「…っぇ…うぅ…」
その頃総司は、屯所までの道をひた走っていた。
溢れる涙が風で後ろへ靡き、頬に無数の跡を作っている。
夜半なだけあって人の姿はまばらだが、街中を駆け抜けながら泣いている男の姿は異様なほど目立った。
花町を抜け、益々人影のまばらな町外れまで来たとき、不意に何者かが物陰から飛び出してきた。
「覚悟!」
総司はハッと我に返って、咄嗟の判断で相手を抜き打ちにした。
ぐえ、という生々しい叫び声があがり、斬りかかってきた男が地面に倒れる。
総司は瞬時に振り返って腰を低く屈めると、居合いの体勢に入った。
目の前には、浪士と思われる男たち数人が、抜き身を携えてずらりと並んでいる。
「…人違いじゃないの?」
「いや、分かっている!貴様は新撰組一番組組長、幕府の犬だ!」
「沖田、貴様には死んでもらう!」
浪士たちは口々に勝手なことを言うと、一斉に総司に斬りかかってきた。
今までは斬り合いは一対一で行うという暗黙の了解があったものだが、それを破り、数人で一人を討つという姑息なやり方を定着させたのは、皮肉なことに新撰組だ。
新撰組が討つと決めた相手は、必ず仕留めなければならない者ばかりだったのだから仕方ない。
だから新撰組の人間である自分が文句は言えないのだが、今は一対複数という圧倒的に不利な状況が、ひたすら恨めしかった。
天然理心流は、いざ斬り合いになった時にも臆することのない精神を身につけることに、重きを置いている。
総司の剣の腕はお墨付きだったが、今の精神状態では、とても戦えそうになかった。
必死で襲い来る刃を交わしながら、総司はぐらつく精神に不安を覚える。
仮にも自分は新撰組の幹部として、近藤のために精一杯努めなければならない身の上だ。
それなのに色恋事に現を抜かし、ましてやその所為で斬り合いに負けるようなことは、絶対にあってはならないことだった。
(負けたら、死ぬ。なんとしても、勝たなくちゃ)
その思いだけで、辛うじて相手の刀を薙ぎ払う。
普段なら小手先を切り落とす程度で終わらせるのだが、今日は確実に殺すために、切っ先で相手の身体を貫いた。
道場剣道では有り得ないし、作法も何もあったものではないが、これが真剣勝負というものだ。
総司は飛び散る返り血にも構わず、無我夢中で剣を振るった。
「っはぁ…はぁ……」
気付けば、その場に生きているものは、総司だけとなっていた。
今日もまた生き延びられた…それに安堵していた総司に、微かな油断が生まれた。
刹那、総司の足元で辛うじて息をしていた浪士の一人が、渾身の力を籠めて握った刀を払い、総司の足を切り裂いたのだ。
「う…あぁぁぁっ!!!」
肉を切り裂かれる痛みに、総司は出したこともないような呻き声をあげた。
「ぅ、ぐ…ぁ…あ………」
そこから先はもう無我夢中だった。
必死で足元の浪士に刀を突き刺し、また抜いては突き刺した。
とっくに絶命しているのに、総司の心からは恐怖が拭えなかった。
総司は夢中になって浪士を刺し続けた。
肉が抉れる重たい感触に、恐怖と興奮が襲ってきて、訳も分からず涙が溢れる。
「うぅっ…ふ…ぇ…」
返り血が顔にまで飛んで、凄惨な状態になっていく。
それでも、総司は手を止めなかった。
否、止めたくても止められなかったのだ。
総司は何かに憑かれたように、衝動のままに手を動かし続けた。
「…はぁ…ぁ」
最早ただの肉の塊と化した浪士を見て、総司は漸くその手を止めた。
もし誰かが見ていたら、新撰組はやはり鬼だと言われても仕方ないほど、無残な有様だった。
「っひっく…」
総司はぼたぼたと零れる涙もそのままに、その場に立ち尽くした。
痛いのか悲しいのか、もう分からなかった。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
(と、とりあえず…帰らなきゃ…)
一歩踏み出す度に、斬られた足首からどくどくと血が流れ出し、びりびりとした痛みが身体を貫く。
「っい、た…」
人に斬られるのは初めてだった。
今までも掠り傷程度の傷は負ったことがあったが、ここまで深く斬られたことはない。
それにしても、あの浪士たちは、どうして自分がこの時間、ここを通ることを知っていたのだろう。
たまたま遭遇したというよりは、待ち伏せていたか、あるいはずっとつけていたみたいじゃないか……。
総司はぶるっと身震いした。
迂闊だった、と悔いると共に、その原因となった出来事に思いを馳せる。
あの時、土方は確実に太夫といた。
抱くつもりだったのかは分からないが、どういう関係なのかなど、最早どうでもいいことだった。
(いやだ……もう…消えてしまいたい…)
総司は朦朧とした足取りで、ふらふらと亡霊のように屯所へと帰っていった。
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