《Before, it's too late.》
#03_男の子、女の子:02



 マジ矢野くんに同情するわ、と、薫子は心底呆れた様子で、ため息をついた。

 直人が教えてくれなかったんじゃなくて、あたしが知らないだけなんだ。


 だって、薫子も知ってたし、季一先輩も知ってたもの。





 でも、あたしは直人に訊いておかなくちゃいけないことがある。


「直人、」


 ジャージ姿の直人の袖を掴めば、キュッ、と床を鳴らして足が止まった。

 その背中は、あたしに向けたままで。


「何。俺、部活あんだけど」

「何、じゃないよ。何おかしなこと言ったの、季一先輩に」

「別におかしなことなんか言ってねぇよ」

「だって、」

「あー、もう!」


 袖を掴んだ手を振り払うつもりだったのか、直人の腕が勢いよく上がった。

 同時に、あたしはその勢いに引きずられるように、バランスを崩しながら前に足を運ぶ。

 咄嗟にあたしが均衡を求めて捕まったのは、直人の脇腹で。

 振り返った直人が、あたしを見て、苦い顔をする。

 舌打ちを押し殺した重いため息が、気配を消して吐き出された。


「聞いたんだろ。なら、そのとおり間違いねぇよ」

「ねぇ、どうして彼女できたこと、教えてくれなかったの?」

「わざわざ言わなくたってよくね? みんな知ってるし」

「あたし知らなかったもん」

「…離れろ」

「直人」

「離せ」

「ねぇ、」

「離せって!」


 荒げた声とは対照的に、振り上げた腕を掴んだままのあたしの手が、そっと外される。

 その手が優しくて、思わず泣きそうになった。


「…佐織ってさ、ホント俺に興味ねぇのな」

「どういう――」

「――いや、いいよ。よく判ったし」


 脇腹に捕まった手は、直人が歩き出したことによって、弾かれるように指先が離れる。



 最後まで脇腹を捕まえていた人差し指が、いつまでもジンジンと痺れていた。







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