大欲は無欲に似たり
今日は切原が来てるからウチでレポート作成するのは無理だ、とメッセンジャーで断ると、隣に座っている鳳が、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして俺を見た。
「え、切原って、まさか立海大の?」
ミュージックプレイヤーのイヤホンを外して直接話しかけてくる鳳に、俺もイヤホンを外して答えた。
「そうだけど、何だよ?」
「だって、切原と日吉の接点がわからないし、なんか、仲良くしているところも想像できないし…」
オロオロする鳳を睨み付けて、俺はため息をついた。
「別に、仲が良いわけじゃない。昔から唐突にウチに来ては、部屋の中を勝手にいじって片付けてしまうし、俺がひとり暮しに始めてからは合い鍵を勝手に使って、部屋に入って洗濯もご飯支度もするから、喧嘩ばかりだぜ?」
「洗濯…ご飯支度…」
「毎週毎週、ウザいのなんの…」
「…日吉」
「ん?」
鳳は体の向きを椅子ごと変えると、俺の両肩を掴んで、涙目になった。
「今日はもういいから、早く帰ってあげなよ!」
「はぁ?だって、これ明日までの提出…」
「ダメ!今すぐ帰ってあげて!じゃないと、切原が淋しいだろ?!」
鳳は、俺の家に1人でいる切原のことをすごく心配しているようだ。そんな子供じゃあるまいし…と反論したが、鳳の声がデカすぎて、話が聞こえていた他のメンバーからもメッセンジャーで説得してきた。
『いいよ先に帰っても^^てか全然終わってない私の分を、先に終わった日吉に手伝ってもらってるわけだし…orzゴメンナサイ』
『立海大って神奈川だよな?中距離恋愛か。すげえ』
『毎週ウチに来て炊事洗濯してくれり彼女…俺も欲しい!(・∀・)』
『それ彼女というか家政婦だろwww』
『(・∀・)<愛もください』
『お金くれたらいくらでも<(o゜∀゜o)』
『デリヘルかよwww』
『下ネタ禁止!!』
『家事してくれるデリヘル嬢ってある意味最強』
『時給何万だ?』
『本当にヤメテ下さーい』
鳳以外のメンバーは、明らかに切原を女だと勘違していた。訂正しようかと思ったが、よく考えると同い年の男にそこまでされている俺の立場が微妙なので、黙っておくことにした。
『誤解してるみたいだけど、切原とは付き合ってないから、恋人じゃない。俺は先にかえるけど、無駄話してないでさっさと終わらせろよな』
『おまっ!付き合ってもいない子にそこまでやらせてるのか?!』
『彼女可哀相(>_<)』
『早く帰って、彼女に告白して優しくしてやるか、もしく今すぐ帰してやれ。付き合う気もないのに期待させるのは可哀相だろ!』
『同感』
『知ってたけど、日吉はクールだ』
『鈍感』
『俺にその彼女クレ!(・∀・)』
すっかり盛り上がってしまったメッセンジャーを閉じて、俺は打ち込んだデータを保存したフロッピーにを鳳に渡した。
「じゃあ、帰るから」
「うん、お疲れ様」
鳳は笑って俺に手を振った。他のメンバーもそれぞれのデスクから、手をあげたり振ったりしてきた。
パソコンルームから出た俺は、ケータイを取り出し、切原に電話する。3コールもしないで、切原の明るい声が聞こえた。
『もしもーし』
「俺だけど、今から帰るから」
『りょーかい!あのさ日吉くん、帰りにケチャップ買ってきてくれない?使ってたら途中でなくなっちゃった…』
「わかった。じゃあな」
電話を切って、俺は近くのスーパーに寄って行く帰り道のルートを思い描いた。
***
「あ、お帰り日吉くん!」
家に着くと、2人分の夜ご飯が並んだテーブルの前に、切原がいた。
「ただいま。買ってきた」
「サンキュー!」
俺はスーパーの袋ごと切原に手渡して、奥の部屋に着替えに行った。
「ねー日吉くん?」
「なに?」
「このプリン、もしかして俺用?」
目を輝かせてプリンを持った切原に、俺は頷きだけで返事をした。
「マジでー!超嬉しー!ありがとう日吉くん!食後に食べよーっと」
本当に嬉しそうな声を上げて、切原はそれを冷蔵庫にしまいに行った。
優しくするか、帰すか。
帰すことが出来たなら、とっくにしていた。
俺は自分の領域に誰かがいるのがすごく嫌な人間だから、実家の自室でさえ、家族以外の人間が入るのを嫌った。
でもこいつは、そういうのを全く構わずに踏み込んできた。どれだけ俺が嫌がって、怒っても、へらへらと笑って動じなかった。
