沖田が嫌がるのは分かる。
本人にその気はないのに周りが止めることを許さないのだから、沖田にとっては、やりたくもないことを強制させられて、苦痛でしかないだろう。
「別に。………いつまで続くのかなぁって」
「何だよ、お前、そんなに嫌なのか?」
そのうち沖田も仕事が楽しくなり出すのでは、と思っていた土方は、こうした発言に日々がっかりさせられると共に、密かに胸を痛めている。
いくらマネージャーとして沖田を売り出さねばならないとは言え、無理強いなどできればしたくないのだ。
「………ううん。土方さんが困っちゃうから、もうワガママは言わない」
時々こういうことを言ってくることもあるので、そういう時は、土方も沖田に絆されそうになったりするのだが。
しかし。
「困らねえさ。余計な心配すんじゃねぇよ、餓鬼が」
「あ、そうですよね。鬼マネージャーが、そんなことで困ったりしませんよね」
「ってめぇ………」
少し気を緩めるとこれだ。
一体どこからそんな毒舌が生まれてくるのか、しかしこの口の上手さで売れているというのもあるだろうしと、土方はいつも頭を抱えている。
因みに、土方は業界でもかなりやり手のマネージャーとして有名だ。
最近では、鬼のマネージャーなんていう業界用語が流通しているほど、その腕力にはお墨付きがある。
確かに今まで担当してきた子は必ず売れっ子にしていたし、その実績はかなりのものだった。
沖田の事情をよく知る者は、沖田のマネージャーなど、最早土方以外誰も担当できないだろうと嘯いている。
またその顔立ちの整い方から、何故芸能人にならずにマネージャーなんかをやっているんだろうともよく言われていた。
だが、その土方を悩ませるほどの男――それもまだ子供――が、ここに一人いるわけで。
「そんなに嫌々言うけどよ、じゃあ一体何がしたいんだ?」
土方はあやすように沖田に問いかけた。
「うーん……フツーなこと」
返ってきた短い答えに、土方は眉根を寄せる。
「フツーって何だよ」
「例えば、デートしたり、勉強したり、お買い物したり、電車に乗ったり、遊園地行ったり」
「…………」
芸能人に憧れる奴も少なくないというのに、沖田は一年前からこの一点張りである。
別に買い物や遊園地に行けないわけではないのだ。
ただ、どこに行っても"芸能人の沖田総司"というレッテルを貼られ、一般人として気ままに過ごせないどころか、すぐに黒山の人だかりができ、"フツーに"遊べないことが嫌らしい。
どこに移動するにも全てタクシーなのも気にくわないようだが、プライベートを守るためにはそうするしかない。
「でも、分かってるんです。僕がお仕事を止めて学校に戻ったところで、きっともう決して元には戻れない。どこに行っても、何をしてても"芸能人の沖田総司"っていう目で見られて、それが一生続くんですよ」
やけに最もなことを言う沖田は、すごく寂しそうな顔をしていた。
「だから、"フツー"はもう諦めたつもりなんですケドね」
でも、どうしてもこの生活には慣れないです、と沖田は呟いた。
「そうか………」
「ねぇ、土方さんが前担当してた子たちって、みんな僕とは違ったんですか?」
不意に聞いてくる沖田に、土方は一瞬戸惑った。
「まぁな……今まで女子しか担当したことねぇし…それに、売れるために必死で頑張ってきたような子ばっかりだったからな、嬉しそうにしてたぜ」
彼女にしてくれって迫ってきた子もいたなと、土方は思いを馳せた。
最も、それらは全て、俺なんかより良い芸能人がいっぱいいるだろうと言って断ったのだが。
実際、それをきっかけにしてマネージャーを辞めた子もかなり多い。
「そっか………ね、土方さんは、やっぱりそういう子の方がいいんですか?」
「は?」
「仕事を楽しそうにやる子。何でも文句一つ言わないでやって、僕みたいにワガママも言わなければ、土方さんのことを睨んだりもしないし、いつも笑顔でいる子」
「いや、俺は……」
そこまで言った時、運転手が道を間違えそうになったので、土方は慌てて身を乗り出した。
「あ、運転手さん、その信号を右に曲がってくれ」
土方の言葉に、運転手も慌ててハンドルを切る。
大方、乗客、それも売れっ子芸能人とマネージャーという普通ではない乗客の話が気になって夢中で聞いていた、というところだろう。
「えーと、何だったっけか…」
身を落ち着けてから沖田に向き直ると、総司は小さく笑って目を逸らした。
「別にいいです。大した話じゃなかったし」
「でもお前………」
「あ、見て見て!あそこじゃないですか?今日の仕事場」
半ば無理やり話題を変えた沖田を少し訝しみながらも、土方は前方に見えてきた仕事場に目をやった。
今日の仕事は、雑誌に載せる写真の撮影と、同じく雑誌に載せるインタビューの取材である。
これからのシーズン向け、ということで撮影場所は海。
取材は浜辺にあるテラスカフェで行うらしい。
「ここら辺で止めてくれ」
土方が言うと、運転手は急ブレーキをかけた。
代金を払って、おつりはいらないと言う。
「口止め料だ。これから総司が撮影すること、今話してた内容も、全て他言無用だ。週刊誌になんか流されたらたまったもんじゃねぇ」
すると運転手は心得た、と言わんばかりににっこり笑って、ありがとうございました、と言った。
土方は沖田を下ろすと、沖田にマスクと帽子とサングラスをかけてから、浜辺までの道のりをゆっくりと歩きだした。
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