「沖田くん!大丈夫ですか?!沖田くん!」
再び目を覚ますと、先ほどより更に焦った様子で山南さんが僕を覗き込んでいた。
「あ……山南、さ…」
「よかった、意識が戻りましたね。一瞬どうしようかと思いました」
どうやら、また心配をかけてしまったようだ。
「大丈夫、みたいです」
「もう一度飲み物を飲んでください。それから、熱を計りましょうか」
「はい」
素直に枕元のペットボトルに手を伸ばした瞬間、保健室のドアが開いた。
「総司!」
顔を向けると、息を切らして近藤さんが駆け込んくるところだった。
「あれ、近藤さん…?」
「総司!総司大丈夫か!倒れたと聞いて駆けつけてきたんだが…」
オロオロと近づいてくる近藤さんを、山南さんが宥めながら説明する。
「沖田くんは軽い熱中症です。幸いにも軽く済んでいるので、よく冷やして休んでおけばすぐに良くなりますよ」
「そうなのか?大丈夫なのか?」
「大丈夫です、心配かけちゃって、ごめんなさい」
「いやいや、いいんだ。無事ならそれでいい。だが、もう授業をサボるのはいかんぞ?」
「ごめんなさい…。もう二度と倒れることにはならないようにします」
「よし、総司は素直だな」
山南さんは僕と近藤さんのやり取りを呆れたように見つめていたが、やがて新しい冷却材を取りに、保健室から出て行ってしまった。
「今日は早退するんだろう?」
近藤さんが、空いている隣のベッドに腰掛ける。
「そうみたいです。山崎くんが、連絡してくれました」
「そうかそうか、うん、それがいい。時にはしっかり休まないといかんからな。それじゃあ、部活の方にも俺から言っておこう」
「ありがとうございます」
「明日も、具合が悪いようだったら休むといい。無理のし過ぎは良くないぞ」
「もう、大丈夫ですよ」
近藤さんはそれから暫くの間、僕に学校生活のことをあれこれ聞いてきた。
最後に「お大事にな」と言って出て行った近藤さんを見送って、僕は家族が迎えに来るのを一人待った。
それから暫くして、僕はどういうわけか夢の世界から戻れなくなってしまった。
もう、いくらこっちで眠りに落ちても、目を瞑ってみても、あちらの世界に戻れない。
多分僕は………あちらの世界の僕は、死んでしまったんだと思う。
死んで、あちらの僕が永遠の眠りについたから戻れなくなった。
つまりここはただの夢なんかじゃなくて、パラレルワールドか何かだったんだろう。
本来は行き来できないはずの世界だけど、何らかの不手際が起きて、僕だけが行き来できるようになってしまった。
でもそれも、僕の死で終わり。
そして僕は、こちらの世界に移動してしまったというわけ。
我ながら馬鹿げていると思ったけど、そうとしか説明のしようがない。
ここが死後の世界だと言うのなら、それもまた正解だろう。
だってもう、どう頑張ったってあっちには戻れないんだ。
近藤さんのことも土方さんのことも気になるけど、今の僕には無事を願うことしかできない。
僕はこちらの世界に順応するより他なかった。
土方さんのいない、この世界に。
***
「総司、この前倒れたんだってな。大丈夫か?」
ある朝、遅刻ギリギリに登校して廊下を走っていたら、左之さんに声をかけられた。
左之さんはこっちでは先生をしていて、僕は他の生徒に倣って原田先生と呼んでいる。
けれどその時僕はあまりに焦っていた所為で、あっちの世界に居たときのように、つい左之さんと口走ってしまった。
「左之さ……あっ!ごめんなさい、原田先生…」
途端に左之さんはギョッとしたような顔になり、腕を力強く握り締めてきた。
「お前、まさか…………」
「えっ?」
「まさか、お前もなのか?!」
不可解な反応に戸惑っていると、左之さんは話があると言って、僕を近くの空き教室に押し込んだ。
一番奥の席に向かい合って座り、左之さんが開口一番に発した言葉に僕は絶句した。
「お前も、夢経由でここに来たのか?」
***
「ったく、"原田先生"なんて呼びやがるからずっと気づけなかったじゃねえか」
お互いの"夢"の話を終えた後で、左之さんは笑いながら言った。
どうやら左之さんも、頻繁にここの夢を見るようになり、やがて戻れなくなったくちらしい。
つまり、左之さんも向こうで死んでしまったということだ。
まさかこんな形で仲間の死を知ることになろうとは。
僕は唇を噛みしめて涙を堪えた。
「…左之さん………」
「おいおい、泣くなよな。見ろよ、俺ならピンピンしてるぜ?」
「笑えないですよそれ…」
結局一時間目をサボって、僕たちはひとしきり久方ぶりの再会を喜びあった。
最後に別れたところとは空間も場所も違うが、お互いに中身は何も変わっていない。
それがせめてもの救いだった。
「左之さんは、他にも"夢経由"でここに来た人がいるかどうか知ってますか?」
左之さんは静かに首を振った。
