sousaku_box * settei





2012/05/29
布切れのフーガ * ニクスとシャロン

なんの飾りもないが、ゆるやかにかろやかに、きれいな弧を描くことのできるローブの裾から生まれたのだった。つるりと滑らかに重力を得たシルクは死骸に群がる愚かな鳥のひとみのような色をしていたが、それは月の真裏に潜むあれこれが残したまぼろしだったのかもしれない。そっと絹のすれる音もさせぬように気をつけてあたたかな寝床を抜け出した私にはそれを知る術は、もはや、ないのだった。

それは多分、絵本の中に存在していたお姫様の眠るベッドの天蓋にも似ていたのだろうなあと、気がついたのはいつのことだったろうか。おんなのこの寝息をそっとつつむ布のあたたかさはしらないが、想像することなら学んだので、ふうと息を吐いて目をつむれば子守唄だって聞こえるかもしれない。聞いたことのある歌といえば朝を告げるさえずりに木の葉のこすれる音、それらとまるでフーガのように並走するちいさなおんなのこのハミングだけだけれど、きっと私も真似事をすれば音を並べる事ができる。いつだって追いつかないように歌うのだ、慎重に、慎重に。おんなのこの裾を引っ掛けてしまわないようにそっと、追いかける。

その布になれたらどんなにすてきだろ。おんなのこをくるむための綿や、肌に柔らかく馴染む繊維。夢とおなじに織られるから、光があたるたびにきっといろんな色にかがやく……。それで君のためにナイトドレスをつくろうか、きっと、暗闇のどこにいても見つけられる。しかばねのひとみにだって、黒の見分けはつくのだ、混じりあうあれこれが、眼下に鮮やかで明るい。君がてらしてくれるからたしかな奥行きを手にいれたのに、私は君のほつれをなおそうと裁縫など知らない両の手で君の感情を手繰りよせて、そして……。

酷く絡まった私は、君のためにしたことすべてを後悔するだろうし、硝子の棺などつくらないでおんなのこの体を、顔をつつむためのとばりだけを持つだろう。そしてそのまま、おんなのこを抱えて逃げるのだ、日のあたるところまで、下品な鳥が間違えておんなのこを啄まないように。逃げたさきにはなにもなく、夜から裁断されたいきものの住処など日のしたのどこにもありはしない。ひとりきりだ。ひとりきりで、君から習ったようなふりをしてうたを歌っている。




2012/05/29
人間の地層 * ケヴィンとロミー

そのおんなのこのやわらかいかかとを鋭い欠片が突き破るのは容易だろう。そう知っていたから、小石の切っ先をひとつひとつ取り除いて、おんなのこのための道をひくのがおのれのしあわせであった夜が未だに地球の裏側に残っているはずだけれど、がさがさと渇き、自らを苛むささくれの鉤に悩まされているような掌をしてそれに触ることのむつかしさよ。できるだろうかと問いかけては、できないと瞼を閉じる、水晶体に刻まれたおんなのこをなくしてしまうのは酷く惜しい。

すこしでも傷をつけてしまえば、それがばらばらと、まばたきの度に割れてゆきそうで、ただじっと自らの手のひらを握りしめ、まばたきも堪えて立ち尽くしているしかできないのだ。じべたに落ちた視線だから光が瞳を焼くことはないが、それでも瞼の裏から涙は流れようとする。じわりと分泌されるものがすべてを洗い流す前に、はやくどうにか、なんとかしなければならないのに……。焦燥に駆られたところですべなどはなく、ああ、何も得られはしない、ましてや与えることすらできないのだ。ほかに担い手のいない棺をかつぐ薄汚れた男は、絶対的な力など持ちはしない。彼らはいつだってきれいな靴をはいて、やわらかかった皮膚をかたくしてゆくだけだ。今更、おんなのこのやわらかなまぶたは彼らに焼かれた、などとうらみごとを並べる気にもならない。そもそもこの言葉だって居所がわからないのだ、おんなのこの声をして耳に突き刺さる揶揄が自分の胸に隠してきた細切れの自己嫌悪だったのだと気付かないほどに賢くはなく、かといってそれらに胸を裂かれるほどに愚かにもなれぬので、あばらの辺りがあおぐろく滲む。すべてが自らの腹のなかでおこなわれ、脳のなかで死ぬのだ。

