きみ攻略マニュアル
・中学三年生
・岩鳶高校入学志願者
「・・・で?水泳部入っちゃった、と。」
「・・・何か問題でも?」
PM7:00。
勉強を教えてもらう、ということを口実に怜ちゃんの部屋にあがりこんだ私は、本来の目的を作戦通りに遂行していた。
ほら、恥ずかしそうに眼鏡をクイっと上げる。
この行動パターンも予想の範疇だ。
「遙先輩かあ。そんなに泳ぎが綺麗なの?」
「そんなことより陸、ここの問題間違っています。」
「え?」
怜ちゃんが私のノートをトントンと指で叩く。
証明の問題だ。
「ここは式の構成上、この問題にある条件をここで提示しなければ美しくありません。」
「美しいとか美しくないとか面倒だよー。」
「頬杖をついていると歯並びが悪くなりますよ。」
「歯並びはもう遅いって。」
「そんなことありません。」
怜ちゃんには、こうやっていつもお小言を言われる。
でも、それは悪意から来るものではないから、そんなに嫌な気はしない。
「…ねえ怜ちゃん。」
「怜ちゃんはいい加減やめませんか。」
「怜ちゃんて泳げたっけ?大丈夫なの、水泳部なんて。」
「人の話を聞きなさい陸。」
「だあって、怜ちゃんて言えばさー。小学校の時も中学校の時も、体育で唯一出来ないものって言えば、水泳だったじゃん。夏休みの補習とかにも毎年呼ばれてたし。」
「もうあの時の様な醜態は晒しません。論理は全て頭の中に叩きこみましたから。」
「・・・計算だけじゃ泳げないでしょ・・・。」
眼鏡をきらりと光らせて、得意げに怜ちゃんは言った。
でも、彼のカナヅチ具合は凄いものだぞ。それをわざわざ水泳部に入部だなんて、一体どれだけ凄かったんだろう遙先輩とやらは。
「遙先輩の泳ぎ、私も見てみたいなあ・・・。」
「は?」
「私も岩鳶に合格したら、水泳部にはいったげるね!」
「た、確かに美しいとは言いましたが、僕だって直に、遙先輩みたいに・・・。」
「ふふふ、怜ちゃんは努力家さんだもんね。」
「そ、そんなことありません・・・!」
怜ちゃんをいじるのは、私の趣味の一つである。
何でも真に受けて何でもリアクション(大袈裟な)を取ってくれる怜ちゃんが可愛くて面白くて、いじめてしまうこともしばしばだ。
「陸の様なお子様に言たって、嬉しくありません。」
「なにい!?私の何処がお子様だって!?」
「わがままが過ぎる上に、あなたは味覚までお子様です。どうしてコーヒーにあんなにミルクと砂糖を入れなければ飲めないんですか。」
「だって、苦いし。」
「ピーマンもゴーヤも食べられないのは何故ですか。あんなに美味しい食べ物を。」
「う、だ、だって!」
「ほら出ました、"だって"。陸、自分の状況が悪くなると直にだってと言うのをやめなさい。」
「ぐ、ぐぬう……」
こうやって、彼はすぐに私を子供扱いする。たった一年生まれるのが早いか遅いかだけなのに。まあ私にもかなり原因はあるのだけれど。
怜ちゃんに口喧嘩で勝てた事はないに等しい。いつも私がぐうの音も出なくなって、
「ほら、勉強を再開しますよ、陸。」
ほら、こうやって得意げな顔をされて話が片付けられてしまうんだ。
私が不満そうな顔をしても、彼はテキストに視線を落としてみようともしない。
いつになったら、私は彼の隣に立てるのだろう。
勉強だって、運動だって、怜ちゃんに肩を並べられるものは無かった。
水泳だけは、私の方が(まだ)出来たというのに。水泳部に入ったら、きっと直にそれだって追い抜かれてしまうだろう。じゃあ私には何もない。彼に勝てるものも、彼に認めてもらえることも。
「どーせ私は子供ですよ・・・。」
つい、ぽつりと言葉が毀れてしまった。シャーペンを忙しく動かしていた怜ちゃんの手が止まる。
「……ごめん、何でもない。えっと、次の問題も証明だよね。」
「陸。」
怜ちゃんが顔を上げて、私の方を見た。
それでも、視線が交わる事はない。私が、教科書に視線を落としていたから。
彼に名前を呼ばれても、顔を上げる気になれなくて、怜ちゃんの代わりにシャーペンを手に取る。
「さっきのは少し、言いすぎました。すいません陸。」
「良いよ、事実だし。」
「…な、泣いてるんですか?」
「泣いてないよ。」
「じゃあどうして顔を上げないんですか。顔をあげて下さい。」
「ま、また今度…」
「あげなさい陸。」
怜ちゃんの、ゴツゴツ骨ばってて大きな手が、私の頬を包んでぐい、と持ち上げる。
合わされた瞳は何でかぼやけていて、怜ちゃんがどんな表情をしているのかがいまいちよくわからない。
「な、泣いてるじゃないですか…。」
「…これは目薬だよ。」
「差すタイミングなど無かったでしょう。」
「れ、怜ちゃんがこっち見てない時に…。」
「……凄いと思われる自分でいたかったんです。」
「え?」
どういうこと?
そう聞くと、彼は一瞬目を泳がせてからそれは、と口を開く。
「陸は幼馴染ですけど、あなたからしたら、僕は兄の様な存在でしか無いでしょうから…せ、せめて格好の良い兄でいようと。」
「れいちゃ」
「こうやって、自分が出来てあなたが出来ないことを見つけては自慢しいな態度を取るのはよくありませんね…でも、僕は陸の良い所もたくさん知っていますから。」
ふわりと怜ちゃんが笑った。霞んだ視界で主線がぼやけて、よく顔が見えないのがもどかしい。それでも、怜ちゃんがいま、とっても優しい顔をしてるんだってことは分かった。
「・・・今回ばかりは、許してあげよう。」
「ありがとうございます。」
お兄ちゃんだなんて、一度も思った事ないけどね。
おまけ
「怜ちゃんてツンデレさんなのかな。」
「何ですかそれは。」
「ツン:デレ=7:3くらいかな。割とデレてくれるよね。」
「なっ……くだらないことを行っていないで、勉強しなさい陸!!」
「照れてるー!」
「照れてない!!」
怜ちゃんに勉強教えてホスイ……
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