小説 | ナノ


  幻影の炎


 灯りだ。どこもかしこも見えない暗闇の中でちょうど目の前に淡く小さな深緑の炎が揺らめいている。
 何の灯りだろうか。近づいてよく見ようとすると、その炎は一本の白い蝋燭に灯っていた。何の変哲もない一本の白い蝋燭。しかし、その炎は先程述べたように暗い緑色をしている。ゆらゆらと煌いている。
 もっと良く見よう。そう、近づこうとした時だった。
『……これで終わりだ』
 小さいけれどこの静かな空間にそんな声が聞こえた。そう感じた次の瞬間だった。
 ふっという小さな吐息。
 あっと俺が息を呑む間もなく目の前の灯りは暗闇に溶けるように消されてしまった。
 
 
「白龍?」
 自分の名前を呼ぶ声にふっと意識が浮上した。机の上に腕枕をして沈んでいる自分の重たい体。
――ああ、なんだ。夢だったのか。
 口元を拭って顔を上げれば、上から見下ろしている人影に気付いた。紙袋を抱えた姿で苦笑している。
「どうしたんだ? こんな所で居眠りをして」
「……すみません。アリババ殿」
 ゆっくりと体を起こせば無理な体勢で寝てたのか節々が痛む。起きざまに両肩を軽く回せば、口元から自然とあくびを漏れた。
「……陽光が暖かったみたいで……つい、ウトウトとしてしまいました」
「白龍が居眠りなんて珍しいなって思ったよ」
 そう言いながらアリババ殿は机の上に手にしていた紙袋を置いた。少し重めな振動が机を伝わってきた。少しだけ開いているその袋口からは赤い果実が覗いている。
「食糧買ってきたから昼にしようぜ」
「そうですね。それでは俺が腕をふるわせてもらいます」
 食料を買ってくるのがアリババ殿の役目なら、料理を作るのは俺の役目だった。
 奇妙な同居生活の、数少ないルールの一つだった。
 
 
 大きな戦いがあって、俺達は生き残った。
 世界は疲弊して、大きな傷跡が残っている。
 
 俺とアリババ殿が二人で暮らすようになったのは、そんな時が始まりだった。
 世界は傷ついて俺達も尽力しなければならない。けれども、世界が負った傷も大きければ、俺達が負った傷も大きかった。
 魔法を使って傷を癒すことは簡単だっただろう。けれども、俺達はそうすることを拒んだ。
 少しだけ。少しだけ休むことを選んだ。僅かな時間だけでも一緒にいることを。
 罪悪感はあっただろう。災厄の被害から逃げたという引け目もあった。
 
 けれども、これから生きて行く為に俺達は心身の共に傷を癒すことを選んだんだ。
 
 
 
――そのはずだ。期日は、決まっていないけれど。
 慣れないまま始まった共同生活は体の傷のこともあり痛みを伴う生活だった。互いにゆっくりと言葉を交わす、最後の機会かもしれない。良く話をした。それまで交わせなかった言葉の分もこれからの分も話すように沢山。
 日々は幸せだった。痛みが伴わない日はなかったけれども。
 そうした生活を続けていて傷は少し癒えてきた。体中に残っていた傷も、心の傷も。
 そのはずだった。
 しかし、いつからかはわからない。俺は蝋燭の夢を見るようになっていた。
 深緑の蝋燭の炎の夢。
 繰り返し繰り返し何度も見た。
 それが何を暗示しているかはわからない。
 ただ、それは何か大切なもののことだったような気がする。理由ははっきりとわからない。ただの感情的な思い違いかもしれない。
 ここまで固執しているが俺は夢占いに興味はないはずだ、と自分に言い聞かせた。
 ちなみに俺達が暮らしているのに蝋燭はいくつも使っている。夜の灯りを得るのに必要だから。
 けれども、夢で見たような深緑の炎を灯す蝋燭なんて見たことがない。思い違いだろうか。それとも、深緑の炎を見たいと思っているのだろうか。魔法の道具でもない限りそんなことはできないのだろうし、深緑の炎を灯す蝋燭なんて見た記憶もない。
 
 
 でも、気になってしまった。どうしようもないくらい気になってしまっていた。
 
 
 気になってしまったのなら確かめるしかない。せめて家の中にある蝋燭だけでも。
 そう思えば行動は迅速だった。俺はアリババ殿が買い物で出かけている間に蝋燭が入っている籠の蝋燭に火を灯していった。
 籠に入ってる蝋燭なんて10本そこらだ。炎を灯していくのにそんな時間はかからなかった。
 
 結果から言えば深緑の炎を家の備え置きの蝋燭で見ることはできなかった。
――そんなの当たり前か。
 下らないことに時間を使った。と自嘲しながら、少しばかり先が溶けてしまった蝋燭を籠の中に戻していく。そんな時、机の端に置いていた一本だけが当たった拍子に床下へと転がって行った。
 思わずため息が口から洩れた。
 まったくついてない。下らないことを試したツケかと、しゃがみ込んで化粧台の下に潜り込んでしまった蝋燭へと視線を向けて――俺は目を瞬かせた。
 蝋燭が転がっている化粧台の下。そこに見慣れない小箱を見つけたからだった。
 
 まずは蝋燭を先に拾い、その後俺はその小さな木箱を手に取った。
 
 箱を開ければ、一本の蝋燭が中に入っていた。何の変哲もなく見える、白い蝋燭。
――なんでこんな所に。
 こんな所に隠されるようにして蝋燭が入っていたのだろう。俺は木箱に見覚えが全くなかった。それならばこの木箱はこの家に元々あったのか、もしくはアリババ殿がそこに置いたかだ。
 胸の奥に疑問を感じると同時に、俺の心臓が早鐘を打ち始めていた。
 