たったひとりの妹が、ひふを裂かれ、まぶたを焦がす。その瞬間を確かに見たことは一度だってないのに、どうして何度もそれをゆめまぼろしに見るのだろう。じっとりと汗ばんだベッドの上でもがき苦しむのはもう嫌なのに、そこにしかロミーが現れてくれないのなら、俺は何度でもそれを見ようと眠りにつくのだ。シーツの海でしか溺れられない俺の瞼を、かみさまは、射抜いてくれやしない。そして沈みきった身体を引き上げてくれるのは、確かに、あのとき眼窩に埋葬したおんなのこなのだ。やわらかいてのひらで、もう一度、ふれてくれるなら……くろぐろとした腹の膚を、悪魔のために裂いても構わないのに、檻のような肋骨のしたで何事もないように動く心臓は、まだ誰にも、かみにすら食い破られることもなく存在して、俺の皮膚ががちがちにかたまってしまうのをまっている。




2012/02/23
きみのとばり * ニクスとシャロン

私なら、貴方の目をそっとふさいでやることができるよ。柔らかいシーツのしわ、滑らかなベルベット、真水のように流血のように指の間をすりぬけるくらやみを持っている私なら。貴方のまぶたをそっとつつみ、耳に栓をして、くちびるを指でふれておやすみとだけ言えばいい。貴方のなかからもれだすものはもう何もないよ、すべて私がたいらげた。貴方にはもう、かなしみを感じる手立てはない、意思を失ったまぶたは重力に負けるだろうね……。
すべて幻だよ、そう言えたらな。貴方の隠し持っていたはらのなかみをすべて知ってしまったから、飲み込んでしまった針を引き抜くことができるよ、私になら。けれどその針の行く末はきっと私のはらわただ、ゆっくりと租借して、私は、君を二度殺すことになるだろう。体の中からそっと突き刺さるするどい尖端がどれだけ私を蝕むのかは、まだ知らない、涙を流す瞳の熱さすら。埋葬した悲しみに頭を垂れて貴方のしあわせを祈ること、それで癒えるものがあるだろうか。

(貴方に尋ねる最後の問題を考えている)

こそりとくすねたこころで選ばれた言葉は、ちゃんと自分の言葉として舌先を離れて行けるだろうか、音すら持たない夜だ、鼓膜を震わせる自信がないよ。身体中の水分を集めても、涙なんて出なかった夜の子供がひとの感情になにができようか……。

(さいごの夜をあげよう!貴方をいだくのは私のさいごのわがままだから……)

かなしみを知らなければよかったと、後悔をするにはもう遅すぎるのだ。貴方のために貴方を手放すことをどうか許しておくれ!ははよ、ちちよ、ちいさなおんなのこよ。死に至ることのない夜は訪れて、やさしい子供をさらってゆくだろう。咀嚼した感情で私は喚く、どうか彼女にさいわいあれ……。

(ああ、滑稽だなあ)
(私は私のさいわいを手放すくせにね……)




2012/02/14
酸欠 * ケヴィンとロミー

いき絶えるときは、あのこの柔らかい腕のなかがいい。それがきわに見ることのできるまぼろしだとしてもかまわなくて、脳細胞に及ぼされるきまぐれをまぶたの暗幕に映すことで、きっとしあわせだったことすべてがしあわせなままに終われる。それが悪魔へのちかみちだとこころの中ではわかっていたけれど、新鮮な空気こそ猛毒のように感じられて、俺はいきつぎの仕方を忘れた愚者のふりをした。顔をあげたくはなかった、このままじべたをじいと見つめて、とりのこされたあのこの切れ端を繋ぎあわせようとしていることが、楽なのだ。まばたき後の世界に、あのこは存在しないのだから。
月並みではあるが、結局、俺はひとりぼっちに戻りたくないだけなのかもしれない。一人で行う呼吸のさむさを知っている、俺が一日をすごす墓地などはいつだってひどくひやりとしていて、あちこちでいきをひそめた亡者が横たわるからだを狙っている。俺はその手をひとつひとつぴしゃりとはたいて回らなければならないから、しかばねの吐息を吸って、吐いて、死とおそろいに呼吸をしているのだろうな。あのこのそれとはとても似つかぬ、肌にふれるとじとりとはりつく掘りだした土の湿度。教会のはりつめた空気を震わせる声とは、違う。

