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「この炊き出しはなぁ!俺らの為のもんなんじゃ!職も金もある一般人が食ってんじゃねえよ!!」


汚らしく怒鳴りつけるホームレスにすっかり萎縮してしまったファミリーは、今にも泣き出しそうな幼い子どもを庇うように身構えて、しかしそれ以上は動けないようであった。
なまえはかつこつと踵を鳴らしてするり、その男とファミリーの間に入り込み、チープなプラスティック製のお椀とスプーンを両手で持って、ひくっひく、と喉を引きつらせている子どもの頬を撫ぜる。


「笑って。美味しくお上がり。これはきみのものだから」


それからすらり、立ち上がり。
おろおろと対処しきれずにこちらを注視している女性社員達を視線で制す。


「なまえ・ナクナロルス美食會社長補佐です。何か問題があったようですがお話し頂けますか?」


にこり。笑って、ホームレスを見下ろす。琥珀の瞳は猛禽のそれで、口角は上がっていても目が笑っていない。きゅう・と細まった瞳孔は鋭く、若いが、とにかく凄みのある男に睨まれたホームレスはじりりと退がり、しかしこんな若造に、といった少しの矜恃が邪魔をして退ききれずに唾を飲んだ。


「た、炊き出しはホームレスを対象にしたボランティアだろうが!い、一般人にまでくれてやる余裕があるならーーー」
「お言葉ですが、このボランティアにおける奉仕を受け取る側が言うべき事ではありませんね? 確かにあなた方を対象としているボランティアではありますが、それ以外に奉仕しようがしまいが、それはこちらの自由であるはずです。職もなく金もなく憐れみの恩恵を受けるだけの存在が、随分と偉そうにするじゃないですか。今日の食事が温かく、美味しかった。それで満足が出来ないのですか? 欲張りは身を滅ぼしますよ。ああすみません、だから今そのようなお立場なのかもしれないですね。そもそもこのボランティア、我が社の女性社員による善意と有志にて行われております。彼女らの働きは無償なのです。しかしその資金がどこから出ているかご存知ですか? 我が社です。ボランティア活動による微かな売名ほどのリターンもないのに、ですよ。それとも、あなた方は何か私たちに返すものがお有りなのですか? それがあって偉ぶって好きに怒鳴り散らしているのですよね? あなた方が法律に守られ、生活保護を受けるべき弱者なのは承知です。だけど、こちらも人間です。感情があります。奉仕されて当然だ、と、弱者の立場を利用して喚き、当たり散らす人間に、誰が手を差し伸べたいと思うでしょう? 普通に考えればわかりますね。さて、では、あなたが怖がらせて今にも泣き出しそうなこの子と、この子のご両親に対して、あなたは何か言うべきことがあるでしょう。どうぞ?」


ぐうの音も出ない程正論で叩きのめして、なまえはにこりと笑った。絶対的強者の立場でしか生きた事が無いが、この場で相応しく無い心持ちなのは誰か、それは明らかだ。社会的立場があろうがなかろうが、収入があろうがなかろうが、なまえの価値観はいつも変わらない。振りかざされる力から、弱い方を守ること。
言い捨てるようにファミリーに謝って、すごすごと去って行ったホームレスを冷めた目で見送り、女性社員達にジェスチャーで炊き出しのスープをひとつ持ってくるよう伝える。
怖かったのか、我慢しきれずひぐっ、ひく、とぼたぼた大粒の涙を流している女の子を抱き上げて、なまえは地べたに座って膝に座らせた。


「さ、頂きますしようか? 名前は?」
「うえっ、う、…ッ!」
「お兄さんはなまえ。これ、おいしいよ。一緒に食べよ?」
「…り、す…リリス……ってゆ、の」
「リリスちゃんか。いい名前だ。ほら、ママとパパも一緒に。頂きまーす」
「いた、だき、ます」
「怖い思いさせてごめんな? はい、お口あーん」


ぐすりぐすりと鼻を啜るリリスに程よく煮ほぐれたじゃがいもを食べさせ、どう?と笑う。冷たい琥珀はなりを潜め、柔らかく穏やかな色をして。


「おいしい」
「それは良かった。俺も食ーべよ」


柔らかい綿のハンカチで涙を拭い、細い髪を撫でつけ、自分で箸を持つリリスとその両親と共にたっぷりのスープを平らげる頃には、騒ぎはすっかり忘れ去られて、場はわいわいと楽しげな雰囲気に戻っていた。
が。ファミリーと別れたなまえを迎えたのは、仁王立ちのレイであった。にっこり笑っているが、目が据わっている。


「レイちゃん」
「貴方」
「はーい?」
「あれが問題になったら、誰が始末しなければならないかわかりますね?」
「勿論、レイちゃんだね」
「美食會の社会的信用に繋がる問題ですよ」
「そんなにプリプリ怒らないでよー。ホームレスに何ができる? 報道社へのタレコミ? ネットでの批判?」
「それは…しかしですね、貴方は強引過ぎます。一人を悪者に仕立て上げて場を収めるのは早い方法ではありますが、」
「はいはいごめんね。あそこは俺が悪者になるべきだったよね。でも俺、ああいう奴大っ嫌いだから無理だよ。己の立場に胡座かいて厚顔無恥でさ。ぶちのめしたくなる」
「子供ですね」
「ふふ。ごめんねーまだこれでもピッチピチの19歳なのよ、俺」
「話を逸らそうったってそうはいきませんよ。貴方ももう美食會の一員なのですから、会社の利益を重んじて、」
「重々わかってるよ。会社に損させるのは俺も本意じゃないし。じゃあ何? あのホームレスを口止めがてら消せばオッケー?」
「なまえ!」
「もー、そんなに怒らないでってば。やんないよ。冗談だよ」


