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10 Torsion



ふと、目を閉じていたボクの耳元で聞きなれた音が聞こえてきた。
なまえの歌だった。いつもいつも、酔っては歌っていたもの。
古い、古い言葉で紡がれたその歌を、ボクは音に合わせて口ずさんだ。
「知ってたんだ。この歌」
「此処で覚えたんだよ」
いつも聞こえていたから。
「良い曲だと、思う」
「ワタシの国の子守唄だよ」
子守唄、とは。
「ここまで子供扱いされてるとはね」
ボクは少しふてくされた。
「歌詞の意味は分かるか?」
「古い言葉すぎて分からないよ」
「なら教えようか」

…眠れぬ夜の悪戯小鬼は銀の女神が追い払う
…だから私はあなたのために銀の食器を与えましょう
…これはスプーン、あなたを守る盾
…これはフォーク、戦いに舞う剣
…これはカップ、小鬼を閉じ込める檻
…そして私は女神、あなたを包む銀色の月

ボクは顔を上げた。
「…知ってたの」
「ココの周りは悪夢でいっぱいだったからな」
「ははは…」

夜になると訪れる静寂はかつての生活のそれと同じだった。
ボクの眠りに合わせて、消す事の出来ない記憶が頭の奥から起き上がった。
沈んでいく意識の中に感じる、誰かの手、会話、点滴の針の痛み、電子音、薬の味。
それはグリーンのシーツを真白に錯覚させるほど鮮明で。

「長年刻まれてきた物って、そう簡単に忘れないね」
ボクは情け無い声で言った。
誰の目も無い、何をしても記録されない自分だけの時間と空間。
幾度となくそれを望んできたボクなのに、いざ無くなったら幻像を産んでまで同じ日々を過ごそうとするなんて。
それでも。必ずボクを呼び戻してくれる物があった。リビングの楽しそうな物音。なまえの歌。
人の気も知らないで、呑気に酒を飲んで歌っているなんて。本当に幸せ者だよキミは。
そう忌々しく思いつつもボクは、ゆうるりと瞳を閉じていけた。なまえの存在。此処で初めて出会った存在。
それは此処が研究所で無い事をしっかりと思い出させてくれたから。

「いつも飲もうって誘ってたのもそれで?」
「銀のカップも用意していたよ。魔除けにね」
足元に転がっていたグラスはよく見ると透明ではなく、銀の粉を全身に纏っていた。
それが柔らかく照らされていた。窓の外に見える、大きな月の光で。
「…ボクが眠るまで起きていた?」
「寝坊率、高かっただろ」
「そうだね」
ボクはそんななまえに毎日のように小言を言っていた。
目を伏せたボクの横で、なまえはゆっくりと仰向けに倒れた。そして手招きをする。
「意味を知ったところで、今一度歌ってみんか?」
ボクはなまえの隣にそっと転がった。



「…今日は眠れそうか?」
「……全然」
眠れないんじゃない。眠りたくないだけだ。
ボクの答えになまえはクスクスと笑う。
「何かムカつくな」
「まず飲みすぎだ」
「薬が足りないよ」
「やっぱ欲しいんじゃん」
「うるさいよ」
「もう1つあるよ」
「本当に?」
「あげようか?」
ボクは答えなかった。そんなの当然だろ?
今度はボクの方から彼女に頬を寄せた。



「そう言えば」
「何?」
「こないだの黒い新品、かなり立派なサイズだったよね」
どさくさに紛れて素知らぬ顔で呟いてみた。
「意外と目ざといな」
「当然だよ。男なんだから。」
だから、今も分からない。
「どうやって隠してるんだよ。…あのサイズ」
胸元を手の甲で軽く叩いてみた。
「隠すにもほどがあるよ」
「凄いだろ」
「まったくだ。見事に騙された」
いや、まだ3人ほど騙されてるな。
「…知りたいか?」
なまえの目は静かにボクを見ていた。
「当然」
気になって眠れないだろう?
ボクの言葉になまえは困ったヤツ、と笑う。
「やり方はサムと茂と一緒だよ」
「所長と副会長?」
ボクは二人と接点があった事に驚いた。
「二人を知ってるんだ」
「昔はよく飲んだよ」
…な訳ないだろう。その言葉は飲み込んだ。
「つまりあれだ。ノッキング?」
「嘘」
「ワタシは嘘は言わんよ」
「じゃあずっとノッキング中って事だ」
「必要なければね」
「何時必要になるんだよ」
「んー……レディースデーとか?」
「あぁ……」
…な訳ないだろう。その言葉は飲み込んだ。

