5月12日の朝。
 俺たちは玄関の外に出て、仕事と学校に出かける家族の見送りを一緒にした。
「行って来るぞ」
「武くんの事をよろしくね、薫くん」
「わかった。行ってらっしゃい、父さん、母さん」
「行ってらっしゃい〜」
「行ってきます薫兄さん、武兄さん」
「ああ、頑張って勉強して来いよ葉末」
「帰ってきたら遊ぼうな!」
 父さんの車に乗り込み笑顔で手を振る葉末に、俺たちも笑顔で手を振って見送った。
 車が見えなくなると、俺は武に振り返った。
「それじゃあ、先ずは家の中にあるものを全部教える。ついて来い」
「ラジャー」
 まず今後の仕事で必要になる掃除道具や調理器具を始め、爪切りや綿棒、葉末が隠している父さんの壊れた懐中時計の場所も教えた。
「おいおい、これは父さんに教えなくてもいいのかよ?」
「教えたら葉末が怒られるだろ?それに二人で直そうって決めてんだよ」
「へー…」
 武は俺の後ろをついて歩き、見て、時々触りながら、どんどんと記憶していった。

 午前11時。
 家の中の状況を全て把握した桃城と一緒に、俺はキッチンに立って昼食の準備を始めた。
「他の家と違って、ウチは母さんが殆ど家事をする。だから掃除も洗濯も料理も、そんなにする必要はねえが、母さんが出かけた時は何かやっておくと喜ぶんだ」
「なあ薫」
「なんだ?」
「この家にはさ、もうお前が居るよな。俺が来た意味って、なんなのかな?」
 シンクに寄りかかった武が、A.I.で思い付いた単純な疑問を投げかけた。
 俺は両手にトマト、セロリ、ベーコンの塊を持って、冷蔵庫を閉めた。
「…俺がもうすぐいなくなるからだよ」
「なんで?」
「テメエの頭ン中で、『株式会社アイエス』を検索しろ。それに関して、一番新しい情報を読み取れ」
「はいよ」
 俺の言葉に、桃城は宙を見たまま動きを止めた。
 家事専用モデルは家庭に関する情報処理は異常に早いが、それから以外の事になると途端に速度が遅くなる。
 それは人間が物思うに耽ったり、過去を思い出そうとしている所作に似ている事から消費者の好感を得て、企業側が改良しようとしない問題点だった。
 桃城が読み取っている間、俺はお湯を入れた鍋を電気コンロに乗せて、包丁を取り出し、まな板に載せたベーコンを5ミリ幅でスライスしていった。
「えっと…今年3月、『株式会社アイエス』が7年前に発売した家事専用モデル「K」シリーズに重大な欠陥が見付かった。アイエスは消費者に対して謝罪文書を公開し、また製品の回収またはリコールを呼びかけている」
 読み取った内容を口に出した武は、瞬きをしてから俺の顔を見た。
「お前、リコールされてんのかよ?」
「ああ」
「なんで?」
「重大な欠陥があるから、テメエで言っただろ?」
 俺はベーコンを切るのを止めて、包丁を持った手をぶら下げた。
「俺たちモデルにとって、重大な欠陥とは何か言ってみろよ」
「マスターを始め、人間を傷つけたり殺したり…って、おいお前まさか!」
「そうだ」
 俺は一歩踏み込んで武の襟を掴むと、逆手に持った包丁で武の首筋に逆刃を当てた。
「俺はテメエらと違って、人間に対する『セーブ機能』が働かねえ…」
 低く囁いた俺の声に、桃城はゴクリと喉を鳴らした。
「冗談…だよな?」
「…本当だぜ、モデルがマスターを殺したという事件はな」
 本当に血の気が引いた武の顔を見納め、俺は首筋から包丁を外し、襟を離した。
 武はホッとした顔をして、乱れた襟を直した。
「事件が発覚して直ぐに、アイエスはその詳細を「K」シリーズのマスターにだけ、極秘文書として通達してきた」
