翌日、フェリシアがダイニングに降りたのは太陽が随分高く昇ってからだった。昨日なかなか寝つけなかったせいでただでさえ遅く起きたのに、テッドやアンドロメダと顔を合わせるのが気まずく、いつまでもベッドの上で猫のように丸まっていたからだ。結局空腹に負けて部屋を出て来たが、この時間ならアンドロメダしかいないので少しはマシだろう。そう思っていたフェリシアは、リビングで寛ぐテッドの姿を見つけて驚いた。 すぐに部屋に引き返そうとしたが、既にテッドはフェリシアに気がついていた。
「やあフェリシア。お寝坊さんだね」
 テッドはいつもと変わらない調子で言う。フェリシアはどうしていいかわからなくなって、中途半端に方向転換した姿勢のまま立ち尽くした。
「……そんなことないよ」微妙な沈黙のあと、やっとのことで返事をする。
「なんで……ええと……仕事は?」
「今日は休みをもらった」
「どうして?」
「ダンブルドアが来るからよ」答えたのはアンドロメダだった。「ダンブルドア先生が、あなたと話したいんですって」
 ダンブルドアがホグワーツの校長だということは知っている。最も偉大な魔法使いといわれていることもだ。しかし、どうしてそのダンブルドアが、まだ入学もしていないフェリシアと話がしたいなんていうんだろう? フェリシアは自分の聞き間違いなのではないかと思って、どちらにともなく聞き返した。
「ダンブルドアが来るの?」
「ええ」
「私と話をしに?」
「そう」
「何を話すの?」
「それは」アンドロメダが僅かに言いよどんだ。「それは……、その、あなたの──本当のご両親のことよ」
「…………いつ来るの?」
「二時頃のはずよ。手紙にはそう書いてあったわ」
 その手紙というのは、昨日ホグワーツからの手紙と一緒に届いたもののことだろう。フェリシアは壁にかかった時計を見た。十二時四十八分。ダンブルドアが来る時刻まであと一時間と少ししかない。途端にギュッと胃が縮んだような気がした。
 そのせいか昼食のサンドウィッチは味がよく分からなかったし、頭の中では『本当の両親』という言葉が延々と鳴り響いていた。確かに、テッドとアンドロメダが両親でないなら、フェリシアには二人とは別の、本当の両親がいる──あるいは、いた──ことになる。今フェリシアが知っているのは、ブラックという姓だけだ。
 しかし、ホグワーツの校長がなぜそんな話をしたがるのか、フェリシアにはさっぱりわからなかった(そもそもどうして校長先生が、フェリシアの出自を知っているんだろう?)
 興味をそそられる話題ではあるが、フェリシアの心は複雑だった。本当のことを知りたいような気がするし、知りたくないような気もする。気がつけばフェリシアは、リビングのソファに背筋をぴんと伸ばして座って、睨み付けるように時計の針を見つめていた。
 時間は淡々と進む。あっという間に約束の時刻になり、フェリシアの心臓は今にも破裂しそうだった。むしろその前に口から飛び出してきそうだ。そのとき突然バシッと大きな音がして、フェリシアは椅子から飛び上がった。心臓を吐き出しこそしなかったが、あと少し音が大きかったら、きっとサンドウィッチの成れの果てが飛び出してきていただろう。
 テッドとアンドロメダもハッとして音の出所を見、そこにある人影を認めると声をあげた。
「ああ、ダンブルドア先生!」
「久しぶりじゃのう、二人とも。実に十年ぶりじゃ」
 ひょろりとした魔法使いがそこにいた。銀色の長い髭と髪はベルトに挟み込まれ、半月型の眼鏡の奥にはキラキラしたブルーの瞳がある。この人が──アルバス・ダンブルドアその人なのだ。
「やあフェリシア。元気そうで何よりじゃ」
 キラリとした瞳が自分を見て、フェリシアはもう一度飛び上がりそうになった。「あ……ええと──」何か言わなければと思うのに、何を言えばいいのか全くわからない。「その──こんにちは、ダンブルドア先生」ちっとも愛想よくできなかったが、ダンブルドアはにっこりした。
「父上によく似ておる。初めて君に会ったときから髪も瞳も父上譲りじゃと思っておったが、ここまで似るとは思わなんだ」
 フェリシアは開いた口が塞がらなかった。自分は誰にも似ていないのだと思っていた──しかし、それはトンクス家の人と比べたときの話で、フェリシアは本当の父親に瓜二つだという。
「本当ですか──」フェリシアは震える声で言った。「本当に私、似てますか。……その、本当のお父さんに」
「そっくりじゃよ。入学したばかりの頃の君の父上を思い出すようじゃ──ふむ、しかし、目の形は母上に似ておるかのう」
 真っ黒な髪と灰色の瞳が父親譲りで、目の形が母親譲り──フェリシアは忘れないようにと心の中でこっそり繰り返した。
 それからダンブルドアはトンクス夫妻と一言二言 言葉を交わした。そしてテッドがダンブルドアに椅子を勧め、アンドロメダがお茶を用意する。フェリシアはダンブルドアの向かいのソファで居住まいを正した。向かい合ったブルーの瞳がキラリと光る。フェリシアは、いよいよだと思った。
「今日は、君に大切な話があるのじゃ」
「はい」
 思わずごくりと唾を飲んだ。心臓の煩さは先ほどまでの比ではない。爪が食い込むほど手のひらを固く握りしめ、ダンブルドアの言葉を待つ。フェリシアの右隣に座ったテッドは、フェリシアの肩を抱いた。少し遅れて左隣にアンドロメダが座ったのを見てから、ダンブルドアは口を開いた。
「君は既に状況を察しているようじゃが、ホグワーツからの手紙を見たときにはさぞ驚いたことじゃろう」
「あの──ええと、はい」
 曖昧な返事にダンブルドアが不思議そうな顔をしたので、フェリシアは小さな声で付け加えた。
「私、なんとなく、わかってたんです。パパやママと血が繋がってないかもって」
 アンドロメダが息を呑むのがわかった。テッドは静かにフェリシアの肩を抱く手に力を込める。部屋の空気はにわかに重苦しくなり、ひどく息苦しい。フェリシアは一旦口をつぐんだが、「どうしてかね?」と優しい声が続きを促した。
「……私が、誰にも似ていないからです」
 フェリシアははっきりと答え、誰に促されるでもなく続けた。
「ドーラが──姉が、パパとママに似ていないのは七変化だから仕方ないけれど、私は七変化じゃない。それなのに、似ていないから」
 一度話始めると、もう止まらない。それまで一人で抱え込んでいた反動なのだろうか。言葉が次から次へと溢れてきて、ついでに視界が滲んだ。
「それに、ドーラがうんと小さな赤ちゃんの頃の写真はあるのに、私のはありません──私、探したんです──一番古い写真は──私が見つけられたものは──私が一歳のときのクリスマスの写真でした」
「君は……怖くはなかったのかね」
「怖かったです。だから、誰にも、訊けなくて」
「……無理もない」
「だけど、私は、知りたいです。本当のお父さんとお母さんのことも、どうしてトンクス家に──預けられているのかも」
 知りたいです、とフェリシアは繰り返した。ダンブルドアのブルーの目がまっすぐにフェリシアの灰色の目を見ている。頭の中を見透かされているような気分になったが、それでもフェリシアはブルーの目を見返し続けた。
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