何で?
「土方、さん………?」
左之さんが凍ったような顔をしてこちらを見ている。
しかし、それ以上に僕の心臓が凍り付いている。
「総司、この人だれ?」
何も言葉が出てこない。
「あ、の……どうかなさいましたか?」
左之さんが辛うじて口を開いた。
「あぁ…すまねぇが……忘れ物をしたらしい」
「忘れ物、ですか……」
「紫のハンカチなんだが…大事なものなんだ」
「あ、これじゃない?」
僕の隣に座っていた女の子が、腰を屈めて何かを拾い上げた。
「それ…………」
僕は彼女の手の中にあるハンカチに、目が釘付けになった。
「あぁ、それだ。やっぱりここだったか」
土方さんは、ありがとうと微笑んでそれを受け取ると、左之さんにお騒がせした、と詫び入った。
「総司、また会うなんて偶然だな」
「ぇ、あ………う、ん……」
土方さんは相変わらず、何もなかったかのように、ごく普通の口調で話しかけてきた。
何でなの?
疑問に思うこととかないの?
僕が姿を消したことを怒ったり、理由を聞いたりしないわけ?
まるで昨日も会いました、とでもいうかのような、淡々とした態度。
「それ…その子はお前の彼女か?」
「え?いや、この子は……」
「そうか…総司の金髪が好きな子なんだろ?」
「や、違っ、……」
「お似合い、だと思うぜ」
ぱりん。
そんな音が、頭に響く。
そうか。
心が砕け散ったんだ。
「ひじ、かた…さん……」
「じゃあ、総司。元気でな」
「ひ…かた………さ」
僕は何も言えずに固まったまま、出て行く土方さんを見つめていた。
暫くそのまま茫然自失としていると、女の子が僕に話しかけてきた。
「ねぇ、あの人誰なの…?」
「………………」
「ねぇ、総司ってば!」
「………………」
何も言葉が出てこない。
何か言った瞬間に、涙が溢れてしまいそうで怖かった。
「総、司」
左之さんの声に身体がびくりと震える。
「ちょっと…総司?」
「………うるさい」
「え?」
「うるさいんだよさっきから!何なの、君。君が一体僕の何を知ってるって言うんだよ!?」
僕は肩を掴むその子の手を乱暴に振り払った。
店内の客が何人か、驚いてこちらを見る。
「や、ちょっと!」
「お願いだから僕に絡まないで!」
「あの人とどういう関係なのっ?」
「そんなの君に関係ないでしょ!?」
そこまで言って、やっと気がついたらしい。
「まさか……総司…」
「そうだよ。そのまさかだよ」
別に男色なわけじゃないし、普通に女の子も抱くけど、この子が男色だと思い込んだなら、それでもいいや、と思った。
「どう?気持ち悪い?」
「嘘でしょ………」
その子は手で口を覆った。
「分かったら、さっさと出て行ってくれる?君がここにいたいなら、僕が出て行くから」
「……っ…」
その子は徐に立ち上がると、走って店を飛び出していった。
僕はそれに見向きもせず、カウンターの上に置かれたカクテルに視線を落とした。
そうだ。
あれが世間一般の声なんだ。
"男同士なんて気持ち悪い"
なら、やっぱり僕は、土方さんと別れて正解だっただろう。
土方さんを気持ち悪いなんて言わせない。
「はぁ…………」
「総司、」
遠慮がちに左之さんが声をかけてきた。
「いいのか?あの子……」
「いい。どうせ今日だけの子だから…」
僕の言葉に、左之さんは大して驚かなかった。
もしかしたら、僕の"遊び"が度を越していることを、どこかで何となく予想していたのかもしれない。
「左之さん、僕泣いちゃうかも…」
「悲しい時は、我慢しないで泣いた方がいいんじゃねぇか?」
「あのハンカチね、僕が誕生日にあげたやつだったんだ…」
「えっ……土方さん、大事なものって言ってたよな?」
「うん……まだ、大切にしてくれてたんだ、って……嬉しかった」
言いながら涙が零れるのを、僕はどうしても止められなかった。
もう泣かないって決めたのに。
今日の出来事は、僕にはあまりにも辛すぎた。
「でも、何で?何であんなに…何もなかったみたいに………土方さんは、全然辛い思いなんか…しなかったのかな………所詮、僕も遊び…だったのかな…」
「総司、俺はな、総司と土方さんは、きちんと話し合うべきだと思うぜ?」
「なんで……」
「総司と話してる土方さんの顔、すごく辛そうだった」
「……そんなこと…ないよ」
「……」
「左之さん、僕もう酔えないよ………」
「そうか?」
「うん…今日はもう……帰る」
「そうだな……それがいいかもな。気を付けて帰れよ?」
「また来るね……」
「あぁ、ありがとよ」
僕は代金を払うと、ふらふらと店を出た。
道を歩きながら夜空を見上げて考える。
今頃土方さんは何をしているんだろう。
あの彼女のところに帰るのかな…
少しは僕に会ったこと、考えてくれてるかな…
僕のこと、思い出してくれてるといいな…
例えそれが…憎しみとか嫌悪とかいう感情でもいいから……
僕が、土方さんの心にいるといいんだけど……
この二年間、あんなにも我慢して苦しんできたのに、一夜にして一気に崩れてしまった。
土方さんを好きだという気持ちが溢れて止まらなかった。
だって、ずっと会いたかったんだ……。
もう一度だけでいいから、会いたいと思ってた。
だけど、実際に会ってみると、どんどん欲望が溢れてきてしまった。
話したい。
触れたい。
微笑んでほしい。
そんなこと、二度と望んじゃいけないのに。
僕は、とぼとぼと家までの道のりを歩き出した。
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