《Before, it's too late.》
#02_フェイク:12



「…何を、ですか?」


 訊いてもいいだろうか、と、思わないでもなかったけれど。

 いつもとは違う口ぶりだったり、今こうして抱き締められていたりする現実に、あたしは少しだけ、都合のいい考え方をしてしまう。


「あの彼、名前なんだっけ。佐織と同じ苗字の」

「…え、直人?」

「ああ、そうそう。矢野直人くんだ」


 何故ここで、急に、直人なんだろう。

 失敗した、という話と、何か関係あるのだろうか。

 だってそもそも、季一先輩と直人の接点て、何?

 唐突に直人の名前が出て、緊張で強張っていた身体中の筋肉が、少しだけ弛緩した。


「彼は、…」


 言いかけて、季一先輩は言葉を止めてしまった。

 失敗と、直人と。

 季一先輩の腕が緩んで、その手があたしの両頬を包み込み、指先が耳たぶを探って。


「…あぁ、とりあえず、どっか入ろうか」

「え?」

「ごめん、こんなに冷えてるのに気付かなくて」


 はぐらかされた?

 ううん、違う。
 そんなんじゃないよね。

 だって、季一先輩、何か言いたそうな顔してる。


「甘いもの、好き?」

「あ、はい」

「実は俺も好きなんだよね」

「季一先輩が? 甘いもの?」

「って言っても生クリームとかああいうのはダメ。和菓子ね。おしることか、葛切とか」

 笑われるから夏目たちには内緒、と言いながらも、少しはにかんだ季一先輩は、あたしにそんな秘密を教えてくれた。


 意外――なんて、思うより前に。

 あまりにも優しい瞳をして、『俺も好き』なんて言うので、甘味にすら嫉妬してしまう。

 もしも『俺も好き』なのが、甘味じゃなくて、あたしだったら…。


 あぁ、もう。
 重症だな、あたし。

 そんな想像だけで、季一先輩が冷たいと言った耳たぶから、火を噴いてしまいそうだ。



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