「あれ、土方さんどこに行くんですか?」
翌日、朝食を一緒に取ってから、土方は総司と共に実家を出てきた。
"黄泉がえり"について少し進展もあったことだし、邪魔なだけだから役所に行くのはいい加減控えようと思う……なんて昨晩宣言しただけに、土方の外出は総司にとって予想外だったらしい。
当然といえば当然の反応だった。
「久しぶりに、母校に顔を出そうと思ってな」
「ふーん。先生たちいるのかな?」
「誰かしら詰めてるんじゃないのか?」
「さぁ、どうだろう」
「ま、誰もいなくても勝手に校舎見学くらいはできんだろ」
「そうですね。僕も、教室に鍵がかかってるところだけは見たことがないです」
学校を見学できるかどうかは、土方にとってはどうでもいいことだった。
本当は、行きたい場所が別にある。
いよいよ覚悟を決めることにしたのだ。
他愛のない話をしながら蝉時雨の下を総司と並んで歩き、やがて別れ道に辿り着いた。
「じゃあ、僕は役所にいるんで。もし学校に入れなかったらこっちに来られるように、一応手配しときますね」
「おう、ありがとうな」
土方は坂道を上っていく総司の後ろ姿を見送ってから、学校へと続く道に折れた。
学校は素通りして、更にその先へ進む。
そのまま歩いていくと、人気のない墓地へと突き当たった。
田舎になると、寺がなくても山の斜面のあちこちに小規模な墓地があるのが自然な光景だ。
小さい頃は、そこここに点在している墓地を気味悪がってはしゃぐ同級生が沢山いたものだが、土方は昔から、墓地を怖いと思ったことが一度もなかった。
むしろ、先祖が眠っている場所だと思えば安心もする。
きっと、幼くして両親を亡くしたからだろう。
土方にとって墓地はいつも、目に見えない守り神のようなものと触れ合える場だった。
……そして今は、亡き親友と心を交わす場所でもある。
『近藤家之墓』と書かれた墓石の前で、土方は足を止めた。
油蝉が競い合うように鳴いている。
が、土方の神経は研ぎ澄まされ、何も耳に入ってはこなかった。
手にしていた桶と柄杓を一端置いて、墓誌に刻まれている真新しい戒名を指でなぞる。
新しいとはいえ、これが彫られてからもう久しい。
葬儀以来、数多くあった法事にも来ないまま何年も経ってしまった。
久しぶりに目にする親友の墓に、目頭がどんどん熱くなる。
「かっちゃん……すまねぇ……許してくれ…」
土方はその場にへたり込んだ。
あれは、寒い冬の日のことだった。
東京での一人暮らしが決まり、総司を泣かせて自棄になっていた土方の話を、近藤は駅前の居酒屋で親身になって聞いてくれた。
その帰り道、泥酔して車に牽かれそうになった土方を庇って、彼は命を落としたのだ。
近藤は土方にとって、家族同様の大切な存在だった。
その親友を、土方は半ば自分のせいで失ったのである。
周囲は何も言ってはこなかったが、総司だけが、容赦なく土方を責めた。
「あんたが近藤さんを殺したんだ――!!」
近藤が家族同様に大切なのは、総司もまた同じ。
むしろ、土方よりも近藤に傾倒していたほどだった。
「東京でもどこでも行けばいい!あんたが代わりに死ねばよかったんだ!」
土方は通夜と葬式にだけ何とか出席し、後は総司の言葉に追われるようにして、逃げるように生まれ故郷から離れた。
それから一度も帰らなかった。
総司に合わせる顔がなかったのだ。
拒絶の言葉を聞くのが怖かったから、連絡もしなかった。
代わりに死ねばよかったと思われているのなら、死んだように音信不通になっていれば、それは実際に死ぬよりも効果的に総司の心からいなくなれるのではないか…とそう思っていた。
弱くて情けなくて逃げることしかできない、自分は本当にどうしようもない男なのだ。
そうして、親友と恋人を一度に失い、見知らぬ土地で孤独に生きる悲しみや苦しみを分かち合える相手もいないまま、数年が経った。
