土方さんが危ない。
それは、僕にとっては喜ぶべきことのはずだった。
なのに、心臓はバクバクと早鐘を打ち、頭の片隅には助けなきゃ、なんていう思いまでが浮かぶ始末。
本当に、僕はどうしちゃったんだろう。
「ねぇ、看守さん」
僕は、扉の外で未だに頑張っていた見張り番に話しかけた。
「僕、お腹すいたんだけど。何か、食べ物を持ってきてくれない?」
「はぁ?お、俺にそんなこと言われても…」
「まさか、餓死させる気?」
「いや…そういうわけじゃないけどサ……さっきリーダーを呼びに行った時に、ここを離れただろ?あれ、物凄く怒られちまって…」
「じゃあ、その無線機で誰かに頼んでよ」
「う………ちくしょう、分かったよ。何が食いてぇんだ」
「え、選べるの?」
「あ、いや………」
「じゃあ、僕果物がいい!んーとね、桃!桃いっぱい食べたい!」
「はぁ?桃?」
「…知らないの?僕の大好物だよ?」
「そんなの知るか」
文句を言いながら、それでも要求通りに無線で桃を頼んでくれた見張り番を、少しだけいい奴に格上げしておく。
まぁ、どうせすぐに死んでもらうことになるんだろうけど。
「やっぱりりんごにすれば良かったかな………」
土方さんのところで食べ損ねたりんごを思い出しながら呟くと、外で聞いていたらしい見張り番に、我が儘を言うなと叱られた。
誰も君には話しかけてないよと怒鳴り返しながら、運ばれてきた大量の干からびた桃をさばいていく。
土方さんのりんごは、真っ赤に熟れていて、みずみずしくて、すごく美味しそうだったなぁ。
思いながら手の中の桃を見たら、沸々と怒りが湧いてきた。
そうだよ、土方さんはあんなに贅沢な暮らしをしてるってのに、僕はこのままじゃ、多分一生干からびた桃生活だよ。
そんなの嫌だね。
僕は、もうこんな暮らしは懲り懲りだ。
こんな組織なんか必要もなくなるくらい、平和な世の中で生きてみたい。
もう、人殺しなんかしないで済むような。
だからやっぱり、土方さんには消えてもらうしかない。
……………でも、何も殺さなくてもね。
なんて考えが頭を過ぎったのは、きっと気のせいだと思うことにする。
それから数日後、僕は牢屋から脱獄した。
「何としても探せ!見つけたら手足を切り落としてもいいから、何が何でも逃がさないようにしろ!だが決して殺すなよ?!」
「探せー!早く見つけろー!」
遠くでリーダーたちが騒いでいるのが聞こえる。
「まだそう遠くには行っていないはずだ!」
その上を下への大騒ぎを聞きながら、僕は一人ほくそ笑んだ。
ご名答。
声が聞こえる程度には、近くにいるよ。
ていうかむしろ、アジトの真上、屋根の上。
今までずっとここで育ってきたから、アジトの構造は頭に叩き込んであった。
どんな風に配管されているか、見張りはどこに何人立っているか、交代の時間は何時か。
それくらいの知識があれば、アジトから出るまでは簡単に出来る。
まぁ、丸腰で逃げおおせる自信まではないんだけど。
相手が多すぎるし、不利な点ばかりだ。
でも、僕はこのまま捕まるわけにはいかない。
行かなきゃいけない場所があるんだから。
手足を切り落とされるのも嫌だしね。
そろそろかな、とタイミングを見計らい、僕は屋根の上から移動した。
表向きはただのバーということになっているアジトから、なるべく足早に遠ざかる。
荒くなる呼吸を抑えながら、角を曲がった瞬間に走り出した。
追っ手はいない。
良かった。脱獄成功かも。
テロの日に森を走って逃げたことを思い出しながら一心不乱に走り続けて、市街地を抜けた辺りで、ようやく足を緩める。
「はぁ…………」
荒い呼吸を整えて、一息吐いたまさにその時。
すぐ近くで、パシュっという耳障りな音がした。
一瞬何だか分からなかった。
そして次の瞬間、左足の太腿が焼けるように熱くなった。
「!!っ…ぅ…ぁぁ……」
均衡を保てなくなった身体が傾いでいく。
そうか、撃たれたのか。
冷静な頭の隅で客観視する。
左足が、熱い。痛みが分からない。熱い。
何で、ここまで来たのに、急に撃たれるの?まさか、つけられてた…?
