「総司っ!!」
僕がジャックナイフを握り締めているのを見て、土方さんは慌てたように駆け寄ってきた。
「土方さん来ないで!」
「動くな!」
僕はリーダーの声に動きを止める。
あーあ。台無しだ。
リーダーは、土方さんに向かって拳銃を突きつけていた。
「くそっ………」
土方さんが両手を上げる。
「土方さん!!」
僕は慌てて土方さんを守るように突き飛ばした。
思い切り倒れ込んだ土方さんの前に膝立ちになって、リーダーを牽制する。
「沖田も痛い思いをしたくなければ動くな」
「ちっ……」
とうとうロックオンされてしまった。
どうしても死んでほしくなかった土方さんを、こんなところで危険に晒してしまうなんて。
「土方……ずっと会いたかったぞ」
リーダーは僕を通り越して、後ろの土方さんに向かって冷酷な笑みを投げかける。
「てめぇか。総司を散々な目に遭わせやがったのは」
「は……貴様らが捨てた子を、丁寧に育ててやったと言って欲しいものだな」
「育てただと?………ふざけんじゃねぇ。てめぇらはコイツを利用しようとしただけだろうが」
土方さんとリーダーが睨み合う。
「戯けたことを。貴様もそいつを手放すために、ここに来たんだろうが」
「違ぇよ。俺は芹沢さんに、約束通り総司を取り返してくれた謝礼を払いに来たんだ」
「謝礼?」
「そうだよな?芹沢さん」
一触即発の張り詰めた空気の中、土方さんが芹沢さんを横目で見やる。
「それだけというわけでもなかろう」
「?」
含みを持った言い方に疑問を覚えるも、芹沢さんがソファーにどっかりと腰を下ろし、上着の内ポケットから紙切れを取り出したことで気が削がれた。
「何ですか?それは」
リーダーが、聞いたこともないような慇懃無礼な口調で言う。
「小切手だ」
「そう、ですか………」
土方さんがお金を払ったってことは、僕が売られる可能性はなくなったわけか。
思わずホッと力を抜くと、後ろから土方さんが、ぎゅっと手を握ってくれた。
銃を向けられている手前振り返ることはできなかったけど、僕もそっと手を握り返してみた。
そうしたら微かに空気が揺れて、土方さんが笑ったんだろうということが何となく分かった。
……何だか、勇気が湧いてきた。
「芹沢先生は味方をしてくださらないのですか?」
予断を許さない状況の中、ソファーにどっしりと構えたまま顔色一つ変えない芹沢さんに、リーダーが問う。
「ふん……俺は殺し合いなどに興味はない。勝手にしろ」
芹沢さんは喉奥でクツクツと笑った。
リーダーは芹沢さんに気を取られている。
今がチャンスだと思った。
僕は咄嗟にリーダーに向かってジャックナイフを投げつけ、怯んだ隙に転がり寄って拳銃を弾き飛ばした。
こんなに地面を転げ回ってたら、せっかくの礼服が台無しだ、なんてちらりと頭の隅で思う。
「この野郎っ!」
リーダーの怒号が響く。
僕は遠くへ飛んでいった拳銃を追いかけるリーダーの足を掴み、不自由な体に力を込めて、必死でその場に踏みとどまろうとした。
つるつる滑る床の所為で上手く力が入らなず、次第に引きずられていきながら、それでも諦めずにリーダーの足を引っ張る。
と、そこで土方さんが俊敏に動いて、リーダーを蹴り飛ばした。
「がはっ……くそ、貴様…っ……!」
リーダーは僕を無理やり振り払うと、今度は土方さんに向かって掴みかかる。
慌ててリーダーを止めようとしたけど、足が動かない所為で、僕の手は虚しく宙を切った。
「土方さんに手を出すな!!」
大理石の上を転がりながら揉み合う二人を、何とか引き離す手立てがないか必死に考える。
高みの見物に徹している芹沢さんに頼るというのも一度は考えたけど止めた。
完全に僕たちの味方をしてくれるとは限らないと思ったから。
「………!」
その時目の端に、遠くに転がった拳銃が映り込んだ。
拳銃目掛けて、死に物狂いで床を這う。
肘が痛くて足の感覚もなかったけど、なりふり構ってはいられなかった。
「っそこまでだ!」
僕は拳銃を構え、リーダーに狙いを定めた。
