「これからお前と一緒に出掛けることにした。支度して来い」
それから更に数日後、僕は突然土方さんの執務室に呼び出された。
「どこに行くんですか?」
「知り合いにお前を紹介しに行く」
すっかり仕事モードの土方さんの事務的な口調とその内容に、僕は驚いて息を飲んだ。
人前に出されるのは初めてのことだ。
怪我も完治していなければ、土方さんに弟がいることなど、世間には正式に公表されてもいない。
加えて僕は上流階級の嗜みや常識どころかテーブルマナーすら知らないから、とても表には出られたものじゃないと自分でも思っていた。
土方さんと並んで社交界に出るには、僕の生い立ちは後ろめたすぎる。
なのに。
「いきなり、どういうことですか?」
僕これでもまだ、組織に追われてる身なんだけど。
「別に、表立った記者会見を開く訳じゃねぇ、そんなに警戒するな」
土方さんの考えていることは、やっぱりよく分からない。
僕を傷つけようとしているわけじゃない。
そう思いたいけれど、少し不安要素も残る。
「ほら、俺が服を選んでやるから」
土方さんはそう言って、僕を部屋に促した。
ドアを開けてくれて、僕が先に中に入る。
土方さんは真っ直ぐクローゼットまで歩いていって、僕のために服を選び出した。
蝶ネクタイまで引っ張り出しているところを見ると、相当フォーマルな場所に連れて行く気なんだろう。
「僕、きちんと振る舞える自信なんてないんですけど」
部屋の中央に置かれたベッドに腰掛けながら言うと、短く「大丈夫だ」と返事が返ってきた。
「ただ、お前はその場にいるだけでいい」
「その場にいるだけって……それはそれで不安なんですけど………」
土方さんが出してきた靴下に履き替えながら言うと、宥めるように頭を撫でられた。
「大丈夫だ、俺がついてる」
くすぐったい気持ちになって顔を上げれば、土方さんは優しく笑っていた。
仕事モードではなくなったらしい。
そのまま中途半端に羽織っていたシャツのボタンを止め、仕上げに蝶ネクタイを結んでくれた。
「似合ってるぞ」
「僕は慣れないです、こんなの」
思った通りに文句を言えば、焦る必要はないって微笑まれて、何だか不完全燃焼に終わった。
そういえば、土方家の敷地から出るのももう随分久しぶりのことだ。
一人では階段を降りるのに時間がかかるからと、不本意――本当に、全く不本意ながら僕は土方さんに横抱きにされ、そのまま黒光りする車に押し込まれた。
車なんて初めて乗った。
戦車まがいのトラックのようなものは、今まで何度か見かけたことがあるけれど、皮のシートで、エンジンの音もほとんどしない高級車なんか見たことすらない。
僕は乗っただけで緊張した。
一体これから何が待ち受けているのか。
やがて静かに滑り出した車に揺られながら、震える体を懸命に抑えた。
*
「総司、着いたぞ」
大きな門をくぐり抜け、これまた大きな屋敷の玄関の前に車が止まった。
下手をすると、土方家の屋敷より大きいかもしれない。
僕はスモークのかかった窓から、呆気に取られて屋敷を見上げた。
その間に運転手が先に降りて、土方さん側のドアを開ける。
次いで土方さんが僕の方に回ってきて、僕のことを下ろしてくれた。
慣れない車に酔いそうになっていたところだ。
動かない地面に足をおろしたら、何だかホッとした。
「いいか総司、言ったとおり、ここから先は建て前だけの世界だ。上っ面だけ愛想良くしてりゃ、誰も文句は言わねえから。お前はにっこりしてろ」
「………」
「分かったな?」
「………分かりたくないけど、分かりました」
僕は土方さんに支えてもらいながら、屋敷の中に入った。
「土方様、ようこそお越しくださいました。暫く此方でお待ちください」
すぐに執事みたいな人が出てきて、僕たちを客間に通す。
僕のことは、お付きの者か何かだと勘違いしたらしい。
僕には挨拶の一つもなかった。
出された紅茶にこれでもかとミルクを垂らしていると、やがて扉が開いて、厳格そうな男が一人、入ってきた。
鋭いその視線に、僕はミルクを入れる手を止めて、ゴクリと唾を飲み込む。
土方さんは涼しい顔で、けれどどこかいつもとは違うオーラを身に纏って、隙のない動作で立ち上がった。
男は不躾な視線で僕を眺め回すと、何もかも察したように鼻を鳴らし、薄い唇を歪めた。
「土方……改まって何の用だ」
見た目にぴったりの恐ろしく低い声で、彼は言った。
「………あんたに、礼を言いに来た」
「礼だと?」
「………総司を、見つけてくれたからな」
土方さんが僕を振り返り、立つように目で合図してくる。
ぎこちなく立ち上がって、言われた通り笑おうとしたが上手く笑えなかった。
「別に、俺が直接見つけてやった訳ではなかろう」
「だがまぁ、あんたがいなけりゃ八方塞がりだったからな。今回ばかりは、あんたの本業に感謝した」
え、何?