段々と意識が霧散していく。
倒れそうになった瞬間、誰かに抱き留められた。
驚いて見上げると、青い猫毛がふよふよと揺れていた。
「い、ぶき、君………」
「こんのバカやろう!」
何故か突然登場した井吹君は、一言そう宣ってから、僕を物影へずりずりと引きずっていった。
「ったく、お前は本物の大馬鹿やろうだよ!!」
井吹君がすごく怒ってる。
ていうか、何で君がここにいるんだ。
「井吹、く………なん、で…」
「いいから喋るな!今、止血すっから…」
「うぅ……痛い、よ…」
「仕方ねぇだろ!俺に何も言わないで勝手に脱獄しやがって!自業自得だっつーの!」
井吹君は自分の服を引きちぎって、素早く止血してくれた。
「つーかお前、どうやって脱獄したんだよ?」
応急処置をしながら、井吹君が聞いてくる。
「……………桃だよ」
僕は痛みを堪えながら、丁寧に説明してあげることにした。
「は?」
「だから、桃を持ってきてもらったんだ」
「…………桃でも投げつけたのか?」
「違うってば!!桃の種に含まれてる、シアン化合物を抽出したの!!」
「し、あ…?」
「…………青酸糖って分かる?」
「せいさんとう………?」
「………はあ、もういい。種の毒を取り出したとでも思ってよ。とにかく、それで見張りを毒殺して、鍵を頂戴したってわけ」
「へぇー………よくわかんねぇけどすげぇな」
「バラ科は絶対に棘か毒を持ってるからね」
「棘か毒、ね…………」
井吹君は思わせぶりに呟いた後で、ふっと苦笑した。
「でもよ、綺麗な花を咲かせるじゃんか」
「井吹君、バラなんて見たことあるの?」
「なっ!!失礼な!!!」
井吹君がいつもみたいに息巻いて、僕は初めて少し笑った。
「…………ほら、よ。できたぞ」
仕上げとばかりに、井吹君に足の付け根をぎゅうぎゅうと締められた。
感覚がなくなるほど強く縛られて、辛うじて歩けるけど、まるで足が自分のものじゃなくなったみたいだ。
「あり、がと………」
普段なら絶対言わないようなことも、場合が場合だけについ口にしてしまう。
すると井吹君は、おもむろに僕が着ていたシャツの襟首を掴んで、力任せに引き裂いた。
「う、わ!いきなり何するの!?」
せっかく土方さんから貰ったシャツなのに、目も当てられない状態になってしまった。
「はぁ……やっぱり気付いてねぇのかよ…」
「え?」
「ほら、これ!」
ずい、と何かを目の前に差し出される。
一見したところ、ごく小さなチップのようだ。
「なに?これ」
「小型のGPS。奴ら、最近使い始めたんだ」
「なっ…………」
「こんなもんつけてたら、どんなに逃げたって捕まっちまうぞ」
「何で……いつの間に……………あ」
思い出した。
そういえば、牢屋にぶち込まれた時に、襟首を掴まれたかもしれない。
あの時につけられたのかな。
「取り逃がしたのか?!」
その時、遠くの方で叫び声が聞こえた。
「いえ……暗くてよく見えなくて…確かに当たった気はしたんですが……」
「き、貴様は!!むやみやたらに発砲して、もし急所に当たって死んじまったらどうする気だよ!!」
「す、すんません……」
間違いない。
僕を撃った組織の奴らだ。
「げっ、もう時間がねーな」
井吹君は慌てて立ち上がって、僕のことも引っ張り起こしてくれた。
そして、いつになく真剣な眼差しで僕を見据えてくる。
「……これは、俺が預かってやるよ」
そう言って、先ほどのGPSをちらつかせた。
「え………?」
一緒に逃げる気満々だった僕は、その意味を測りかねて井吹君を見つめる。
