総司が戻ると、あの沖田が斬られたということで、屯所中が上を下への大騒ぎとなった。
「総司大丈夫かっ?!」
「総司、一体どうしたってんだよ!」
総司、総司、と皆が人垣を作る。
顔面蒼白で、止血もせずに帰ってきた総司の頬には、微かに涙の跡まで残っている。
「一体何があったんだ?」
原田が宥めるように言う。
「えへへ…ちょっと、斬られちゃった」
「総司、悪いことは言わねぇから、早く治療してもらえ」
「う、ん……」
心配そうに総司を気遣う幹部たちの元へ、慌てた様子で近藤が駆け寄ってきた。
「総司!どうした?大丈夫か?」
「あ、近藤さん、」
総司はいち早く近藤に気付き、堰を切ったように話し出した。
「近藤さん、ごめんなさいっ!僕、浪士に鉢合わせて…それで…斬られて……」
「っ総司…!」
「あの……し、死体を二丁ほど行ったところに転がしてきちゃいました……早く、回収した方がいい、かも……」
「分かった、すぐに誰かをやる」
「近藤さん、ここじゃなんだし、総司を広間に運ぼう」
「あ、あぁ、そうだな………」
総司の怪我に、近藤も色を無くしているようだった。
「あ、一人で歩けるってば…」
「総司、無茶言うんじゃねぇよ」
有無を言わさずに原田と永倉が手を貸して、総司を広間まで担いで行った。
そこに藤堂や斎藤が続く。
直ぐに医者が呼ばれて、総司の足を治療していった。
溢れ出た血が、総司の小袴をべっとりと濡らし切っていたが、命に別状はないと言う。
「暫くは安静にして、極力歩くのも控えてください。それから毎日新しい包帯に取り替えて、出来るだけ傷口を清潔に保てるように。もしかしたら今日は発熱するかもしれませんし、誰かがついてやるといいでしょう」
医者が帰ると、苦しそうに息を吐く総司に、近藤が優しく手を置いた。
「大丈夫か?」
「はい…僕としたことが…不覚でした……」
口調はいつも通りだったが、今にも崩れそうな危うさを放っている総司に、皆が何かいつもと違うものを感じていた。
大体、総司が斬られている時点で何かがおかしいのだ。
勿論総司とて人間なのだから、一回くらい斬られることがあってもおかしくはないのかも知れないが、何となく雰囲気が異様だった。
「後で土方さんにも報告しねえとな…」
ぽつりと原田が言うと、突然総司がびくっと身体を震わせた。
「土方さん!?」
総司が突然大声を上げたので、誰もが驚いて彼を見つめた。
「………総司?」
「ぁ……いえ、何でもないです…」
口では否定するものの明らかに様子のおかしい総司に、近藤が怪訝な顔をした。
「総司、トシと何かあったのか?」
何気なくその名を口にした近藤だったが、みるみるうちに総司の顔が真っ青になっていくのを見て狼狽える。
「総司?」
「っ……」
まるで過呼吸のような症状を示す総司を、近藤は慌てて揺さぶった。
「総司、総司、どうした!」
「や…僕に構わないで…っ…」
総司は突然近藤の手を振り払うと、すっと立ち上がった。
一度も近藤を拒絶したことのない総司の未だかつてないその行為に、近藤だけでなく、その場にいた全員がハッと息を飲んだ。
「総司…?」
「もう…疲れたので寝ます……あの…色々ご迷惑をおかけしました」
それだけ言うと、総司は皆が制するのにも構わずに、片足を引きずるようにして退室してしまった。
「総司、あれ絶対何かあったよな」
藤堂がぽつりと呟く。
「島原で何かあったのだろうか…」
近藤が言うと、斎藤が訝しげに近藤を見た。
「局長、総司は島原へ行っていたのですか?」
「総司が、一人で、島原?!」
永倉が素っ頓狂な声をあげた。
「何だよあいつ……俺がいくら誘っても普段は絶対断るくせに……」
「近藤さん、一体総司は何をしに島原へ行ったんだ?」
藤堂の質問に、近藤が顔を上げる。