 


「ただいま! 白龍! 今日は魚が安く買えたんだ!!」
 だから今晩は美味しい魚料理を頼むな! と笑顔をアリババ殿は俺に向けてきた。
 改めて思った。なんて綺麗な笑顔だろうって。揺れる金髪も、嬉しそうに細められる琥珀の瞳も、何もかもが愛おしい。
「はい、まかせて下さい」
 そう答えれば嬉しそうにアリババ殿は魚を台所に置きに歩いていった。その間に俺は残った野菜を野菜を入れている籠へと移す。
「ところでアリババ殿。話があるんですけれど、聞いてくれませんか?」
「いいぜ? どうした?」
 俺は冷やしたお茶を陶器のカップにいれて机の上へと運んだ。そうすれば、アリババ殿は自然と席に着き、俺もその向かい側に座った。
「なんだ、話って? 生活に必要そうなものがまた何かあったのか?」
 その笑顔に答えるように、俺は小さな木箱を取り出して机の上に置いた。コトリ、と小さな音が互いに耳に入る頃には、アリババ殿は表情を凍らせていた。
「見覚え、ありますよね?」
「……それ、は……」
 目の前でゆっくりと開けば、蝋燭が一本、上質な赤布の上に横たわっている。俺はそれを目の前で取り出すと、机の上にある燭台へと立てた。
「どうしてこれを、使ったんですか?」
「…………」
 すぐに返事は返ってこなかった。まぁ、それも無理はないことだろう。
 目の前のアリババ殿はさっきの笑顔などもう見せてはいなかった。顔を青白くさせて、震えていたのだから。
「では、質問を変えましょう。どうして俺の記憶を消したのですか?」
 そう。この蝋燭は俺の記憶を消していた。
 魔法道具の一種だろう。俺がこの蝋燭に火を灯した瞬間、その消された記憶が全て浮き上がってきた。記憶が消される時と――、俺とアリババ殿が肉体の関係を結んでいた記憶を。
「……前の、関係に戻りたかったんだ」
 前の――とは、消した記憶の前だろう。震えた声で吐き出された想いを俺は冷めた目で見ていた。
「怖かったんだ。今の――足元がなくなりそうで、ここから動けなくなりそうで……」
 元は強引に俺が結んだ関係だった。淫らになるように彼に快楽を教え込んで、腕の中でかき抱いていた甘い記憶。
――そう言えばあなたはイく度に怖いと口にしていましたね。
 快楽のあまり自分がわからなくなりそうだと泣いていたのをよく覚えている。その甘い表情に狂おしいほどの愛おしさを感じていたことも。
「だから俺を……。俺を捨てたんですね、アンタは」
「悪かったって思っている! でも、でも怖かったんだ……っ。それに俺達はこんな関係になるはずじゃなかっただろ!?」
 小さくアリババ殿がジンの名を呼んだ。ボッ。小さな音と共に目の前の蝋燭に深緑の炎が灯る。
「白龍、この炎を見つめてくれ。そうすれば忘れるんだ! 今のことも取り戻した記憶も……。また前の関係に戻れる。ただの友達だった。あの頃に」
「……いいえ。この炎を見つめるのは、あなただけですよ」
 炎の先にいるアリババ殿を正面から見据えたまま、俺は口元を歪めた。
「俺が思いだしたのはあの記憶だけ、とはお思いじゃないですよね? 『幻影よ。炎よ。静かにその姿を現せ』」
 すでに灯っていた蝋燭の炎が俺の言葉に反応するようにその色の濃さを増した。
「あ……」
 小さく上がった悲鳴はアリババ殿のものだ。その視線は蝋燭の炎にくぎ付けになっている。
「逃げれませんよね。経験したからわかります。あなたは炎から眼を離せない」
 ゆっくりと立ち上がれば、炎の先にあったアリババ殿の顔が良く見えた。ああ、あなたはこんな顔を見せるんですね。
「あの時俺はただこの珍しい炎に見惚れていただけかと思っていましたが、これも一種の魔法だったんですね」
「い、嫌だ……っ。やめてくれ、白龍! 悪かった!! 俺が……悪かったからっ!!」
「辛い記憶は過去は、炎に全て溶かしましょう? 俺とあなたとでいくらでも未来は作り出せますから」
 炎に溶かすように、言葉をひとつひとつ紡いでいく。
「忘れましょう。全てを。あなたの生まれもバルバッドのことも身分のことも。どうして俺達が一緒に暮らすことになったのかも、俺を救いたいと思っていたあなたの、その透けた身勝手な願望も全て」
「……っ!! 気付いて、いたのか?」
「バレてないとでも思っていたんですか?」
 本当にあなたは身勝手な人だ。人の記憶を消して俺に怯えていたはずなのに逃げもせず傍にいるなんて。
「大丈夫ですよ。あなたが例え何を思っていたとしても、真っ白になったあなたを俺は深く愛します。身体は俺を覚えている。もう、恋人であることも隠さなくて済みますね」
 大きく目が見開かれた。その瞳に濃く映る怯えの色。ぽたりと、彼の頬を伝って落ちたのは涙だろうか。
「……許してくれ……。白龍……っ」
 今更どうしてアリババ殿は許しを請うのだろう。彼が償いたいと言うなら方法は一つだ。
 俺に愛されること。愛されて、その愛を受け入れることだ。
 そんなに怯えることはないのだと、俺は微笑んで首を傾けた。


「さぁ、忘れましょう。アリババ殿」
 今感じているその怯えも全て――。
 
  
 俺はゆっくりと揺れる深緑の炎を、吹き消した。

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