開いた口がふさがらないというのは、まさにこういうことをいうのだとフェリシアは思った。あのマクゴナガル先生が、母親の後見人で、フェリシアの後見人だって? 驚きのあまり声もでない。にわかには信じがたいことだったが、冗談ではないのだろう。双子のウィーズリーならともかく、マクゴナガル先生がこんな冗談を言うはずがない。だからこれはきっと本当のことなのだ。そう思っても、フェリシアは「本当ですか?」と問わずにはいられなかった。
「私が冗談を言うとでも?」
「いいえ、でも、だって、そんなこと誰も……」
「ええ、そうでしょうとも。知っているのは、当時からホグワーツにいる者くらいですし、あなたにはまだ知らせないでほしいと私からダンブルドア先生に頼みました。……そもそも、私があなたの後見人になったのは、それ以前に後見人だったジェームズ・ポッターが亡くなってからのことです。あの事件の後、クロエが取った行動については聞いていますね? その時、クロエからあなたのことを頼まれたのです」
「じゃあ、もしかして、私を預かってくれていたのは」
「私と、何人かのホグワーツの先生方です。私は当時もホグワーツで教鞭をとっていて、あなたにつきっきりというわけにはいきませんでした。先生方の協力があってこそ、赤ん坊のあなたを預かることができましたが、引き取ることはできなかった」
 そう言って、マクゴナガル先生は協力してくれた何人かの名前を挙げた。フリットウィック先生、スプラウト先生、マダム・ポンフリー……。
「そう、ハグリッドもです。……まあ、ハグリッドは危なっかしくて見ていられないと、マダム・ポンフリーがあなたを取りあげることもしばしばでしたが。それと、グリフィンドール寮憑きゴーストのニックも時々あなたをあやしてくれました」
 フェリシアは声もなく先生の顔を見つめた。自分が赤ん坊の頃にホグワーツにいたという話をニックから聞いたときも相当驚いたが、さらにその上をいく驚きだ。想像さえしていなかった事実に、理解がなかなか追いつかない。
「……あの、お母さんの後見人だったというのは」
 少しの間を置いて、ようやく声を絞り出した。なんだかのどがカラカラで、一言一言が引っ掛かる。
「お母さんの家族と、親しかったのですか?」
「いいえ、ちっとも。あの子の家族と関わったのは、ただの一度きりです」とマクゴナガル先生は答えた。今度はトゲのある声だ。
 マクゴナガル先生はまた杖を振った。部屋の隅でカチャカチャと音がして、あっという間にフェリシアの目の前に紅茶の入ったカップとソーサーが飛んできた。
「お飲みなさい。少し長い話になりますから」
「……ありがとうございます。話して頂けるんですか?」
「どうせいつかは話すべきことです」
 マクゴナガル先生がほんの少し目を伏せた。フェリシアは緊張してそわそわと落ち着かない気持ちになった。誤魔化すように紅茶に口をつけるが、カップを持つ手は小さく震えてしまっている。深呼吸をしてマクゴナガル先生に向き直った時、先生はもう目を伏せてはいなくて、いつものような声色で話し始めた。
「クロエ・ワイズは、魔法界の旧家のひとつに数えられるワイズ家の一人娘だったローレン・ワイズが、家の反対を押し切って結婚し産んだ子どもでした。ワイズ家は純血主義──魔法界育ちならご存知ですね──で、結婚相手は親が選ぶ決まりなのだそうです。しかし、ローレンには学生時代からの恋人がいて、その恋人と添い遂げたかった。相手も純血の家系でしたから、きっと親も許してくれると思ったのでしょう」
「でも、駄目だったのですね」
「ええ。その理由を私は知りませんが、とにかくローレンの願いは受け入れられず、ローレンは卒業と同時にワイズ家との縁を切り、恋人と駆け落ちしました。ところが、相手の男性にはローレンほどの覚悟がなかったのです。あろうことか、半年と経たないうちに彼女に一方的に別れを告げ、自身の生家へと戻ったといいます」
「そんな!」
「クロエが話すには、彼は怖じ気づいたのだということでした」
「怖じ気づいた?」
「あまり気分のいい話ではありませんが──ワイズ家は癒者の家系でもあり、腕は良いが贔屓をするという噂があったのです。患者が純血ならば全力を尽くす、マグル生まれならば投げやりな治療をする、ワイズに嫌われたなら命の保証はない、と。もちろん噂は噂です。しかし実際に当時のワイズ家のご当主は過激な方でしたし、ワイズ家を敵に回すことを恐れる者も確かにいました。彼もその一人だった、彼やその親族の保身のためにローレンを捨てたのだと、クロエは考えていたようです」
 フェリシアは必死に話を噛み砕こうとしていた。とんでもない話だ。しかし、紛れもなく自分の祖父母の話なのだ。
「さて、話を戻しましょう。恋人に別れを告げられた時、ローレンはすでにクロエを身籠っていました。彼女は一人でクロエを産み育てましたが、クロエが七つの時に急な病で亡くなったそうです。他に身寄りのなかったクロエはワイズ家に引き取られて──」
 マクゴナガル先生は一旦言葉を切って、フェリシアを見つめた。
