一度にあまりにもたくさんのことを聴きすぎて、フェリシアは今にも脳みそが破裂してしまうのではないかと思った。それくらい予想だにしない話の連続で、どうしてもすんなりとは飲み込めない。身動ぎもせずに黙りこんでいると、優しく名前を呼ばれた。見るとダンブルドアのブルーの瞳がまたキラキラと輝きを取り戻し、優しくフェリシアを見ている。フェリシアは精一杯その瞳を見つめ返した。
「君はこの話を聴いてどう思ったかね?」
「ええと──まだ、よくわかりません」フェリシアは正直に答えた。
「でも、お父さんが──シリウス・ブラックが、どうしてポッターさんを裏切ったのかが不思議で……本当のことを知りたいと思いました」
 これはダンブルドアにも予想外の言葉だったらしい。「──なんと」半月眼鏡の奥の瞳が丸くなった。
「クロエの遺志を継ぐつもりかね?」
「いえ、ええと……そういう、難しいことを考えているわけじゃありません。私はただ──たぶん──自分のお父さんが犯罪者だと思いたくないだけなんだと思います」
 血の繋がったただひとりの父親が、アズカバンにいる。それは決して気分の良いものではない。フェリシアは顔も覚えていない父親の無実を無条件に信じようとは思えなかったが、裁判がなかったことや、母親が最後まで信じていたことから、有罪という話も受け入れがたいとも思ったのだ。
 フェリシアはひとつ確認しておこうと、口を開いた。
「お父さんとお母さんは、例のあ……ヴォルデモートを支持していたんですか?」
「いいや。二人とも、闇の魔術を憎んでおった」
「それならやっぱり、おかしいと思います」
「おかしいかね?」
「はい。お父さんが親友を裏切ってまで闇の魔法使いの仲間になることは、たぶんおかしいです」
 しばらく誰も何も言わなかった。これが魔法界の反応なのかもしれないとフェリシアは思った。ヴォルデモートが悪であるように、シリウス・ブラックも悪である。それが世間の常識なのだろう。
 自分の発言で生まれた沈黙が気まずくなり、フェリシアはぼそぼそと付け加えた。
「ええと、なんていうか……お父さんが絶対に無実だとも思えないけど、絶対に有罪だとも思えないっていう──それだけです。それと──周りに流されずに自分の考えを持つことは大切だって、パパが前に言っていて……」
「……たいしたものじゃ」
 ダンブルドアが呟いた。
「よほど良い環境で、素晴らしい二人に育てられたのじゃな」
 フェリシアはどう答えていいかわからなかったので、はにかみながら頷いた。たとえ本当の親ではなくても、ここまで育ててくれたのはテッドとアンドロメダだ。二人のことは大好きだし、二人が誉められるのはとても嬉しい。
 ダンブルドアは二、三回頷き、唐突に「おお、そうじゃった」と手を打った。
「フェリシア、君の志は素晴らしい。わしとしては、それを尊重したいと思う」
「…あ、ありがとうございます」
「しかし、君のその考えに理解を示してくれる者は、魔法界には非常に少ないじゃろう。もちろん、ホグワーツでも同じことじゃ」
「……やっぱり、そうでしょうか」
「残念なことじゃがの。それで、わしはひとつ提案をしたい。これは今日の本題のひとつでもあったのじゃが──正直、君の考えを聴いて、今はこの判断が正しいのか疑問に思うが──できる限り君は本名を明かさぬほうが良いと思う。シリウスの逮捕後、クロエはどこへ行っても悪意ある言葉を浴びせられ、時には呪いもかけられた。あれから十年が経ったとはいえ、犯罪者の娘と後ろ指を指す者がいないとは言い切れぬ」
「それじゃ、私は……」
「フェリシア・トンクスと名乗るのが無難じゃろう。もちろん、君たちが良ければじゃが。しかし、もしもフェリシアがなんとしてもフェリシア・ブラックを名乗ると言うのなら、それを止める権利はわしにはないよ。それは勇気ある決断でもある。とはいえ、どちらがより良いとか、そういうことでもない。本名を隠したところで、必ずしも隠し通せるものでもあるまいて。どちらを選ぶにせよ、覚悟は必要じゃ。よく考えてお決め」
 そう言われて、フェリシアは考えた。
 たとえばフェリシア・ブラックを名乗ることを選んだとする。そうすると──ダンブルドアの言うように、後ろ指を指されるのだろう。十年前の事件とはいえ、親から聞かされている子もいるかもしれない。最初から殺人鬼の娘として見られ、蔑まれ、友達もできず──そんな学生生活はごめんだ。
 それじゃあ、フェリシア・トンクスを名乗る場合はどうだろう? きっと、後ろ指を指されることはない。上級生にはニンファドーラ・トンクスの妹として見られるのかもしれないが、それは全く苦ではない。しかし、友達にはずっと嘘をつくことになる。それに、ホグワーツにいる間は良いとしても──何せ校長先生直々の許可が出ているのだ──卒業して仕事に就くときにはどうなるのだろう。突然ブラック姓を名乗り始めたら周囲も戸惑うだろうし、だからといってトンクス姓を名乗り続けても、うっかりバレて偽名を使っていたことを理由に解雇なんてことになったらとても困る。
 考えれば考えるほど決められない。フェリシアは困り果ててしまった。
「ねえフェリシア? 私は……フェリシア・トンクスを名乗るほうが良いと思うわ」
 アンドロメダが言った。「確かに、ブラックを名乗るのは色々な意味で賭けだ」 テッドも続けた。「私たちが学生の頃は、ブラック家といえば純血主義で有名だった。闇の魔術に心酔しているとね」
「それが根も葉もない噂なら良かったけれど──本当にその通りなんだからどうしようもないわ」
 ああ、だから尚更お父さんは疑われたのだ、とフェリシアは思った。そして、アンドロメダの口振りが引っ掛かり首を傾げた。
「ママ、ブラック家に詳しいの?」
「というより、私がブラック家の出身なのよ。フェリシアのお父さん──シリウスは従弟にあたるわ。……だからね、あなたともちゃんと、少しだけだけれど血は繋がっているのよ」
 そう言うとアンドロメダはフェリシアを抱き締めた。温かくて、泣きそうになる。前を見ると、ダンブルドアがとても微笑ましいと思っているような顔でにこにこしていた。
「あの、先生」
「なにかね?」
「たとえば……フェリシア・トンクスの名前で入学して、でも何年か後にお父さんが無実だと確信が持てるようになって、やっぱりフェリシア・ブラックを名乗りたいと思ったとしたら、そうすることはできますか?」
「君が本当にそうしたいと思ったら、もちろん」
「それじゃ──今は、フェリシア・トンクスでいたいです」
「よし、ではそのようにしよう」
 ダンブルドアがにっこりしたので、フェリシアはほっと胸を撫で下ろした。
 フェリシアはシリウスが無実かもしれないとは思うが、確信しているわけではないのだ。無実の可能性を漠然と考えているだけに過ぎないのに、殺人鬼の娘を名乗る覚悟など持てるはずもない。少しずるいような気もしたが、これでいいのだと思うことにした。友達に嘘をつくことになるのは心苦しくもある。しかし、何がベストかなんて今のフェリシアにはわからなかった。

150707
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