「夢経由でここに来た人に会うのは、総司が初めてだ。調べてみたけどダメだった。こっちにいる新選組の連中はみんな、ここで当たり前に暮らしてる。新選組のしの字もない」
「そっか。じゃあ、左之さんと僕にだけ、何か間違いが起きちゃったんですね」
「まぁ、そうなるな」
「じゃあやっぱりここは、新選組の世界とは違う世界なのかな……」
「それか、未来の世界だな」
「未来………?」
「調べてる時に、新選組で槍持って戦って、みたいな話をするとな、よく"お前は前世の記憶でもあるのか"って言われたんだ」
「……」
「ただ、前世って一言で言っても、この世界の歴史の直線上のどこかなのか、それとも全く別の世界なのか、それすら分かんねえだろ?だからやっぱり、パラレルワールドってことにしとくのがあたりかもな」
「そっか……」
どうやら、随分と遠いところに来てしまったようだ。
僕は初めて元の世界が恋しくなった。
一人ぼっちで寂しかったし、戦えなくなっていく体が嫌で、思い通りにいかない人生にうんざりしたこともあったけど、でも、あの殺伐とした時代も悪くはなかった。
ぼーっと床に視線を落とす僕に、左之さんがため息混じりに言う。
「明確なのは、俺たちはもう二度と元の世界には戻れないってことと、ここにいるのは向こうで死んだ奴だけってことだけだな。それが良いことなのか悪いことなのか、俺には判断がつかねぇけど」
僕は、ん?と顔を上げる。
「待って、それは違うよ」
「ん?何がだ?」
「だって、近藤さんは生きてますもん。一緒だって土方さんが言ってました」
笑いながら左之さんに教えてあげると、左之さんは一瞬狼狽えたように動きを止めてから、俯いて、再び顔を上げた。
「……総司、お前、知らなかったのか」
「はい?」
「近藤さんはな、亡くなったんだよ」
左之さんは、悲しそうに微笑んだ。
僕もさっぱり訳が分からずに微笑み返す。
「は?何言ってるんですか?近藤さんは元気だって、土方さん言ってましたよ?」
「多分、お前の病気に障るから隠そうとしたんだろうな……近藤さんは、俺が死ぬより先に処刑されたんだ」
左之さんの真剣な表情に、自然と顔が引きつった。
「嘘だ……近藤さんが死んでるわけないよ!」
僕は無我夢中で叫んだ。
だって、どうして近藤さんが。
局長がいなくてどうするんだって、土方さん言ってたじゃないか。
「総司…」
左之さんは静かに首を振った。
「嘘だ……嘘だぁ………!」
僕は左之さんに縋って泣き喚いた。
左之さんはずっと、優しい手つきで僕の背中をさすってくれた。
***
一時間目が終わるまで、僕は左之さんに向こうの僕のことをたくさん話した。
「一人でも、何とか頑張れてたんです。そう遠くないところでみんなが戦ってると思ったら、自然と気力が漲って。だけど…最初に左之さんと新八さんがいなくなって……最後には…土方さんも…いなくなって……」
「……よく頑張ったな、総司」
左之さんの言葉に、僕はまた涙を流した。
「けどな、またこうやって他の世界で再会できたんだ。それってなかなか良い話だと思わねえか?」
「………」
「ここには、死んだ仲間がみんないる。きっと、仏さんが情けをかけて巡り会わせてくれたんだろうよ」
「うん……」
「ほら、もういい加減泣き止めよ。目ぇ腫れてっと、平助あたりに質問攻めにされるぞ」
「うん」
左之さんから綺麗に畳まれたハンカチを受け取って、一緒に教室を出る。
チャイムが鳴り自分の教室へ戻る直前、左之さんは僕の頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。
「もう、一人じゃないからな」
「うん」
左之さんはそのまま廊下を歩いて行ってしまった。
その後ろ姿を相変わらずの色男だなーと思って眺めていると、不意に後ろから肩を突き飛ばされた。
「いって!」
「総司!どこ行ってたんだよ!」
振り返ると、平助が立っていた。
もちろん平助も、元の世界のことは何も知らないんだろう。
「僕は、また君に会えて良かったよ」
「はぁ?!訳分かんないし!変な総司!」
確かに僕はもう、一人じゃない。
土方さんがいなくても、何とか頑張っていけそうだ。
もしここが本当に、向こうの世界で死んだ人しかいない世界なら、土方さんが向こうで死ねば、僕たちはまた再会できるしね。
まぁ、どんな理由であれ、土方さんの死なんて望みたくはないんだけど。
―――僕なら大丈夫だから。
彼に届くはずもないのに、僕は心の中で呟いた。
それから約一年後。
病気療養のため休職することになった教頭先生の後任に、他校から引き抜かれた先生が赴任した。
名前は、土方歳三。
赴任初日に挨拶していた姿を遠目で見た限り、紛れもなく、あの、土方さんだった。
まさか、たった一年で。
そう思うと、僕は嬉しいような悲しいような、複雑な気分にさせられた。
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