自殺に至らなかったのは、近藤が自らの命を擲(なげう)ち守ってくれた命を、どうしても無碍にできなかったからという、ただそれだけのこと。
ここ数年間、本当はいつ死んでもおかしくない心境だった。
それでも時間の経過と共に火照ったり沈み込んだりしていた気持ちも冷静になり、何とか蹴りをつけねばならないと、転勤にかこつけて今回こうして帰ってきた。
近藤にも総司にも謝らないまま近藤の死から目を逸らし続けていることに、これ以上耐えられなくなったというのもある。
が、何かきっかけがなければ、土方は到底帰ってくる気にはなれなかっただろう。
そういう意味では、海外転勤もいいきっかけだったのかもしれない。
それほどまでに、近藤の事件は土方の心を深く傷つけていた。
「赦してくれ……かっちゃん…俺が悪かったんだ…」
墓前に膝をつき、両手を握り締めながら頭を下げる。
それからおもむろに立ち上がると、桶の水を柄杓で掬って、竿石の上から掛け流した。
火で焼かれるのが熱いから、こうして水をかけて冷ましているのだと、以前姉から聞いたことがある。
近藤は、苦しい思いをしなかっただろうか。
向こうで元気にしているだろうか。
土方は暑さも忘れ、数年分を埋め合わせるよう、ひたすら墓掃除に勤しんだ。
水鉢と花立に水を満たしたところで、花を買ってくるのを忘れたことに気付く。
すっかり忘れていた。が、まぁいい。明日にでもまた来よう。
そう決めると、土方は最後に、実家からこっそり持ち出してきた線香の束に、ライターで火をつけた。
しゃがんでそれを香炉に置き、風に乗って流れていく白煙をぼんやりと見送りながら、溢れそうになる涙を必死で堪える。
と、その時突然、聞こえるはずのない声が聞こえてきた。
「土方さんの母校が墓地だったなんて、びっくりなんですけど」
驚いて顔を上げる。
総司が、数メートル離れたところに立っていた。
「総司………何で……」
穏やかで、それでいて笑っているわけではない表情をして、総司はゆっくり近づいてきた。
手には花束を抱えている。
「今日は休みにしてもらったんです。最近黄泉がえりのことで忙しかったし」
違う。そんなことが聞きたいのではない。
「…定期的にここに来るんですよ。近藤さんとお話ししに」
総司は慣れた手付きで手向けの花をいけると、墓に向かって手を合わせた。
「何だか、不思議ですよね。お墓の中に故人が眠ってるわけじゃないのに、ただの石に向かって手を合わせて、お祈りするなんて」
「……骨が収まってるじゃねぇか」
「それにしたって、何だかピンときませんよ。外国なら、土葬だし、お墓にゾンビっぽいのがそのまま眠ってるわけだし、何となく縋りつきたくなる気持ちも分かるんですけど」
「ゾンビって、お前なぁ……」
「日本の場合、家にも仏壇を作るじゃないですか。で、そっちに遺影とか位牌とかを飾って、また手を合わせるじゃないですか。一体何に向かって手を合わせてるんだろって、思ったことないですか?」
「さぁ……どうだかな」
総司が淀みなく話し続けるのは、大抵他に言いたいことがあるのに誤魔化している時、と相場が決まっている。
今は本当に言いたいことが分かるだけに、土方は余計口を挟みづらかった。
「ま、土方さんは、お墓に向かって手を合わせるのも初めてですもんね」
「…………」
「一回くらいは、お祈りしといた方が良いと思いますよ。何に向かって祈ってるのか分からなくても、心は落ち着きますから」
土方が何も言えずにいると、総司はゆっくりと土方の隣にしゃがみ込んだ。
慣れた手付きで花束をバラすと、左右均等に花を供える。
向日葵の大輪が入っていて、近藤の笑顔を彷彿とさせた。
総司は手を併せて何かを祈ったきり、後は黙って墓を見上げている。
長く続く沈黙に、耐えきれなくなったのは土方の方だった。
「お前、何しに来た」
「…お墓参りだけど?」
