「総司……?」
勢い良く総司の部屋まで来てみたのはいいものの、いざ入るとなるとなかなかの勇気がいった。
あの日助けにきてくれたお礼もきちんと言いたいし、ずっと総司には秘密にしたまま調査を進めていたことも謝りたい。
が、いざそれを言うとなると恥ずかしくて堪らない。
そんな心境だった。
第一、あの日血溜まりのなかで口付けを交わして以来の対面だ。
それなりに緊張もする。
また突き放されでもしたらどうしようと、あの時一度別れようと言われた衝撃が消えていない土方は、一抹の不安を抱えながら総司の部屋の襖を開けた。
総司の部屋は、あのあとすぐに畳から障子から何から何まで新しいものにすげ替えられ、すっかり元通り綺麗な状態になっていた。
何しろ、斬り合いのあった血なまぐさい場所なのだ。
土方は意識を失って眠りこけていたので経緯は知らないが、最初は部屋を変えるかという提案までなされたらしい。
だが、総司がこのままでいいと自ら主張したのだと聞いた。
「総司?……寝てんのか?」
後ろ手で襖を閉めながら土方が言うと、布団がもぞっと動いた。
そして茶色い頭がひょっこりと顔を覗かせる。
「総司……」
久しぶりに見る総司の顔は、げっそり窶れて見えた。
「元気、か?」
総司がこくりと頷く。
土方は総司の傍まで移動すると、その顔を上から覗き込んだ。
「……足、まだ痛ぇのか?」
多少のことではへこたれない総司が伏せっているのを見るのは、正直言って何よりも堪えた。
土方は首を振る総司の頬にそっと手を添える。
「ごめんな、総司」
総司は黙ってされるままになっていたが、やがて俄に手を上げると、頬に添えられていた土方の手をやんわりと外した。
それからなにやらもぞもぞと起き上がると、起きて大丈夫なのかと慌てる土方を差し置いて、文机の方へ這っていった。
総司が引きずっている片足には真っ白な包帯が巻かれていて、それがあの日助けに来た総司を彷彿させ、土方を胸が締め付けられるような気持ちにさせた。
土方が情けない顔で総司の動向を見守っていると、総司は机の上に置いてあった半紙を取って、そのうちの一枚を土方の方にずいと差し出した。
『さみしかった』
そこにはそう書かれていた。
「総、司……」
総司は黙ったまま土方を見つめていた。
そのまっすぐな視線に耐えられなくなって、土方は総司の身体をぐい、と引き寄せる。
いきなり動いたことで身体のあちこちが傷んだが、そんなことを気にしている場合ではない。
折れるかと思うほど、土方は総司の体を力強く抱き込んだ。
もう二度と、離さない、とでも言うように。
「すまねぇ……寂しい思い、させたんだな……」
嫌いです、でも、許さない、でもなく、総司が真っ先に告げてきた”寂しい”という思い。
総司の寂しさを悟ると共に、土方はどうしようもなく切ない気持ちになった。
そのまま大人しく土方に抱き締められていた総司だったが、しかし決して土方を抱きしめ返そうとはしてこない。
土方は思わず不安になって、今一度総司の身体を離した。
「……怒ってるのか」
「………」
「そりゃ、怒ってる、よな…」
真顔のまま土方をただ見つめている総司に、思わず眉尻が下がってしまう。
「は、ぁ……嫌われた、な」
土方は前髪をかきあげて、そのまま頭を抱え込んだ。
あの時の口付けは一体なんだったのかと聞きたいところだったが、今の土方にはそんな勇気すら残っていない。
もしかしたら、あれは、あの口付けは、全てこれで終わりだという意味だったのかもしれないと思ったからだ。
その時再び、総司が一枚の半紙を差し出してきた。
土方はのろのろと頭を上げる。
「ん、何だ?………『斬っちゃうよ』ってこれ、俺を、か?」
総司は真顔で頷いた。
…これは、相当お怒りだと解釈すれば良いのだろうか。
「…斬るってお前………」
土方はどうしてやればいいのか分からずに、半紙を握り締めたまま固まっていた。
すると、また差し出しされる半紙。
そこにはただ一言、『怒』と書いてあった。
「そうか……やっぱり怒ってんだな」
当たり前だとでも言うように総司は大きく頷いて、土方に冷たい視線を投げて寄越した。
「…どうしたら……許してくれんだ」
自負や矜持といったものを全てかなぐり捨てて、土方はそう言った。
総司に嫌われることだけは避けたい。
いや、既に嫌われているのかもしれないが、何としてでも仲を修復したい。
前のように、笑い合いたい。
必死に総司に詰め寄る土方に、総司は怒りをぶちまけるかのように、歯を食いしばって目に涙を溜めながら次々と半紙を押し付けてきた。
「わ、ち、ちょっと待て!読めねぇだろうが…っ!」
土方は辺りに散らばった半紙をかき集めると、心が折れそうになりながらも一枚ずつ目を通した。
「……………」
総司は真一文字に口を結んで、土方の様子をじっと伺っている。
「総司………」
土方が恐る恐る口を開くと、総司は何だとばかりに睨みつけてきた。
「……あ、あのなぁ……『構ってください』、『口付けてください』、『お酒持ってきてください』、……って、これ、お前、一体どういう…」
一体どこまで本気なのか、ただからかわれているだけなのか、土方が困り果ててこの上なく情けない顔になった、その瞬間。
「ぷ、く……っあはははは!!!」
突然、声が聞こえた。
それも、この場に似つかわしくない、明るい笑い声が。
「な…………」
土方は今度こそ度肝を抜かれてその場に固まった。
「あはははっ、あは、も〜我慢できない、ほんとお腹捩れる、くっ、あはは……」
「そ、総司……?!?!」
一体どこから声がしているのかと思えば、紛れも無く、目の前で総司がお腹を抱えて笑っているのだった。
第一幾ら久しぶりに聞くとはいえ、散々聞きなれた総司の声を土方が聞き間違えるわけがない。
「な、ちょ、お、…おまえ……」
土方があまりのことにろくに言葉も紡げずにいると、目の前で総司が口を開いた。
「あはは………土方さんの顔、すっごく面白かったぁ!」
「は……?は、ていうか、総司、おま…」
土方は、馬鹿みたいに目を見開いて、口をぱくぱくさせるしかない。
「ふ……土方さんでも、眉毛があんなに下がるもんなんですねぇ…ふふ…は、ぁ…面白……」
土方はそれを、どこか遠くで聞いていた。
最早、心がここにない。
驚きすぎて、頭がついて行っていない。
何故総司が喋っているんだ。
こいつは声が出ないはずで……。
冷静になろうとするのだが、総司の声が頭をぐるぐると駆けめぐって、思考回路の邪魔をする。
総司の発言内容に腹を立てている暇すらない。
「あ、あれ……?土方さん?吃驚しちゃいました?……おーい、土方さーん?」
現実に思考が追いついていないが、何度目を瞬かせてみても、今声を発して話しているのは、紛れも無く総司だった。
その事実がようやく飲み込めた瞬間。
気付くと土方は、目の前で揺れる栗色の頭に、拳骨をお見舞いしていた。
「あいたっ……!」
「ってっめぇこの野郎!!!!!どんだけ俺が心配したと思ってやがんだよ!!!!!!」
土方の怒号は、昼間の屯所中に響きわたった。
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