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高等部卒業後、惜しまれつつ大学進学を断り、すぐに美食會へと入社したなまえが副社長子息であることは周知であり、"鳴り物入り"と揶揄されたが、その遍歴故に会社重役達には名も顔も在学時からの経営的手腕も知られていた為、上層部にはその入社は大変喜ばれた。幼い頃より会社に出入りをしていた為年上の重役達の覚えがよく、可愛がられ、しかしその過去を知らないある一定から若い社員達にはコネだ贔屓だと激しく疎まれる傾向にあったが、本人は至ってどこ吹く風。
彼にとって新入社員というのはその時与えられた肩書きでしかなく、これまで秘密裏に社員としてではなく個人的に関与した仕事やその功績があることは知られていない、それ故の反感であるのだから、人間の感情としては当たり前であるしその疎みは当然だとも思う。しかし今からこれまでのコネクションや過去あったことを全部白紙にして、新入社員らしく先輩から与えられる簡単な書類整理や会議室を整えたり、社内文書を作ったりする程度の仕事をするというのも馬鹿らしい話であった。
故に、やることはたったひとつ。与えられる仕事、或いは己自身でもぎ取ってきた仕事において最大限の功績をあげ、その実力で周りを捩じ伏せること。それさえ半年でやり切ったなまえは、秋には誰の反対に遭うこともなくすんなりと社長補佐に就いた。簡単過ぎた。よく回る頭で一手のミスもなく遂行される仕事、仲間内での反発による滞りがあってもそれさえ見越して全体の動きを統率し、必要ならば己で自ら労働する。ラクをしようとしないその姿勢で同輩達を黙らせて信頼を勝ち得、実力主義のもと成り上がった。もともと持っていたコネクションに露ほどの協力も得ず、その力のみでのし上がる。その力があったし、大学を卒業してから入社して来ている年上の同僚達に対してはコミカルで親しみやすいその人柄が完璧と言えた。ただ一人、社長・三虎の前"以外では"。


「社長、これとこれとこれとこれ、書類に不備が。やり直しです」
「代わりにやれ。許す」
「嫌です。甘えんじゃないですよ。社長が捺すからこその社長印だと何度言えばご理解頂けるのですか? あとこちらは捺印ではなく直筆サインです。プリントし直してますからやり直し。大丈夫ですね?」
「ちゃんとやっている」
「ちゃんとやれてないから私が注意してるんでしょ!いい大人がチョー面倒くせぇ〜って顔しない!ほら!ハンコ!ここ!ここ!ここも!こっちはサ・イ・ン!はいオッケー!今度はこれ、さらっとでいいんで読んでから最後の署名欄にサイン」
「口煩いのが増えたな…レイの兄弟かお前は」
「仕事振りを誉めて下さってるんですか? どーも!」
「…………はあ」
「嫌なら辞めますけど? 俺はどこでも生きていけますけど?」
「それは困る」
「でしょう? ああここ、ハンコ下さい。どうも、あとは私がやります。あと30分頑張ったらブレイクタイムしましょ」


ばさりばさりと大量の処理済み書類を仕分けして社長代理の捺印をし、社長でなくてはならない部分は社長に捺させ、処理するだけのものは横に積んで、取り急ぎの仕事をばりばり処理してゆく。その仕事量は社長や副社長に比肩し、その上社長の仕事が捗るよう補佐もこなす。これ以上有能な補佐(兼秘書)がどこにいるだろう。しかもそれを、ある一定の余力を残しつつやるのだから極上の逸材である。
パソコンを幾つも同時に操り、尋常でないスピードで書類を捌いてゆくなまえは彼の父が如く腕が八本あるのかと錯覚するほど。よく育ったものだと思う反面、恵まれ過ぎているが故に不幸だなと思う部分がある。彼にとって今は幸せか?と自問する。会社という枠に捕らえて離さないのは、彼の持つ翼をもいでしまっているのではないか。問うても、当然なまえ自身でないのだから答えは出ない。


「明日早朝ですが七時に、社長宅にハイヤーの手配をしてあります。その足で空港に向かい、チェツェルに移動します。フライトは八時間程。現地到着後、ホテルにチェックインして、現地時間20時からグルだらけ社長と会食です。到着から会食までは三時間程時間が御座います。今夜は早めにご帰宅下さい」
「お前は」
「準備が御座いますので同じように早めに上がらせて貰うつもりです。レイ専属弁護士と秘書課のリモンが既に現地に飛んでおりますよ」
「そうか」


フレームレスの細長い長方形型の薄い眼鏡を掛けたなまえはパソコンから目を離さないで答える。キーボードがみっつ、パソコン画面は五つ、背後に置いた大型プリンターをひとつ支配する小さな城の主として座っていて。その華奢な指先で、彼はこの世界の財政を傾けるくらいはわけもない技量を持つ。なんとまあ頭の回るガキだ、と感心する。
時折眼鏡を外して目頭をマッサージする様子を視界の端に映しながら目の前の山の書類に目を通し始めた。

きっちり30分後、なまえは自分の仕事を置いて備え付けのミニキッチンのコンロに火をいれる。ガスコンロに置いた鉄瓶でぐらぐらと勢いよく沸かした湯でカップを温めてから茶葉を落としたポットに注ぎ入れ、茶葉を蒸らしている間にスイーツの準備をする。今朝、リモンがチェツェルに移動する前に顔を出して差し入れに持ってきてくれた"馬車道"のマカロンをボックスから出して皿にあけ、トレイに乗せて応接セットのソファに移動している三虎の前にそのマカロンと、カップにポットからたぷとぷと注いだ、金色を反射する美しい水色から華やかな芳香の立ち昇る紅茶を差し出した。


「リモンの差し入れです」
「…そうか」
「リーズナブルですが確実に美味しいんですよね、ここのマカロン。好みが把握されてるな…流石秘書課……社内でも抜かりない…」


淡く目に優しいカラーがころころと並ぶ様は可愛らしく、三虎がそれを摘まんで口に運ぶ様子には違和感を感じ得ないけれど、ナチュラルで他のメーカーと較べると甘さがやや控えめで後味も諄くなく、サックリとしているくせに中は程よくしっとりしていて全体のバランスが良い。食に関わる大会社の秘書課は、メーカーに拘らず真に美味しいものに特に目が無い。会社名義の贈り物などを選定する、という役目から失敗は許されない為だろう。しかし有名メーカーが高価で美味しいのは当たり前であり、"馬車道"は新規開拓にアグレッシブな彼女らになまえが教えたメーカーであった。
百貨店や、少し栄えているくらいの駅のインショップにも入っているくらいの、比較的庶民派な価格帯で値段以上の味を提供する。但し、なまえ個人的にはギモーヴや生ケーキはあんまりで、マカロンだけが好みだという話であるが。


「………何か…返しておけ…」
「承知です、ボス…」


もそもそと二人でマカロンを平らげながらオレンジペコーのダージリンティーを飲んで、ゆったりとブレイクタイムを楽しんだ。




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