話がよく見えないんだけど、土方さんはこの金持ちに僕を捜させたの?
「ふん、そうか。それでわざわざ礼だけを言いに来たとでも言うつもりか?」
「……いや、それだけじゃねぇ」
勿体ぶる土方さんに、僕まで緊張する。
いや、むしろ緊張してるのは僕だけかも。
「何だ、土方。いざ其奴を連れ戻したはいいが、早くも厄介払いしたくなったのか?ならば買い手ぐらいすぐに見つけてやるぞ。その容姿なら苦労はしないはずだ」
「違ぇよ!俺にコイツを手放す気はねぇ」
話が全く見えない。
何となく分かったのは、土方さんはどうやらこの男に借りがあるらしいことと、今すごく居心地が悪いことだけだ。
「あの、土方さん…………」
「総司、てめぇは外に出てろ」
「でも、…」
「俺の言うことが聞けねぇのか?」
「……っ………」
何時になく殺気立った土方さんの声に、僕は息を呑んで後ずさる。
「失礼、します…」
慌てて松葉杖を掴んで、転がるように部屋を出た。
俺がついてるから大丈夫だって言ってくれたのに、一人でほっぽりだされた。
これじゃあ僕が来た意味なんてほとんどないんじゃないかな。
土方家以上に広い屋敷は心許なくて、どこで待っていればいいのかも分からずに立ち往生する。
まだ心臓がバクバクしていた。
土方さんが僕にあんな態度を取るのは初めてかもしれない。
初めて敵意を剥き出しにされた。
深呼吸を繰り返しながらキョロキョロと辺りを見回すと、だだっ広い玄関ホールの脇にソファが置いてあるのが見えた。
玄関なら、土方さんも必ず見つけてくれるだろう。
そう思ってそこまで行って座り込み、頭の中で先ほどの会話を反芻する。
厄介払いしたくなっただとか、買い手を見つけてやるだとか。
どう考えても、土方さんが僕を迷惑に思ってるっていう会話だ。
お金が動くのは、裏で取引したい時か口封じをしたい時って相場が決まってる。
別にそんなことしなくても、僕は土方家の私生児です、だなんて誰にも言いふらしたりしないのに。
でも、買い手ってなんなんだろう。
僕、まさか売られるのかな。
まぁ、首には懸賞金もかかってることだしね。それなりの金額にはなるだろうね。
一人黙々と考えを巡らせている内に、僕の心には再び不信感がこみ上げてくる。
大切な家族だと、愛したいと言ってくれた土方さんを信じたいけど、だったらどうしてあの男はあんなことを淀みなく言ってのけたんだろう。
僕にはもう分からなかった。
その時、荘厳な玄関チャイムが鳴り響いて、驚いているとドアが開いた。
そして入ってきた人物に、僕の目は釘付けになる。
それは紛れもなく、懐かしき僕のリーダーだったんだから。
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