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「―――で? 何でこんな時間にあんなところで一人で飲んでたのかな、なまえさん?」 コイツによって半ば無理矢理家に帰らされて、あたしは今リビングのカーペットの上に座っている。 そしてすぐ隣にはコイツがいる。 ……こんな状況は、中学の時以来だ。 「別に、アンタには関係ない」 アンタに見られるのが嫌だったから、なんて理由を素直に言えるほど、あたしの性格は真っ直ぐじゃない。 「関係なくはないよ。だって、僕はなまえさんの幼馴染みで、しかもルームメイトなんだよ?さっきも言ったけどさ」 何でそこにこだわるのだろう? ふと沸いた疑問を飲み込み、あたしは続けた。 「そうだけど、アンタには関係ない」 家にいるときは、極力コイツと話すのを避けている。 幼馴染みといっても、もうあたしたちは大人だから。 ……いや、それは単なる言い訳でしかない。 コイツは今や有名大学を卒業した将来有望なエリートで、あたしはごく普通のOLにすぎない。 昔は小さかった差が、今は取り返しのつかないくらいに広がっている。 本当は、そんな気がして何だか悔しいから、その事実に向き合いたくないだけなのだ。 「ねぇ、なまえさん。何か嫌なことがあったんでしょ? 僕に話してよ。全部聞くからさ。どんなことでもいいよ」 「嫌だ」 「即答!? 地味に傷つくなあ。でも、誰かに話した方が楽になるよ」 「嫌だ」 「まあまあ、そう固くならずに」 「絶対に嫌だ」 「なまえさんて割と頑固だよね」 「アンタには言われたくない」 「なまえさんて世界で一番可愛いと思うよ」 「……そろそろ殴るよ?」 最後の発言にジロッと睨んでやった。 でもヤツはニヤニヤとだらしなく笑ってあたしの隣に座り、勝手に三本目のビールを開けてしまった。 「んー、ぬるいねぇ」 「文句があるなら飲まないで」 「い、今のなまえさんのひとことで一気に冷えました……」 はああ、とヤツが重々しく息を吐き出した。 その様子が何故か妙に可笑しくて、(普段なら絶対笑わないのに)思わず笑ってしまった。 そしてハッと我に返ると、さっきとは別の笑いを浮かべたヤツがいた。 「よかった。なまえさん、やっと笑ったね」 心底安心したようなその表情に、あたしの体が強張った。 「―――何でそんなこと言うの?」 ここに来てから今まで、笑ったことがない訳じゃない。 コイツだってそれを知ってるはずだけど。(だって新人歓迎会のとき席が近かったから。あの時は確か笑っていたはずだ) 「だってなまえさん、ここで住むようになってから今まで、本当の意味で笑ってなかったでしょ?」 一瞬、時間が止まった気がした。 「――本当の意味でって、どーゆーこと?」 「そのまんまの意味だけど?」 「その意味がわからないから、聞いてるんだけど」 「んー、別に捻ってる訳じゃないんだけどなあ」 「わからないものはわからないんだって。いいから教えてよ。あたしはアンタみたいにエリートじゃないから」 そう言って一口ビールを飲む。 そしてチラリと横を見る。 ヤツはこれでもかってくらい目を見開いていた。 「なまえさん、もしかしてひがんでるの?」 あたしはまた一口ビールを飲んだ。 ――答えられなかった。 というか、答えがイエスでもノーでも、どうせコイツにはわかってしまう。 「何で? 僕となまえさんは違う人間じゃないか。違うものを比べたって、どうしようもないだろう?」 もっと早くそう思えていたら、どんなによかっただろう。 小さい頃からずっと一緒だったコイツとは、いつもよく比べられていた。 コイツは昔から成績がよかった。でもあたしはせいぜい中の中くらいで。 それでも、小学校の頃は運動では負けたことはなかった。それでも、中学生になればやっぱり差が出てきて。 あたしはただの幼馴染みなのに、周りから寄せられる期待が、酷く重く感じられて。 ―――そうしてあたしは、いつの間にかコイツを、敵対視するようになっていた。 そして今は、それを止める機会を見つけられずに、ズルズルと引きずっている。 所詮、あたしもまだまだ子供なんだってことなんだろう。 本当に、こういう時自分の頑固な性格が嫌になる。 たった「ごめん」のひとことだけで止められるのに、何故かスルリと出てくれない。変な意地を張って、口から出ようとしてくれない。 本当に、嫌になる。 あたしは半分くらい残っていたビールを一気に飲み干した。 