《Hard Candy》
#03_マサキ:10



「もし、まだ澪がマサキ先輩を忘れられないんだとしたら」


 スケッチブックに意識を向けたまま、由佳は諭すように続ける。


「マサキ先輩が、澪にとって初めてだから、じゃないかな。いろいろとね」


 遠回しに由佳の言わんとするところは、あたしにも判っていた。

 彼氏になったのも、夜中の電話も、甘い言葉をくれたのも、キスも、その先も、全部マサキくんが初めてだから。

 優しかった手が、笑顔が、言葉が、仕組まれたものだなんて信じたくないだけ。


 プライドの問題なのは、あたしのほうなのかもしれない。


「…雨宮くんが家まで送ってくれたの、昨日マサキくんに見られたんだ」

 デッサンはすっかり止まったままで、あたしは両手で筆を握り締めていた。


「え、ちょ――マズくない!? 鉢合わせたりとか」

「ううん、してない。…でも、雨宮くんのこと、どういう関係だ、って、訊かれたの。電話もメールも、一度も返事しなかったこと、文句言われたけど」

「あぁ…、ね、まぁ、そうなるか」


 由佳ももう、スケッチブックは見ていなくて、絵の具バケツを筆で掻き回している。


「あたし、もう、よく判んなくて」


 そこまで言って、チャイムが鳴った。

 2時間続きの美術の授業は、あと1時間ある。

 休み時間になって、美術室から出ていくクラスメートの足音が、波になって押し寄せる。

 零れそうなものを押し込めるように、あたしはきつく瞬きをして、視線を落とした。


「判らなくていいから、思ってること全部吐き出しなよ」


 由佳はあたしの手を握って、その手を包み込むと、宥めるように軽く揺する。

 休み時間の雑多な喧騒が、かえってありがたかった。




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