「茂は鼻だったよな」
「え?」
「解除キー」
ボクは副会長の鼻につけられた金具を思い出した。そういえば一度だけ外した時を見た事があったな。あれはどんな仕組みなんだろう。
色々思案していたボクに、なまえはさらりと言ってのけた。
「ちなみにワタシは左耳の裏側だよ」
…そうなんだ。その言葉は飲み込んだ。

「……酔ったかもしれない」
「何に?」
「色々」
さっきの酒にも、この雰囲気にも、目の前に在る瞳にも。
「酔い覚まし、もう一個くれる?」
「もう無いよ」
「ウソだ。絶対隠してる」
「何処に?」
「其処に」
ボクは指をかけた。なまえの左耳に。
「ほら、見つけたよ」
なまえが一瞬だけ、瞳の奥を揺らした気がする。でも、やめろともボクの手を払おうともしないでただ静かに笑っていた。
「本当に目ざといな」
当然だよ。男なんだから。
「もらうよ?」
「……どーぞ」
ボクはなまえの首筋に顔を埋めた。



「…ボクも出来たら良かったな」
「何を?」
「ノッキングだよ。…毒の」
自嘲気味に笑ったボクの顔が、なまえの瞳の中で揺らめいていた。
「そう都合良くはいかないか」
ボクはもう一度、なまえの胸元にコツリ、と額をつけた。
「……そうだ」
ふと思い出したようになまえは言うと、体を捩ってポケットの中を探り出した。
「あった」
「何?」
「ココにやるよ」
見慣れない装飾具に首を傾げたら、ピアスだよ、となまえは言った。
「ボクにピアス?」
そう言うか言わないか。一瞬のうちにボクとなまえの体勢が逆転していた。
「魔法をかけるための道具だよ」
「なまえ?」
「制御できるように。…毒を」
プツリ、と触れられた耳に微かに痛みを感じた。それでもボクは抵抗しなかった。目を閉じて、ゆっくり時を待つ。
「……どうかな」
「どうかなって」
耳元の違和感に恐る恐る手をやると、チャラリ、と指先に触れるものがあった。
「分からないよ」
「似合ってるよ」
「これで終わり?」
「うん」
なまえは起き上がってまだ開けていないボトルに手を伸ばした。
「もう勝手に暴れないよ。…毒。」
「その根拠は?」
「事実だって」
「そうでした」
そう。確かに魂がこもっていた。
ボクは手を伸ばした。
「ちょっと貸して?」
受け取ったボトル。そのボディにうっすら映っているボクの顔。耳に留められ揺れている鎖。口元が持ち上がっていたのはボトルの湾曲に沿って歪んでいるからじゃなかった。嬉しかった。とても。
「確かに、似合ってる」
ボクは思い切って言ってみた。
「もう暴れさせないよ。…毒。」
今、精一杯の魂をこめて。

なまえはそんなボクの胸を、手の甲でトン、と叩いた。

そう言えばなまえの肌も治りかけている。ボクの毒は、そんな前から止まっていたのか。
ボクは今まで研究所に散々繰り返して来た破壊的迷惑を頭に浮かべながら、ただただ笑うしかなかった。
信じるよ。信じるしかないだろう。
まったく、なんて魔法だ。
「…完敗だ」
「何?乾杯?」
なまえを見たら、グラスを持っていた。
「そう言う意味じゃない」
「そういう意味で良いじゃないか」
呆れた。でも、笑いが止まらない。
「何か楽しそうだなぁ」
少し前にも、同じ言葉を聞いたな。
ボクは起き上がった。そして頷きながら、転がっていたグラスを手に取った。
「…乾杯だ」








翌日。
ボクは、サニーの絶叫で目が覚めた。








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