(くぐもった声はどこへもゆけない)

さよならくらい、きれいな声で言えたらいいのにと思うけれど、きたない喉のせいにして悼辞を先のばしにしようとしているのはおのれだ。ほそくながい息をはいて、おんなのこのまぼろしをつまさきにみている、しかしまぶたは決して開かれない。それを望むものはもはや俺のどこにも存在していないだろう、使い古しのインバネスの下でどろ色に汚れた肺がひゅうひゅうと、酸素を欲して死んでいた。言葉もない。

(はいつくばる声はどこへもゆけない……)




2012/01/12
* ケヴィンとロミー

頭を抱えては、泣いて笑って忙しい。どうしようもなく情けないよ。かみさまは俺にも君にも、なんにもしてやくれないのに!ふたりとも未だに、胸元で十字を画く癖が残っている。どうだい素敵だろう、この子供は神のために仕えて、神のために死すのですよ。

「にいさんが、すきよ」

あんなに待ちわびた言葉が、今では俺を地べたに這いつくばらせるんだね。俺は、俺のために泣いてくれない君のために泣くよ。泣けない君の代わりに泣くよ。これはエゴで、自分勝手なことだとわかっている。自分の中でつくりあげた君のまぼろしに、俺は手を繋いでいてほしかったんだ、ただそれだけなんだ。今さら声を上げて泣いたって、声変わりの済んだ喉はかすれた音を頭蓋の内にこだまさせるだけだとわかっているのに。未練が手のひらを離せなくて、最後の審判に君を抱かせることができない、許してくれないか。君のためじゃないと、ちゃんとわかっているんだ。
ああなんて愚かしいんだろう。死んだほうがいいね、ふたりとも。




2012/01/12
けだものけもの * ニクスとシャロン

まっくらな森のなかで枝葉のあいだからもれだす光をやどしながら、ページをめくる音を聞いている。かわいた音が妙に胸に響くから、いつだったかシャロンが言っていた懐かしいという言葉のなかみを知ることができたような、気がするんだ。ふと、隣に目をやると、ベルベットの黒に身をあずけていたおんなのこはこちらを見てにっこりしている。
夜の色だね、ってシャロンは笑うけれど、夜ってどんなものなんだろう、まだわからないんだ。シャロンに言わせると、この身体は夜に似ているらしい。ふぅんとひとつ、相槌をうって、まぶたを閉じてみた。頭のなかに宇宙があるよってシャロンは言っていたんだけどなあ、夜と宇宙の違いって、なんだろう……。
こどもじみた疑問符をころがすと、シャロンはそれを拾い上げて優しい顔をする。それはね、それは、これは、あれは。ひとつひとつを小さな指先にのせながら、なにも知らないこのけだものに教えてくれる。夜はまっくらで宇宙もまっくらなら、まぶたのしたには何があるの。星になった人がゆくのは、どこ。
でも今は、少しウェーブのかかった髪を耳にかけて、シャロンはそうだねと曖昧な言葉を言うだけだった。なにがとは訊けなかったし、訊く気もおきなくて、自分のものである大きな爪をじっとみていた。なんだって教えてくれるシャロンは、ときどき、なんだって教えてくれなくなる。森の奥をひたすらさぐるように見て、ためいきをつく。それは、シャロンの目が光の届かないところに行ってしまった合図だった。どこか遠くになにかを探すシャロンは、確かに幼さをてのひらのなかに隠し持っていて、それを手放そうとしては諦めているようだ。少なくとも、なにも知らない私には、そう見える。
なにを抱いてるの、その腹のなかみは、なに?おんなのこは、なにも答えずに、口の端を不器用にゆがませた。