嫌なものでも、ずっと視界に入っていればだんだんと慣れてくるもの。実家を出てここに来てからも、切原が当たり前にいるのを、俺は見過ごしていた。部屋の物を許可なく動かすなどの勝手過ぎる行動は、未だに許せないが。
同姓だから告白はありえない。
けど家事をしてくれることに、たまには感謝してやったらいいと思い、切原の好物を買ってきてみた。
思いのほか喜んでくれたことは、俺もちょっと嬉しかった。
でも、それもほんの束の間だった。
「じゃじゃーん!今日はオムライスでーす!」
着替えが終わってテーブルに着くと、目の前にあるオムライスに切原がケチャップで何かを描き始めた。
「…はい、出来た!どうぞ召し上がれ!!」
「切原、このやろう…」
卵焼きの上に、赤い線で描かれたのは、あまりに酷い俺の似顔絵だった。ほぼキノコに近い。
「ぶっはっは!日吉くんクリソツー!!」
「食べ物で遊ぶんじゃねえよ!」
俺はスプーンの背で、ケチャップの絵を消して、オムライスをすくって口に入れた。
「ひどい日吉くん!力作だったのに…」
「…苦い」
「ああ。卵焼きが失敗して焦げたから、そっちを日吉くんのにしてあげたんだ」
「ふざけんな!そっちよこせよ!」
「嫌だ!こっちの方がうまいもん!!」
卵焼きが焦げていない方のオムライスの取り合いが始まり、それがだんだんと取っ組み合いの喧嘩に発展し、俺がマウントポジョンをとられたところで、いつもの言葉が口から出た。
「もう帰れ!二度と来るな!」
「嫌だね。だって日吉くん可愛いし、面白いんだもん」
切原はへらへらと笑って、俺の顔を撫でる。
いつもこんな奴なのに。
ちょっとでも優しくしてやろうとした俺が馬鹿だった。
「降りろよ」
「日吉くんがもう俺に怒らないならね」
「卵焦がしたお前が悪いんだろ?」
「じゃあそれは謝る。焦がしてごめん。俺のあげる」
くしゃりくしゃりと頭を撫でられて気分は良くないが、撫でている本人の顔が恍惚としているので、俺は怒れなかった。
「あと…」
「ん?」
いま思ったことを、そのまま口にしていいものか。
俺は口を開いたまま、思考の迷路にはまった。
切原は立海大に通ってて、サークルもあるのに、時間さえあれば神奈川から東京までバイクで来て、合い鍵でここの家事全般をこなして、帰る。
どんなに遅くなっても、疲れていても、泊まって行くことは決して無い。
切原はどうして俺にここまでするのか。
俺は何も見返りを与えていないのに。
それとも切原は、こうすることでずっと何かを俺に求めているのだろうか。
何を、俺は求められているのだろうか。
何を俺は切原に与えるべきなのか。
それは義務か。
いや。
そうではない、と思う。
でも義務でなければ、何なのか。
口から前に出てこない言葉をかみ砕いていると、切原は俺に覆い被さってきた。大きな瞳が、目の前まで近づいてくる。
「日吉くんさ、誰かにくだらないこと吹き込まれて、ひとりで考えてるしょ?」
「別に」
「俺はね、日吉くんに色んなことをしてあげたくて、勝手にやってるんだよ。そんな俺に日吉くんが、怒るのも許すのも自由なんだよ。俺がね、日吉くんからどんな扱いをされても、俺は可哀相じゃない。俺は日吉くんに怒ってもらうことでさえ楽しいし、嬉しい…」
鼻頭がちょっと触れた後、切原は俺から離れてテーブルの前に座り直した。
「さーお腹空いた。いっただきます!」
俺が食べかけていた方を、切原は勢いよく食べていく。
なんだかんだで、俺もお腹がすいていたので、切原の向かいに座って綺麗なオムライスを食べ始めた。
「日吉くん、ケチャップかけてあげようか?」
「うるせえ。俺に構うなよ」
少し冷めたけど、しっかりと味付けされてケチャップ無しでも美味しいオムライスを、俺は全部たいらげた。
先に食べ終わった切原は、デザートのプリンをゆっくり食べながら、嬉しそうに笑っていた。
【end】〔 〕 【再録】
読み方=たいよくはむよくににたり
意味=大きな望みを持つ者は、小さな利益に目もくれないから、外見は無欲のように見える
日吉を一番幸せに出来るのは、赤也しかいない!!という境地に立った時に書いたものです。このころの自分、マジパネェ…
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