あの事件から数日……。
新選組は稀に見る忙しさに見舞われていた。
御上からはよくやったと多すぎるほどの報奨金が出ることになり、新選組の会津藩、並びに幕府における立場は益々確固たる物となった。
しかし、新選組の内部はそう平穏にはいられない。
まず二度と裏切りが起こらないよう幹部総出で平隊士の出生や身の上を調べ上げた後、すぐに捉えた反逆者と長州の者に対する拷問が始まった。
それこそ、大捕り物の成功を祝い、隊士たちを労う宴をあげている暇すらない。
怪我人二人は……というと、あれから土方も総司も順調に回復に向かっていた。
総司は、そもそもが命に関わる程の大怪我だったにも関わらず、無理をして動き回ったものだから、傷口の開きが更に酷くなり、暫くは身動き一つ取れない状態を余儀なくされた。
屯所に帰ってすぐ医者が診てくれたのだが、またこっぴどく叱られたのは言うまでもない。
そんなに足を切断されたかったのか、二度と歩けなくなってもよかったのか云々。
後先を考えない無謀な行動は自分だけでなく周りにも多大な迷惑をかけることがわからないのかと、それはもう延々と説教されて、怪我人相手に医者もよくやるものだと、周囲が宥めに入った程だった。
ここまで医者の言うことを聞かない患者は初めてだとまで言われて、総司は今回のことで相当懲りて、ずっと大人しくしていた。
…と言うよりも、自分が守った相手――即ち土方の怪我が思ったよりも軽く、命に別状はないと分かった途端に緊張の糸が切れて、暫くの間意識がなかった、と言った方が正確だろう。
当の土方は、外傷は酷かったものの、これといった致命傷はなかったので総司以上に早い回復を見せていた。
早々に起き上がれるようになったはいいが、今度はもう暇で暇で仕方がない。
毎日暇を持て余しては、何とか絶対安静の軟禁状態から抜け出そうと画策する日々を送っていた。
そんな中……。
今日もこっそり部屋を抜け出そうとした土方は、早速廊下に詰めていた斎藤に見つかってしまった。
「副長……!」
「げ………斎藤……」
「げ、とは何です。副長、あれほど安静に寝ていてくださいと言ったではありませんか。それなのにまた部屋を抜け出して一体何を……む、もしやまた拷問部屋に顔を出そうとなされていたのですか?」
どこかで聞いたことのあるような会話が、今度は斎藤と土方の間でなされていた。
総司は起き上がりたくても起き上がれない状態が続いていたので、現在の問題児は専ら土方ということになっている。
土方は、副長の自分が拷問しないのでは顔が立たない、何よりも、自分を殺そうとした奴らは自分で懲らしめるのが一番だ、などと最もらしいことを主張し続けているものの、残念ながらそれが聞き入れられたことは、今のところ全くない。
最早この押し問答は、毎日の慣例行事となっていた。
「…なぁ斎藤、俺だって馬鹿じゃねぇ。自分の体調くらい自分でわかってるつもりだ。その上で、こうして隊務に戻ろうとしてるわけだ。それくらい分かるだろ?な?」
「生憎と俺も副長の口車に乗るほど馬鹿ではありませんので。まだ全快ではないと医者が言っているんですから、大人しく部屋に籠っていてください」
土方は何とか隊務に参加させてもらおうと、あの手この手で斎藤を宥め賺しにかかるのだが、斎藤も頑固に頑張っている。
斎藤の過保護さは、少々土方も顔負けのところがある程だった。
「なぁ……斎藤、お前例のアレ、好きだろ?欲しくねぇか?」
「む、もしやそれは石田散薬のことですか?」
「そうだ、それだ。特別にたっぷりやるから、ここを通してくれよ、な?」
これは土方にとって最後の切り札だった。
これなら流石の斎藤も折れてくれるだろうと、そう信じていたのだが。
「いえ、いりません」
きっぱりと否定されて、土方は思わず間抜けな声を出した。
「な、何でだよ!?お前がアレを断るのは初めてだぞ?」
「そのように賄賂を送ろうとするのは卑劣です」
「わ、賄賂って……人聞き悪いな」
まぁ、あれが賄賂として通用するのはお前ぐらいなもんだけどな、と土方は心の中で付け足した。
「それに、今あの薬が必要なのは、俺ではなく副長です。切り傷、打ち身、何にでも効く万能薬なのですから、副長こそ飲まれてください」
「う…………」
あの薬の原材料の草は、確かに怪我によく効く性質がある。
が、煮たり焼いたり粉にしたりといらないことをするから、その効能が薄れてしまっているのだ。