(腹のなかみを知らずとも、色ならわかる。でも、それだけわかっても意味はないんだね)

「死ぬって、なに」

喉の奥からそっと疑問をつぶやくと、シャロンは少しびくりとまぶたをひきつらせて、上下はりついたくちびるを引き剥がした。まつげが小刻みに揺れて、もしも私がいろんなことを知っていたら、その時こんなシャロンを見たなら、なんて気持ちになるんだろう。

「生きものが、ただのものになることよ」
「ただのものって、生きていないのかな」

ただのものって言うけれど、君があんなに大切にしていたテディ・ベアも、ページの端がぼろぼろになるまで読んでいた絵本も、貴方、まるで生きているように手にしていたよ。それはただのものじゃあないのか、誰かが買ってくれたから、誰かが読んでくれたからって、なにが変わるのかな。

「形見って、生き物の残りかすよ。まるで」

そのなかにきっと、だれかの死がつまっているんだとしたら、それってすごく。

(死ぬって、不思議なことだ)

シャロンがいつも大事に着ているその柔らかな黒い布のお洋服は、いのちをなくしたものに対して悲しんでいることの表明としてのカテゴリなんだっていうのは知っていた。そんなの、語らなくてもわかるのに、どうして着るのだろう。何に怯えているのか、悲しいことを忘れるのは、そんなにいけないこと?
悲しみを知らないけだものには、まだ、貴方のはらわたの苦さを知ることはできないね。

(たとえば君が星になったら、夜みたいな自分の身体を、君の真似をしてつややかな生地に隠したいと思うのかな、私は)




2012/01/07
うしろがみ * 小春と紅花

心臓ちかくを駆け抜ける温度を知っているよ。赤って、きっとこんな感じだということも知っている。どくんという音は体全体をふるえさせるということも、手が触れるだけでふたりがひとりになれることも、知った。
でも増殖し続けてゆくものに限りなどないし、電気信号は脳みそのネオンのようで光を知らないわたしの水晶体を庇うので、もっともっとと体は催促する。すべてを知りたい、なんて言ったら、誰かがわたしを裁くのかな。
無知は罪だからって、知りたがりも罪にならないわけじゃあない。好奇心はおんなのこの喉を噛みちぎるよと、いつだったかあなたはそっと耳打ちしてくれたっけ。

(あなたの手にこびりついて取れない罪には、わたしきつく目隠しをしたから、だから大丈夫でしょう、信じてるの)

誰だって嘘をつく。あなたの優しい嘘にわたしは騙されるふりをしたけれど、それだって嘘のかたちだわ。なんにも知らない、なんにも見えないおんなのこだと思ってくれて構わないの。その方がわたしも、あなたも、しあわせになれる。わたしは嘘泣きをしてあなたの裾を引くことを覚えたけれど、あなたはわたしが眠っている夜更けにそっと隣を抜け出すすべを知っているから、おあいこ。ぬきあしさしあし、しのびあしが上手ね。風の音に紛れては、わたしの横をすり抜けていく。あくまでそっと、わたしをかなしませないように。
だけど、指先がぷつりと、糸が切れるように唐突に触れなくなる瞬間だけは、心臓がひっくりかえってしまうんじゃないかって思うくらい怯えているのに気付いてほしかったな。暖かい毛布が急に冷えてゆく気がする、ひとりがふたりになって、元に戻っただけなのに、こんなにもせかいは砕け散る。まぶたを開いたってあなたの姿は見えない、けれど、月明かりをかいくぐるあなたの背中をそうまでして知りたいとは思えないの。目は口ほどにものを言うって誰かが言っていたけれど、舌先で滑らせた温度にだって血が通っているのだから鮮明に映してくれるよ。

(ひとつふたつと数えれば、頭のなかの灯りもおちて、本当にまっくらやみのなかでね、あなたの指先を探り続けているの)
(シーツの上をとぼとぼと歩くてのひらは、温度を求めている)