「マスターにだけ?じゃあ、なんでお前が知ってるんだよ?」
「マスターが…父さんが教えてくれたんだよ。『お前は一度アイエスに戻って、修理を受けなければならない』って。でもその文書には但し書きがあって、『修理の際に、システムを初期設定に戻す場合もある』と書かれていた。つまり、俺はアイエスに戻ると、この家で過ごした7年間の事が全部、消えるかもしれねえんだ」
「マジかよ…」
 俺は包丁をシンクの上に置いて、フシュー…と息を吐いた。
「いいんだよ。テメエらは半永久的かもしれねえが、俺が生まれた時代のモデルは、せいぜい5年が限度の単なる機械。寿命はとっくに過ぎてたんだ」
 俺は武に向き合った。
 眉間に皺を寄せ、内心が複雑、という表情をした武を見て、俺は少し微笑んだ。
『内心が複雑』という、そんな高度な思考回路がモデルにあるのか?聞かれれば、開発者はノーと答えるだろう。『迷う』『悩む』は、人間だけの専売特許だからだ。現時点の開発段階では、そこまでの機能向上を果たしていない。
 しかし俺たちモデルからすると、処理しきれない情報から引き起こる曖昧になった混乱は、やっぱり人間と同じ『複雑な気持ち』なんだ。
「あとは任せたぜ…特に葉末の、俺の大事な弟の事を」
「薫…」
 武は突然俺の腕を引くと、その胸に俺を抱きとめた。
 俺はその時、武がどういうつもりで俺を抱きしめたのか、全くわからなかった。
 けど涙を流せない俺の代わりに泣いてくれる武を見て、俺はその背中に腕を回した。
 葉末を抱きしめるのと同じ弾力をもった武。
 俺はこいつのカラダが、俺と同じ人工物である事に、少し嫉妬し、羨望した。
 その日の夜、夕飯の後片付けを武に任せた俺は、葉末と一緒に懐中時計の修理を始めた。
 解体した懐中時計のネジや歯車を、机の上に丁寧に並べた。
 その中で、時計の針を動かす一個の小さな歯車が、真っ二つに割れていた。
「新しい歯車を買ってこなくちゃ、駄目でしょうか?」
「そうだな。でも、もうこんなアンティークの部品なんて、普通の所じゃ売ってねえし…」
 ふと、俺はモデル開発をしているアイエスにだったら、これくらいのネジはあるんじゃないかと思い付いた。滅多に家を出ない俺の、葉末に対する言い訳にもなるし。
「そうだ葉末」
「何か思いついたんですか兄さん?」
「明日、ネジを貰ってきてやる。俺の知り合いで、こういう部品をいっぱい持っている所、知ってんだよ」
「本当ですか!!」
「ああ、だから今日はこのままにして、明日直そうな?」
「はい!」
 葉末は嬉しそうに大きく目を開け、俺を見上げた。
 俺は嘘を吐いていない筈だが、小さな罪悪感が生まれた。
 それを誤魔化すように、俺は葉末の小さい頭を優しく撫でる。
「じゃあ、今日はもう寝るぞ」
 俺の首に腕を伸ばした葉末を、俺は抱き上げてベッドまで運んだ。
「おやすみ、葉末」
 肩まで布団を掛けて、離れようとした俺の手を、葉末はぎゅっと握った。
「兄さん…僕が眠るまで、一緒に居てくれませんか?」
「葉末…もう10歳になったんだぞ?」
「今日で最後です。だから…」
 5年前に母さんが、葉末は勘の良い子だ、と言っていた事を思い出した。
 不安そうに眉をひそめる葉末の、額にかかった前髪を俺は梳いた。
「わかった。今日で最後だからな…」
「ありがとうございます」
 微笑んだ葉末は、フー…と息を吐いて、目を閉じた。
 俺は葉末が深い眠りに入って、握った手の力が緩むまで、葉末の寝顔をずっと眺めていた。





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