「違う。どうせ、俺の後をつけてここまで来たんだろう。何か言いてぇことがあるんじゃないのか?」
総司が困ったように唇を噛んだが、一度溢れ出した言葉を止めることはできなかった。
「お前の所為だとでも、今更謝ったって遅いとでも何とでも言やぁいいじゃねぇか」
「ちがっ…」
「いくらでも罵られてやるから言ってみろよ」
「違う!」
総司が悲痛な声で叫ぶ。
「僕はあなたを罵りたくて来たんじゃない!」
「じゃあ何なんだよ!どうせ腹の中では、帰って来なきゃよかったとでも思ってるんだろうが!」
「違うってば!」
興奮した総司の目から、涙が零れる。
それを見て、土方はようやく我に返った。
卑屈な思いが、つい溢れてしまった。
「…………悪い。近藤さんの前で、言い争いなんざしたかねぇよな」
総司は暫く啜り泣いていた。
土方は気の利いた言葉一つかけてやれない自分にうんざりしながら、総司が"違う"と言う意味が分からずに考えあぐねる。
「土方さんは、知らないだろうけど、」
暫く黙っていると、ふと総司が口を開いた。
「誰一人、土方さんのこと、責めてる人は、いなかった、です…」
「嘘吐けよ。みんな、俺のことを疫病神みてぇに見てたじゃねぇか」
「違う………それは、僕の方だ…」
土方は訝しんで眉を顰める。
総司は何歩譲ろうが被害者のはずだ。
「僕が我が儘言わなければ、土方さんが泥酔することもなかったって。姉さんに毎日怒られました」
「な………」
「姉さんだけじゃない。村の人、ほとんどみんなそう思ってたはずです。あの時の僕の暴れっぷり、本当に酷かったから」
今まで知らなかった事実に、土方は瞠目して総司を見つめた。
何故、総司が責められる必要があるのか、土方には分からなかった。
確かに総司は派手に暴れていたし、土方はそれに心を痛めてもいたが、突き詰めれば総司の非行も原因は土方にあるのだ。
総司を責めるのは間違っている、と土方は思う。
「僕の所為で、土方さん、たくさん傷つきましたよね。心にもないことを言って、ごめんなさい」
「総司……」
「ただ、近藤さんが亡くなって、僕も動揺しちゃってたんです。感情の捌け口がなくて、つい、土方さんに当たっちゃいました。土方さんなら、僕のこと無条件に受け止めてくれるから。土方さんだって辛かったはずなのに……ごめんなさい」
「……………」
喉が渇く。目頭が焼け付くように熱い。
食い入るように地面を見つめて、こみ上げてくる感情を誤魔化してみる。
「土方さんが死ねばよかったなんて、嘘だから……僕、ずっと後悔してた。土方さんに会いたくて会いたくて堪らなかった…だけど、あんな風に啖呵切っちゃったから連絡が来るわけないのも分かってたし、もう、どうしようもなくて…」
「……………」
「僕、近藤さんのお墓に向かってね、いっつも土方さんと仲直りできますようにってお祈りしてたんです」
きっと近藤さんは、僕たちが離れたままでいることを望んでなんかいなかったと思うから。
そう、総司は言った。
「だから僕は、今回こうして土方さんが帰ってきてくれたのは、近藤さんが何かお膳立てしてくれたのかなって思っちゃいました。それくらい、僕、あなたに戻ってきて欲しかったんです」
「総司…」
「もう、僕のことは嫌いですか…?」
何も言葉が出てこなかった。
嗚咽を堪え、隣でうずくまっている総司を衝動のままに抱き寄せる。
すれ違ったままでいた時間が絶望的に長生きがして、間隙を埋め切るにはどうしたらいいのか検討もつかなかった。
「そんな訳ねぇだろうが……」
掠れる声で、鼻を詰まらせながら必死に言葉を紡ぐ。
「好きだ…ずっと好きだった……好きだったんだっ…」
「土方さん…」
「ごめん……ごめんな…本当に…悪かった」
土方は近藤の墓の前で、時間も暑さも忘れて長いこと総司を抱きしめていた。
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