明日起きたら、怖い夢を見たのって言ってみよう。もしかしたら一晩中一緒にいてくれるかも知れないという、わたしの浅はかな企みとやわらかな期待が胸のしたにひっそりと潜んでいる。朝日を浴びて、くちびるを開いたそのときにこぼれ落ちるのでしょう、それまで嘘は暖められて待っている。蜜のように溶けでることもなく、ただそこにひめていた。

(嘘つきなわたしの舌も、あなたの舌も切り落としちゃえばしあわせになれるだなんて、とてもじゃないけどおもえないの、おやすみ、またあした)




2011/12/15
にがくわらう * ケヴィンとロミー

間違っていたのかもしれない、そもそも正しいことなど、どこにもなかったのだろう。あのこは風が窓をたたく音を怖がるようなこどもだったし、俺だって、そうだった。眠れないのだと言って手をひいたのは、もしかしたら俺の仕業だったかもしれないのだけれども、肝心なことはするりと頭から抜け出している。あのときにどんな気持ちでいたのかを、俺は上からぐちゃぐちゃに塗りつぶしたのだ。
同じベッドに潜り込むちいさなからだは、棺を運ぶことを生業としていた自分のてのひらでは簡単に、ばらばらにしてしまいそうだった。それに気がついた一瞬のうちに、あのこをさらってしまおうと考えたのだったと、思う。あのちいさなものを、そっと隠してしまうだけなら、母さんも父さんも目を瞑ってくれはしないかな……。
それは決して、あのこがただのこどもらしく過ごせるためになどと、それらしくも馬鹿馬鹿しい理由のせいでは、ない。それはやけに鮮明に確かに覚えていた。
結局、目を閉じていたいだけなんだ、自分の汚らしい思考、取捨選択を。最初から目盛の狂った天秤しかもっていないことを。

(ただのきょうだいになりたかったなどと、とても言えない、言ってはならないのだ)

あのこは生まれたその時から、俺などには知り得ない存在に対する供物であった。そのことはあのこが生まれるよりも、俺が生まれるよりも前からの決まりごとであったから、いまさら、なにを喚いているのかと嘲笑を買うに過ぎない。あのこのために俺が与えられた立場など、そばにいてあたたかいスープを飲ませてやれるだとか、みだれた髪を整えてやれるだとか、そういうものでしかないのだ。俺の手で扱うにはあまりにも、あのこはかみさまに近付きすぎていて、手を引いて逃げ出すことなど、出来なかったのだ。

(ごめんねと言えば、君は笑ってくれるだろうけど、もう君はあの子じゃないんだね)

すべて、自分の臆病のせいだったなあと、思い出してももうどうにもならないのだ。直視出来ない君の実像を前にしたら、俺は君みたいにうまく笑えないよ。安っぽい言い訳すら、出来ない。


(http://twitter.com/sousaku_box/status/140378651245027329)




2011/11/29
「もうつかれた」 * ケヴィンとロミー

むせかえるような腐乱臭は、花の匂いじゃあ隠せないのか。ならば、崩れてゆく君の手足も、未だなにも知らぬ腹も、俺はどうやって救ったらよかったのだろう。ずっしりと重い棺には花を沢山つめた、喜んでほしい、君の好きな花だけを集めたよ。
俺たちがただのきょうだいの真似事に没頭していたころには集められない、いろとりどりのあれ、これ、それ。すべて君のものだよ。灰色の石の壁に囲われていた空は、もう俺たちの腕のなかには収まりきらないほどにあるよ。
それなのにどうして、と彼女は言った。

(どうして、と言いたいのは俺の方だよ、君が泣きそうな顔で俺を見ているのは、どうして?このまま一緒に居さえすればいいのに……)

ひとりぼっちになんてならないよ、ひとりぼっちになんてさせない。ずっとてのひらを、ぴたりとくっつけて、どこへでもゆける……。

「もうとっくにひとりぼっちだよ、ふたりとも。ひとりぼっちとひとりぼっちで、ふたりにはきっと、なれないよ」

彼女は歌うように話す。きれいな声で、俺の心臓がじくじくと傷んだ。どうして、どうして?俺はわからなくなる、指先の感覚も、爪先のしびれも、すべて、どこか遠くに置き去りにされたみたいだった。