「いや、目的は知らないが、総司が今日は久しぶりに非番だから、島原で飲んでくると言いにきてね、」
「外出許可を取りに来たということですか?」
「ああ、そうだよ」
「…なるほどな」
「それで総司は島原に行ったのか」
「……それと副長と、何か関係があるのでしょうか?」
「さぁ…俺にも分からんななぁ。今日はトシは仕事で少し出てくると言っていたが」
「……仕事、ねぇ」
ふと原田が呟いた。
「土方さんに限ってそんなことはねぇと思うけど、もしかしたら仕事なんかじゃなくて、島原に行ってたのかもしれねぇよな……」
「総司のあの様子じゃ、そこで見たくないもんを見ちまったか……」
「ありえるなぁ………」
「ああ…総司が"拗ね"を通り越してあんなになっちまうなんて、ただ事じゃねぇだろうしな」
その場に重苦しい雰囲気が立ち込める。
「ところで、医者は総司に付き添う者が必要だと言っていたが、どうする」
斎藤が沈黙を破って言った。
「た、確かに……こんなこと、局長の近藤さんには頼めねえしな」
「そ、そうか?俺は別にやっても構わないが」
「いいや、局長は忙しいだろうし、明日非番の人がやるべきなんじゃねえの?」
「俺は非番だが」
「本当か、斎藤」
「嘘は言わない」
「じゃ、斎藤に頼むか」
「俺からもお願いする。斎藤、悪いが総司のことを見てはくれないか?」
「御意」
「よし、んじゃ、事態がこじれないことを祈って寝るとするか」
それで、その場はお開きになった。
*
「総司、」
斎藤が短く呼ぶと、頭の上まで布団を引き上げて寝ていた総司が、ごろりと寝返りを打った。
「あ…痛っ」
その拍子に傷口が擦れたのか、総司が顔を歪める。
「あんたは動くな」
「一君?どうしたの、何か用?」
「今夜、総司の看病をすることになった」
「は…看病だなんて大袈裟だなぁ。ただの切り傷じゃない」
「しかし、医者は発熱するかもしれないと言っていた」
「発熱?……そんなものないよ」
「分からないだろう……何かほしいものはあるか?」
「ない」
「遠慮はするな。何でも総司の望みを言え」
「……ていうかさ、ただ斬られただけでこんなにされちゃったら、まるで同情されているみたいで嫌だよ。なんか、すっごい癪に障るんだけど」
「仕方ないだろう。医者の申しつけなのだ」
意外に元気そうな総司に、斎藤はほっと安堵の溜め息を吐いた。
「……ね、一君」
「なんだ」
「本当に、何でも望み通りにしてくれるの?」
「当たり前だ」
「じゃあ言うけど、今すぐ出て行ってくれないかな」
総司の冷たい言葉に、斎藤は一瞬固まる。
「それは……無理だ」
「嘘吐き。何でも望み通りにするって言ったくせに」
「総司、それだけは無理だ」
「あのね、僕は今すっごく一人になりたい気分なの。分かる?一君にはそういう時がないの?一人でゆっくり考え事をしたいのに、邪魔が入って苛々する時が」
その口調から、やはり総司は平常な心境ではないのだと、斎藤は考えた。
「だがしかし…」
「大丈夫、誰も一君のことは責めないから。ね?お願いだから出て行ってよ。僕のためを思うなら、出て行って」
有無を言わさぬその口調に、斎藤はとうとう根負けした。
「分かった。そこまで言うなら俺は退室することにする。だが、もし何かあったら、すぐに…」
「はいはい、分かってるよ。ありがとう一君」
そう言って、総司はまた頭まですっぽりと布団を被ってしまった。
「……お休み」
なんと言えばいいのかわからず、斎藤はとりあえずそれだけ告げた。
返事が返ってくる様子はなかったので、斎藤はそのまま総司の部屋を出て、隣の自分の部屋へ引き取った。
それから斎藤は、朝まで総司の欷歔する声を聞き続けることになるのだった。
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