「ど、いう…こと?それ、持ってたら捕まっちゃうよ……?」
「だから、俺が持ってくって言ってんだろ」
「何で!?僕と一緒に逃げてくれるんじゃないの!?」
「馬鹿か、お前。誰が沖田なんかと一緒に行くかよ」
「え…………」
井吹君の言葉に、不覚にもグサリと胸を抉られた。
そりゃあ、井吹君に今まで散々辛辣なことを言ってきたのは僕だけど、でも…
「僕たち、友達じゃないの……?」
そう。
井吹君は、孤独な僕の、唯一の友達だと思ってた。
「友達…………沖田、そんなこと思ってたのか?」
井吹君は、驚いたような顔をする。
「…………だって、……僕、………」
「…………マジか……そうなんだ……へぇ………やべー、なんか、感動したわ」
「へっ?」
今度は僕が驚いた。
「沖田、ありがとな、そうだよ、俺たちはダチだ、一生な」
「い、井吹君?」
「ま、つーことで、俺はお前の数少ないお友達だから、一緒に行けねえんだわ」
「何で?」
「その足で沖田が逃げ切るには、囮が必要だろ?」
そう言って、井吹君がGPSを掲げて見せる。
「俺が沖田にすり替わってやるから、沖田はその間に逃げろ」
囮………嘘だ、そんなの…そんなの……
「嫌だよ……井吹君、嫌だ、囮なんて、…一緒に行こうよ、ねぇ?」
「無理だ。一緒に逃げたら捕まっちまうよ」
「だって!最初に一緒にいたいって言ったのは井吹君の方じゃないか!」
そうだ……森で再会した時、井吹君は一緒にいてもいいかと確かに聞いてきた。
それなのに今更意見を覆すなんて身勝手だ。卑怯だ。最低だ。
「………あーもう!時間がねぇんだよ!さっさと行けって!」
「やだっ!何で!何でせっかく友達になれたのに!!嫌だよ!僕、一人では行かないよ!」
「いい加減にしろよっ!お前には行く場所があるんだろ?!会いたい人がいるんだろ?!まだ死ねないって言ってたじゃんか!」
「それはっ………」
「それは何だよ!!つべこべ言ってないでさっさと行け!!」
「でも!」
「俺の努力を無駄にしないでくれよ!!頼むから!」
「井吹、君……」
井吹君は怒ったように怒鳴り散らした後で、ふと黙って俯いてしまった。
「頼むから………生き延びてくれよ…」
「………………」
井吹君の、握り締められた拳が微かに震えている。
僕は何も言えずに押し黙った。
……僕に、生きろと言ってくれた。
こんな奴、初めてだ。
「……信号は、……こっちの方……ですが…」
「ここら辺に潜んで………じゃないか?」
再び断片的な会話が、先ほどよりだいぶ近くから聞こえてくる。
「………ほら。タイムリミットだ」
井吹君の言葉に、ハッと顔を上げる。
井吹君が、泣いていた。
―――あぁ、泣いてるのは僕も同じか。
「また会おうな、沖田」
「井吹くん………」
「別に心配しなくたって、撃たれやしねぇよ。沖田のこと、連中は殺したくないみたいだからな」
「…別に、……心配、なんか…してない、よ……」
「けっ……最後まで嫌な奴だな。泣きっ面でんなこと言われても、誰も信じやしねぇよ」
井吹君が、僕を急かすように背中を押す。
「……僕、キミのことは忘れないから」
「おう」
それを最後に、僕は走り出した。
左足の感覚がなくて、とても走るなんて言えないような代物だったけど、井吹君の応急処置のおかげで何とか頑張れそうだ。
涙を振り切るように、走って、走って、どこまでも走り続けた。
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