本当に?と聞き返すレイに、なまえはにっこり微笑んで返した。イエスとも、ノーとも取れる。ため息を吐いてから駄目ですからね、とレイが言って、なまえもはいはいと仕方なく答える。
じゃあ見回り再開するね、とほてほて歩いて行くその背を見ながら、レイは再度大きなため息を吐いた。なまえの言うことは最もであるが、人間そううまく出来てはいない。なまえが求めるような人格者など、そうそう存在するはずが無いのだ。増してや深く関係するでもない他人に、そんな人格を見出せるはずもない。
なまえは年齢を鑑みれば社人としても人間としても早熟であり得ないほど優秀であるが、早熟が故、見切りや切り捨てが早いといったリスクもある。その判断力を疑っているわけではないが、あの固有のフラットな感性は、殆どの場合社会的には理解されない。
今回の件に限って言えば、社会的弱者に対して力を振り翳したなまえが完全に悪であり、バッシングの対象となるのは目に見えている。美食會という知名度と、彼の姓の持つ名声を考えれば、どこにパパラッチが潜んでいるか知れず、報道各社への圧力を掛けなければとレイは考えた。


**


翌日、日曜日。当然会社は休みであるが、月曜日になっても、どこの雑誌にも新聞にも、件の騒ぎは取り沙汰されていなかった。火曜日になっても同じ。
昼下がり、社長室から出てきたなまえを捕まえたレイは近場にある鰻屋で向かい合って座りながら、じつとなまえの目を見た。目が合えば、ほにゃりと表情を崩して年相応の可愛らしい表情で笑う。
若いくせに比類なき程聡明で、スレていない。が、時折あざとく裏にも通じ、しかし平然としているその豪胆さは流石、あの両親ありきといったところだ、とレイは思った。


「なーに?」
「……"何"をしたんですか」
「レイちゃんがしようとしたことを先回りしてやっただけよ?」
「それにしたって手が早過ぎます」
「…。報道各社に友達が居るの。写真が上がってくるより先に皆に電話してこんなことがあってさーって話しといた」
「…………………………」
「横の繋がりって、大事でしょ?」


にんまりと笑うその笑みが、深い。友達関係すらビジネスの駒として、完全に懐柔して手にいれているあたり恐ろしい。しかも報道関係のある程度権力を持つ層にだ。この調子ならどんな世界にも一人以上、その手の友達がいるのだろう。顔の広さと、それを繋ぐコミュニケーション能力、魅力的な人柄。
恐ろしい程に完璧。そしてなまえは、それを苦もなく"演じて"、気付かせない。どこまでが演出で、どこからが本当のなまえなのか、その境目が存在しないくらいに。いや、むしろ、全てなまえの性格なのかもしれない。裏表ではなく、全てが多面。仕事もプライベートも同じひと繋がり。
きっとなまえは四方八方を敵に囲まれていたとしても、その中から味方を作ってそのうちに、形勢を逆転する。そんな力がある。


「ねーねーここレイ先輩の奢り?一番良いの頼んでいーい??」
「…好きな物になさい」
「わーい!すみませーん!オーダーお願いしまーす」


きゃぴきゃぴと楽しげに、遠慮なく一人前18000円もする特上のうな重を頼むあたり、本当に肝が据わっている…。まあ、収入額を鑑みればこの程度の食事を毎日したところで懐は痛まないし、恐らくそこまでわかっていて甘えてくるのが憎めない。それよりも、そこを承知でこんな後輩を可愛がってしまっているのだから自己責任だ。平時のランチに平然と一人前18000円って貴方、本当に何なんですか。もう。


「ボランティアはどうでしたか。ああいった活動は初めてでしょう?」
「もう二度とやりたくないなあ。会社のコ達はいいけど、その他には腹の立つ人間の多いこと多いこと」
「それは、貴方が狭量なのでは? 人間に対して夢を見過ぎですよ」
「そんなのわかってるよ、世の中七割クズだってことはさ。自分が実際はそれほど立派でないことも」
「コドモですね」
「そうなんだよね、仕方ないよ。経験が浅いんだもん。俺の周りには良識人とか人格者が集まるから、それは恵まれているよね」


こんがりと炭火で焼いてはタレに浸して焼き上げられた蒲焼きをツヤツヤの白ご飯に乗せた重が定食スタイルで運ばれてくる。きらきらとした目で嬉しそうにその到着を迎え入れると、なまえはぱんっと手を合わせて、頂きます!と宣言した。


(ああー美味しかった!ご馳走様です、レイ先輩)
(はい。良かったですね)
(今度我が家のディナーにでも遊びに来てよ。母さんと一緒に腕振るうよー)
(それは是非とも行きたいですね。近いうちにお邪魔します)


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