床に座ったまま、リーダーに銃口を向ければ、僕の大声に驚いた二人が動きを止めてこちらを見る。
そして、一瞬の間があってから、リーダーは土方さんの首に手を回し、………あろうことか自分の方に引き寄せてしまった。
見れば土方さんの首には、先ほど僕が投げつけたジャックナイフが押し当てられている。
途端に土方さんが苦しそうな顔になり、僕は唇を噛み締めた。
「くそっ……!!!」
リーダーはニヤリと口元を歪めた。
「浅はかだな、沖田。これでは撃ちたくても撃てないだろう」
土方さんを人質にとられるなんて。
僕としたことが迂闊だった。
土方さんの喉元で冷たく光るナイフの刃が、僕の緊張を煽り立てる。
「どうした?手が震えているぞ?」
リーダーはこれ見よがしに土方さんを引き寄せながら、僕を挑発して高らかに笑った。
「ほら、俺を殺したいんだろう?なら早く撃ってみろ、ほら」
「……土方さんを離せ」
「なら銃を捨てるんだな」
「土方さんを離せって言ってるんだよ!」
「沖田、自分の立場が分かっているのか?コイツを殺されたくなければ、銃を捨てろ」
リーダーと僕の間に、押し潰されそうなほど重苦しい空気が立ち込める。
土方さんの首に食い込むナイフを見て、僕は生唾を飲み込んだ。
もし今僕が撃ったら、弾はリーダーではなく土方さんに当たってしまうかもしれない。
それでも万が一の可能性に賭け、自分の腕を信じてトリガーを引くべきか。
逡巡して追い詰められていると、不意に土方さんが僕を呼んだ。
「総司………」
「!!」
「総司、撃て」
「なっ!?」
土方さんは僕を見て、小さく微笑んだ。
「俺のことは気にするな」
「や、やだ…っ!」
引き金にかけた手が震えた。
もし、僕が撃ったりしたら。
僕はまた一人ぼっちになってしまう。
それどころか、斎藤くんたちを始めとする、土方さんを慕う人全員を絶望させてしまう。
それを考えると、銃口を向けていること自体が怖くてたまらなくなる。
「土方さん、ずっと一緒だって約束してくれたじゃないですか!」
「別に、俺は死なねぇよ」
「そんな、の……分からない…」
「総司、いいから撃つんだ」
土方さんは諭すように言った。
確かに、今この場を切り抜ける方法は、僕がトリガーを引く以外にはない。
取り乱している場合ではなかった。
僕がやらなきゃ、誰も助からない。
僕は土方さんの目をじっと見て、無理やり心を落ち着けた。
こういう時どうするべきなのか、僕はよく知っているはずだ。
大丈夫、僕にならできる。
「………………」
深呼吸をし、最後に薄い笑みを浮かべているリーダーを一瞥してから、覚悟を決めた。
脇を引き締めて、銃口がブレないように標的を見据えて、改めて拳銃を構える。
それから、僕は迷うことなく引き金を引いた。
カラン、と割れるような音を立て、薬莢が床に転がる。
そして銃弾は、真っ直ぐ土方さんへと飛んでいった。
*
リーダーは、驚ききった顔をして僕を見ていた。
芹沢さんは無表情に僕を見つめ、僕は自分の撃った弾が、スローモーションのように飛んでいくのを見つめて。
やがてパシュッと生々しい音がして、土方さんが崩れ落ちた。
「…そう、…じ…」
「沖田っ!き、さま………」
「………」
それから間髪入れずに、僕はもう一度引き金を引いた。
さながら血に飢えた殺人鬼のように、確実にリーダーに当たるように、何度も何度も狂ったように撃ちまくった。
こんな姿、土方さんには見せたくなかったのに……
「ぅっ……!」
僕はリーダーの数カ所から血飛沫が噴き出したのを自分の目で確認し、やっと安心してから慌てて土方さんに駆け寄った。
「土方さん!」
「そ、じ………」
銃弾は、土方さんの左肩に食い込んでいた。
床の上に鮮やかな紅が見る見るうちに広がっていき、やがてそれはリーダーの体から流れ出したものと混ざり合って大きな血溜まりになる。
「土方さん!」
僕は無我夢中で青い顔をした土方さんを抱き起こし、自らのシャツを引き裂いた。