……とは流石に言えず、土方は口を噤むしかなかった。
「ちぇっ…頭の堅ぇ奴」
「しかしお言葉ですが、副長には普段の分のツケも溜まってますので、今働いてもらうわけには絶対にいかないのです」
「普段のツケだぁ?」
「はい、普段我々がどんなに口を酸っぱくしてお願いしても、副長は仕事仕事と全く休んでくれません。ですので、その分もしっかり休養していただくつもりです」
「な………ひ、卑怯じゃねぇか。今それを持ち出さなくたって……」
「普段から副長が適度に休まれていらっしゃればよかった話です」
「っ…そ、そんなに俺を働かせたくねぇのかよ?」
「副長は疲れておいでなのです。そうでなくとも、総司のことで働き詰めだったではありませんか」
「お、俺ならもう疲れてねぇし、それに……」
「それ以上おっしゃると、少々手荒ながら、副長にも一番組組長と同じ扱いを施さねばなりませんが」
「な…そ、総司と同じだと?」
「はい、今の副長は、我が儘で聞き分けのない総司と何一つ相違がありません」
今はどうか知らないが、屯所襲撃の前、何度も起き出しては部屋を抜け出そうとした総司は、最終的に原田と藤堂によって部屋の中に拘束されてしまったと聞いている。
土方としては、それと同じ処遇だけはなんとしてでも避けたいところだった。
「くそっ……あーあー分かったよ。俺は部屋で大人しくしてりゃいいんだろ」
「その通りです」
したり顔の斎藤に見送られながら、土方は渋々部屋に戻ってどっかりと座り込んだ。
「っ痛ってぇ!」
その拍子に治りかけの青痣を派手に打ちつけて、暫しその場で身悶える。
「……くそったれ」
打ちつけたところをさすりながら、土方は一人ごちた。
斎藤に捕まると、一番埒があかない。
あの手この手で通してもらおうとするのだが、普段寡黙な斎藤からは想像もできないほど饒舌になって追い返されてしまう。
かと言って、永倉や原田だと、最終的には力づくで部屋に押し戻されてしまうので、それもできれば避けたい。
(俺としちゃあ、平助が一番交わしやすいんだがな……)
だが、向こうでもそれが分かっているのか、藤堂が副長室を見張ることは滅多にない。
恐らくは、総司の担当でも任されているのだろう。
(ちっきしょう……暇で暇で仕方ねぇや……)
こっそり隠れてやられたら困ると、溜まっていた書類も全て、筆と硯ごと取り上げられてしまった。
それならば久しぶりに素振りでもしに行くかと思ったが、残念ながらそれだけの体力はまだない。
第一、そんなところを見つかりでもしたら、きっと血相を変えて副長室に連れ戻されるのが関の山だろう。
きっと、総司もこんな風に窮屈な思いをしていたんだろうと思ったら、初めて総司への絶対安静が可哀想に思えてきた。
(それにしても、あの総司と同じだと言われるなんてな……)
先ほどの斎藤の言葉を思い出して、土方は一人くすくすと笑った。
そしてふと、ずっと我慢していたことを実行してみる気になった。
いい加減、もういいだろう。
土方はおもむろに身体を起こして立ち上がると、部屋の襖をさっと開いた。
「おい、斎藤」
再び姿を表した土方に、斎藤がすぐさま厳戒態勢を整える。
それを見て、土方は思わず苦笑した。
「は、そんなに構えんなよ。別に仕事をしようとしてる訳じゃねえから」
「では一体何の用があって起き上がってらっしゃったのですか」
「あー……ちっと、総司の様子を見に行きてぇと思って、な」
「………………」
これにはさすがの斎藤も閉口したようだった。
「総司、ですか……」
「あぁ。いい加減に会いてぇんだよ。色々と謝りてぇこともあるしな」
「………」
「……それも駄目なのか?」
斎藤は許可を出すのを迷っていると言うよりは、何かを言い渋っているように見えた。
「おい、それとも何かあるのか?」
土方が詰め寄ると、斎藤は渋々ながら許可を出してくれた。
「……総司はあれからしばらく意識すらありませんでしたので…起き上がりたくても起き上がれない状態が続いています。それでもいいなら、どうぞ」
「………あぁ」
「くれぐれも、二人で何か悪さをしようなどとは企まないでください」
「何だよ悪さって!人を悪餓鬼みてぇに……」
「くれぐれも、安静にして……」
「分かった!分かったよ!」
土方は肩を怒らせながら、どしどしと総司の部屋の方まで歩いていった。
▲ *mae|top|tsugi#