「にいさん、もう、わたし、ここにはいられない、いられないの。ねえ、もうつかれたよ」

(そうだ、俺ももう……)

「すこしねむりたいの、おねがいだから……」

(ずっと歩き続けて、身体中が痛い。もう、止まらなくちゃいけないんだろうな。俺ももうつかれた、もうつかれたんだ)
(君と一緒にいつまでもいたかった、それだけなんだよ……)


(http://twitter.com/sousaku_box/status/140378651245027329)




2011/11/28
* 小春と紅花

「そんなに暗いところで本を読んでたら、目を悪くしますよ」

ざあざあとうるさい雨が、窓の向こうで鳴っていた。書斎の床材、リノリウムは氷のようにひやりとしていて、革靴を履いている足にも堪える。しまった、紅花に厚手の靴下を履かせておくべきだった、と気がついたが既に遅い。気が利かないと言われたことは、これまでの人生で沢山あったけれど、それをこんなにまで気に病むことは、はじめてだった。

「だいじょうぶ、これ以上目が悪くなるわけがないわ」

見えないもの、と言う声が、雨の騒音をくぐり抜けて耳に届いた。失言だった、と下唇を噛むと、やさしい紅花は気にしないでと朗らかに言う。

「冗談だったの、嫌味でも、皮肉でもないわ」
「すみませんでした」
「気にしないでったら」

薄暗い書斎で、紅花の指が本の上の点字を滑るのがはっきりと見えた。窓から、雨のカーテンを抜けて差し込む月の光が、白い紅花の肌を照らしていた。
紅花は、目が見える俺よりもずっと賢くて聡明だ。きらきらとひかる瞳が、紅花の脳には情報をなにも与えていないなんて、信じがたい事だ。紅花はいつだって、俺のすべてを見透かしているように思えるのに。

「小春」
「なんですか」
「もしもの話を、してもいい?」
「はい、どうぞ」
「もしも、よ」

ちいさな彼女は、すううと息を吸って、ためて、言った。

「わたし、実は目が見えているの、って言ったら、小春はどうする?」
「……それは、もちろん、」

喜ばしい事だ。
そう言おうとしたのに、喉がつかえて続きが言えない。目の前の少女の視力が、たとえば、自分と同じくらいだったなら。きっとすべて、変わってしまう。俺はいつだって、静かに、そう信じていた。

(俺がここにいなきゃならない理由が、消えてしまったら。俺がここにいてはならないと、彼女が知ってしまう時が来たら……)

俺は、真っ白で糊のついたワイシャツが似合う人間じゃあないし、ぴかぴかに磨かれた革靴だってどこか滑稽だ。それでも俺は、彼女の側にいられる理由があったから、この格好だって幸せに思えていたのに。
彼女は賢いおんなのこだ。きっと目が見えなくとも、俺のことなんかすべて見透かしている。それでも、俺は彼女の聡明さに気が付かないふりが出来る。そう甘えていたのだ、情けないことに。
これがもしもの話でよかったと心底安堵している自分の愚かさも、きっと彼女には筒抜けなのだ。

「わたし、もしも目が見えるようになったら、はじめにあなたを見たい……。ねぇ、いいかな、きっとそのときまでは……」

(そのときまでは、側にいるよ。きっと、きっとね……)
(もしもにもしもを重ねた仮定の話に、薄ぼんやりとした希望を重ねて、俺は、君は……)

いつだって側にいたいのに、そう口に出すのはあまりにも虚しく感じるのは、俺も彼女も同じなんだろう。相手の言葉に透けてみえるそれは、だれにも触れられることがない。

「もう部屋に戻りましょう、ここは酷く寒い」
「そうね」
「手を」
「うん、ありがとう」

少しでも力を加えたら、ばらばらになってしまいそうな彼女のてのひらは、どこかにに置き去りにされていたように冷たい。彼女のベットに辿り着くまでの間、聞こえるのは履き慣れない革靴の音と、雨音にかき消されそうなくらいやさしいおんなのこの靴音だけだった。





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