「なまえさん、そんなに飲んで大丈夫? 明日も仕事あるでしょ?」 隣でヤツが心配そうにしている。 「………………大丈夫、じゃ、ない」 実を言うと、あたしはそんなにお酒が得意じゃない。それにさっきの一気飲みのせいか、大分酔いが回ってきた。 目の隅に、空になったビールの缶が転がっているのが映った。 「あーあ、だから言ったのに。今日はもう寝たら? こんな時間だし」 ヤツに言われて壁掛け鳩時計(ヤツの尋常じゃないこだわりで飾ってある)を見上げれば、12時5分前を示していた。 「僕は明日早いから先に寝るよ、なまえさん。朝ごはんは作っておくから、レンジでチンして食べてね。今日は、久しぶりにこんな長くなまえさんと話せたから、嬉しかったよ」 そう言って席を立とうとしたヤツが、中腰のままピタリと止まった。 「どうした?」 「…………いや、それこっちのセリフなんだけど、なまえさん」 ヤツの視線の先には、ヤツの袖を掴んでいるあたしの手があった。 どうやらあたしは大分酔ってるらしい。 無意識にヤツの袖を掴むなんて。 「どうしたの?」 でもこれは、ひょっとするといいチャンスなのかもしれない。 「なまえさん?」 あたしは一息吸って、言葉を吐き出した。 「あのさ」 「うん」 「その、」 「うん」 「今まで、色々……ごめん」 「どうして謝るの?」 「いや、だって、アンタに冷たくしたり、意地悪したりしちゃったし。それに正直言ってアンタのことを敵対視してたし」 「何で?」 「だってあたしはアンタみたいに頭よくないし、スポーツだって出来なくなって。でも周りは比べてくるし。昔みたいに勝てなくもなってきて、なんか悔しくて、それが嫌で」 「僕が勉強もスポーツも頑張っていたのは、なまえさんに僕を見てほしかったからなんだけど」 酔いが一気に覚めるような発言だった。 「別にあたし、視力がない訳じゃないけど」 「なまえさんにしては珍しいボケだね」 「いや、ボケとかじゃなくて」 「でもなまえさんのそういうとこ、僕嫌いじゃないよ。むしろ、好きなところかな」 まずい。嫌な予感しかしない。 あたしの中の第六感が警告してる。 「あのさ、」 「なまえさんはずっと僕のことで悩んでたみたいだけど、実は僕も悩んでたんだ」 更にまずい。強引にねじ込まれた。 コイツは何がなんでも自分の意見を相手に伝えたい時、相手の言葉を遮って無理矢理話し出す。 そして一切の口出しを許さない。 「なまえさんが悩んでいるうちは、僕も悩んでいようと思ってたんだ。僕の悩みの解決方法はとっても簡単だから」 ―――これを、世間では「フラグが立つ」というんだろうか。 「でもなまえさんの悩みがようやく解決したみたいだから、僕の悩みも解決させてもらうよ」 ああどうか、あたしの予感が杞憂でありますように。
「僕、なまえさんのことが好きなんだ」
「……………嘘でしょ?」 「嘘なもんか。ずっと前から、なまえさんのことが好きだったんだ」 それなら。 「あ、勿論、恋愛的な意味でね」 終止符を打たれた。 これで「友達として好き」路線は完全に失われた。 「大体さ、好きでも何でもない女の子に同居しようなんて話、持ちかけると思う?」 ……それはあたしが迂闊だったな。 「それでね、なまえさん。僕は10年以上もこの気持ちを隠し続けて、なおかつ遠慮もいっぱいしてきたから、これを期に我慢するのをやめようと思うんだ」 何が言いたいのだろう。 疑問に思って、あたしは反射的に顔を上げた。 カチリ。 ヤツとあたしの視線が合わさる。
「僕、なまえさんのこと落とすから」
一拍置いて、鳩時計が間抜けに鳴き出した。 あれから5分しか経ってないのか。妙に長く感じられたのは、何故だろう? 「それじゃあ、僕は寝るね。おやすみ、なまえさん」 ヤツはあたしの手をそっと外し、自分の部屋へと入っていった。 ………………いやいや、冗談にしてはキツいよ、これは。 きっと、いや、絶対冗談に違いない。 なんて心臓に悪い発言だ。 それか、酔ってて聞き間違えたに違いない。 ああ、多分それだ。うん、そうに違いない。 だって、顔中が熱い。特に頬っぺたとかが。 うん、やっぱり酔ってて聞き間違えたんだ。そうに違いない。 だって、そうじゃなかったら。 顔が熱いことを、一体どう説明すればいいんだ――――?
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