細く帯状にしたそれを、震える手で傷口に巻きつけると、土方さんが小さく呻いて息を吐き出す。
「…っ……土方さん!」
苦しそうな土方さんに、僕は我を忘れて縋りついた。
確かめるように土方さんの手を握りしめれば、土方さんは薄目を開けて僕を見た。
弱々しい微笑みが此方に向けられる。
「総、司……」
「土方さん死なないで…っ……お願い…!」
「俺は、大丈夫だ……」
「僕が悪いんです…ごめんなさっ……ごめんなさいっ!」
「分かってる、から……自分を、責める…なよ…」
「だって……だって、僕が…!」
土方さんの顔に、僕の涙がポタポタと垂れる。
滲む視界で懸命に土方さんを見ようと目を凝らしていると、ふと土方さんの視線が後ろに動いた。
「芹沢さん……」
漸く高みの見物は止めたらしい。
電話を片手に、彼は無表情で僕たちを見下ろしていた。
「…………医者を呼んだ。もう間もなく着くそうだ」
今更何だと掴みかかろうとしたら、思いがけなく強い力で土方さんに引き止められた。
そこへ言葉通り救急隊員と思しき人たちが現れ、僕はやむなく動きを止める。
「そっちはもう助からんだろう。心臓を寸分違わず撃たれているからな」
土方さんに縋りついている僕の代わりに、芹沢さんが救急隊員に事務的な指示を出す。
「早く、早く土方さんの手当てをしてください!」
浅い呼吸を繰り返す土方さんを抱きかかえながら叫ぶと、救急隊員たちは僕から土方さんを引き剥がして、そのまま連れて行こうとした。
「待って!僕も行く!」
「沖田、お前は此方へ来い」
救急隊員について、担架に乗せられた土方さんに付き添おうとすると、芹沢さんに腕を引かれた。
「やだ!土方さん!土方さんっ!」
尚も運ばれていく土方さんに縋りつこうとすると、芹沢さんに強い力で押さえつけられる。
「芹沢さん……総司、を…うちの、者が来るまで、…頼む…」
横たわる土方さんが、弱々しく芹沢さんに話しかけた。
「ふん、礼は高くつくぞ」
「嫌です!僕は土方さんと一緒に行きます!」
「総司、聞き分けろ………だいじょう、ぶ、だ……すぐ戻る、から…」
「土方さん!!」
僕は芹沢さんに押さえつけられながら、屋敷から運ばれて出される土方さんを、呆然と見送った。
やがてその姿が見えなくなっても、僕は芹沢家の玄関先で、茫然自失として立ち尽くしていた。
背後では、芹沢さんが血で汚れきった玄関ホールを掃除するよう、使用人たちに指示を出している。
「全く、床を汚しおって」
ふと耳に入ってきたその言葉に、僕は激しく憤りを感じて振り返った。
そのまま芹沢さんにびっこを引きつつ歩みより胸座を掴もうとしたら、驚くほどの速さで手を払われ、僕は勢い余ってその場に尻餅をついた。
「………ふん、貴様が考えそうなことぐらい想像がつくわ」
「っ……あんたの所為で、土方さんは重傷を負ったんだ!!!」
「貴様が土方を撃った所為だろうが。責任転嫁はどうかと思うぞ、沖田」
「あんたが………あんたが助けてくれれば!僕は土方さんを撃たなくて済んだのに!!」
怒りに任せて感情をぶちまければ、芹沢さんは全てを見透かしたように鼻で笑った。
「助けを求めなかったのは貴様だ。助けてくれと一言言えば、俺は動いていたかもしれん。死者も出なかっただろうな」
そんなつもりなかったくせに、と芹沢さんを睨み上げる。
「そんなに俺が憎いか?俺は貴様の敵になるつもりはさらさらないが」
頭では分かっている。
芹沢さんは、確かに僕の敵ではなかった。
土方さんが怪我をしたのは紛れもなく僕の所為だし、芹沢さんは悪くない。
彼は、良くも悪くも、何もしなかったんだから。
だけど、誰かに当たり散らさないと、僕は不安と罪悪感と恐怖に押し潰されてしまいそうだった。
遣り場のない気持ちが、僕を酷く弱い人間にしていた。
「……あんたなんか大嫌いだ」
僕は吐き捨てるように叫んで、芹沢さんを拒絶するようにうずくまった。
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