14


「止めてくれ、海堂!落ち着いて、話し合おう」
 海堂の手から生えた2匹の蛇に、俺は両手を挙げて降参のポーズを取る。
 すると蛇たちは口を大きく開けたまま、俺に噛み付く一歩手前で動きを止めた。
「ナニを話シあうんっスか?」
「約束を破って、その…海堂の今の姿を見てしまったことを、謝るよ。すまない」
「あンたは…裏切っただけジャナい。拒絶もシた。醜い姿ニナった、こノ俺を…」
 ボロボロと流れる真っ赤な血のような涙は、心が傷付いた彼の胸をも濡らしていく。
 一瞬でも、身体の半分以上が大蛇になってしまったその姿に怯え、振り払って逃げた自分の行為を、悔やんでも悔やみきれない。

 俺は腹を据えて、海堂の両手…2匹の蛇に、触れた。
「さっきは不測の事態に、すぐに気持ちが対応出来なかっただけだ。ほら、もう大丈夫だよ」
 ずっと大口を開けて威嚇をしていた蛇たちだが、こちらから触るとなんとも大人しい。俺の指先から肘にかけてスルスルと、甘えるように絡み付いてきた。
 不思議と、この蛇が海堂の一部と解ると、見た目も行動も愛らしく見える。そして真っ赤な涙を流す海堂を、とても可哀相に思う。
「一瞬でも海堂に嫌な思いをさせて、本当に悪かった。ごめんな、海堂」
「謝られても、許セまセン。俺はズっと、先輩を信ジてきたノニ!」
「そんなこと言うなよ。海堂だって何度も、俺を否定した事があるじゃないか。天使の羽に願い事までして…」

 海堂にプレゼントした、天使の羽。
 一回目の願い事は、俺を『普通』にすること。二回目の願い事は、普通になった俺を元に戻すことだった。
 それはつまり、『普通の俺』も、いつもの『普通じゃない俺』も、海堂は一度ずつ否定した事になる。
 あまり気にするつもりは無かったが、海堂の言葉に追い詰められていた俺はつい、その時のことを引き合いにしてしまった。

「シまシたけど、あの『普通の先輩』は、乾先輩ジゃナかッた」
「俺だったよ!あの時はただ、興味の対象がテニス以外のものに変わっただけだった。他に変わった事なんて無かったと思う。なのに、なんで海堂は俺を避けていたんだ?」
「避けられていたノは、俺の方ッスよ!先輩が普通ニナッてから、俺は全然一緒にいられナくて…」
「そんな事はなかっただろ。俺だって海堂と一緒にいる時間が欲しかったから、服屋にもCDショップにも誘ったんだ。でもそれを全部断ったのは…」

「うるサい!だって俺は、先輩とテニスがシたかったんだ!テニスが異常に好きな乾先輩が、好きだった!!それ以上でも以下でもない先輩シか、俺は欲シくナい…」

 肩まで上がってきた蛇が、俺の顔の横でシャーと鳴く。
 泣く。
 海堂は、ずっとひとりで泣いている。
 苦しい、辛いと。

 俺は蛇の頭を撫でながら、海堂の目の前に座る。
 涙で真っ赤になった顔を、ポケットから出したハンカチで拭いてあげた。
「俺も、海堂と一緒にテニスがしたいな。早く、元の世界に帰ろうか」
「断る…もう戻れナい、戻りたくナい。こんナ醜い姿を、先輩に見られたノニ…」
「どんな姿でも、俺からすると海堂は海堂だよ」
「恥ずかしい…もう消えてしまいたい…」
 俺の手に絡んでいた蛇が離れ、海堂の頭にユルユルと包帯のように巻き付いていく。
 はぁー、と息を吐き、俺は語り続ける。
「恥ずかしいことな。俺もたくさんあるよ、海堂。例えば小学生の時に体育の時間にバスケをしていたら、ボールが顔に当たって漫画みたいに眼鏡が割れただろう?それからサラダにドレッシングをかけようとしたら、蓋がちゃんと閉まってなくて頭も顔も乳白濁の液体まみれになったことがあって、あの時はもう婿には行けないと思った。あと遠足の日を一日間違えて学校に行った事があったよ。まあ、それ以来何でも連絡帳に書いたりメモするようになったんだけどな。それに最近では、トイレの入り口を間違えて…」
「もう、いいでス!聞いてる方も恥ずかシい!」
 顔を覆う両手の指の間から覗くように、蛇の身体の隙間から海堂の目だけが現れた。
 俺はその目をしっかり見据える。
「なあ、海堂…穴があったら入って引きこもりたくなるくらい恥ずかしい事は、俺にもあるよ。でもそうしないで、それまでと同じように生き続ける。死にたいくらい恥ずかしい事があった後でも、生きていればもっと良いことが、知りたいことがあるからなんだ」
「何が、あるんスか?」
「俺にとっては、お前だよ海堂。お前がいる。お前の事を、俺はもっと知りたい。もっと一緒にいたい。だからここまで来たし、絶対に連れて帰る。こうまでするのはつまり、俺は海堂のことが好きだからなんだ」
 自然に思いが溢れ出た俺の告白に、海堂は目を見開いたまま沈黙した。

 いや。変化している。

 見開いた目の黒目が、だんだんと大きくなる。
 耳まで避けていた口が小さくなる。
 頭に巻き付いていた蛇が短くなり、ラケットタコのある少し固い手の平が、透明な涙を流す顔を覆う。
「俺も…好きでした。先輩をずっと、好きです…」
 俺は海堂の温かな手を掴んで、顔を見た。
 シワの寄った眉間。鋭いけど大きな瞳。長い睫毛。ぷっくりとした頬。少し湿った、上は薄く下は厚い唇。
「帰ろう、海堂」
「はい…乾先輩」
 俺たちはお互いに手を伸ばして求めあい、強く抱きしめた。もう死んだ後でも、離れないくらいに。

「クッソつまらねえーよ!何だそれっ!バカかお前ら!?」

 一部始終を見ていたアカヤが、怒りの雄叫びをあげる。


〔つづく〕

2013/6/12 up



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