「それからあの子は、おばあ様に育てられました。引き取ったとはいえ、快くは思われていなかったのでしょうね。自分は忌み嫌われ者だったと話してくれたことがあります」
 当時を思い出すようにマクゴナガルが目を細める。四角いメガネの奥にあるその目は、水っぽく光っていた。
「純血主義の家の子は、大抵の場合スリザリンに組分けられるとされます。ワイズ家の者もその例にもれず、代々スリザリン寮に組分けられていました。……ところがあの子は、グリフィンドールに組分けられた。そのことが家に知られるやいなや、あの子は勘当されました」
「……勘当?」
「グリフィンドールなどに組分けられたお前をワイズ家の者と認めはしない、二度と戻ってくるな──そんな吼えメールがクロエに届いたのです。呪いつきで」
 絶句したフェリシアに、マクゴナガル先生は更に言った。
「しかも、手紙は私と校長先生にも届きました。内容は言えませんが、とにかく酷いものでしたよ。次の週末、私たちはクロエをつれてワイズ邸を訪ねましたが……まったく、あの連中は本当に──!」
 再びマクゴナガル先生の口調が荒くなったが、今度はすぐに取り繕った。何度か咳払いをして誤魔化すと、また落ち着いた口調に戻った。
「ダンブルドア先生が話し合いをと仰っても、ろくに耳も貸さず、飛び出すのはとんでもない罵詈雑言ばかりで──クロエは顔色ひとつ変えずにじっと耐えていましたが──最後にワイズ家は金輪際クロエの面倒を見ない、関与しないと断言しました。だから私が引き取ったのです。本当はあの子がワイズなんて名前を名乗らずに済むようにしてあげたかったのですが、なかなかどうにも……」
 フェリシアはぼんやりしたまま紅茶に口をつけた。せっかく温かい紅茶を淹れてもらったのに、もうすっかり冷めてしまっている。
 マクゴナガル先生のこの嫌いようを見るにクロエの祖母はよほど酷い手紙を書いたに違いないし、人柄も相当よろしくないようだった。というより、癒者という顔を持ちながら、実の孫に呪いを込めた吠えメールを送って寄越すような人物が、良い人であるはずがない。そんな人が自分の曾祖母なのだと思うと、ぞわぞわと鳥肌がたった。
「あの子が、自分と同じく複雑な家庭に身を置いていたシリウスを特別に思うのは当然でした。あんな事件があってなお、最後まで彼を信じ続けたこともそうです」
 マクゴナガル先生が沈痛な面持ちで言う。
「いいですか、フェリシア。あんな馬鹿げた記事を鵜呑みにしてはいけません。クロエはおかしくなってなどいなかった。本当に、心の底からシリウスを信じていたのです」
「……はい」フェリシアは頷いた。マクゴナガル先生がクロエを大切に思ってくれているのがわかる。そのことが嬉しかった。
 そして、どうしても尋ねてみたかった。マクゴナガル先生は、シリウス・ブラックのことをどう思っているのだろう。思いきって「あの」と口を開くと、マクゴナガル先生はフェリシアの考えなどお見通しだというように言った。
「真偽はどうであれ、状況からいって、シリウスの有罪は揺るぎようのないことです。クロエを、ポッター夫妻を裏切ったシリウスを許すことはできません。……ですが、シリウスを信じたクロエを信じたいという気持ちはあります」
 マクゴナガル先生がフェリシアのグレーの目をじっと見つめた。マクゴナガル先生らしくない雰囲気に、どうも戸惑ってしまう。
 ふと、フェリシアは思い出した。組分けが始まる前、マクゴナガル先生がじっとフェリシアを見ていたことを。あの時先生は、フェリシアの向こうにシリウスやクロエの面影を探していたのかもしれない。
「本当に、あなたの顔立ちは悔しいほどに父親似ですね」
「よく言われます……でも、あの、悔しい……ですか?」
「クロエは私の一人娘も同然でしたから」
「それじゃ、私は先生の孫ですね」
「そういうことになるかもしれませんね」
 フェリシアは目を丸くした。わざとおどけて言ったのに、マクゴナガル先生が微笑みながら答えたからだ。本当にマクゴナガル先生らしくない。そう思いはするが、不思議とちっともいやではなかった。
「とはいえ、私は贔屓などしませんよ。もちろん、フリットウィック先生もスプラウト先生もです。妙な期待は持たないように」
「はい、わかってます」
「それならよろしい。……さあ、もう時間も遅いことですし、そろそろ寮にお戻りなさい」
「……またお話を聞きに来てもいいですか?」
「どうぞ」マクゴナガル先生は頷いたあとに続けた。「駄目といわれて、あなたが素直に引き下がるとも思えませんからね」
 図星だったので、フェリシアは苦笑いを浮かべて立ち上がった。
「ありがとうございました。紅茶も美味しかったです。……あの、最後にひとつ良いですか?」
「なんですか」
「ハリーにも贈り物をしましたか?」
「ミスター・ポッターに? いいえ、私が贈り物をした生徒はあなただけですよ」
 マクゴナガル先生が怪訝そうに眉をひそめたので、フェリシアは追及される前にと早口で挨拶をして、さっさと先生の部屋を出た。
 たくさんのことを聞きすぎて、フェリシアの頭の中は大変なことになっていた。いろんな事がぐるぐると駆け巡っていて、きちんと整理がついていない。それでも、確かな充足感があった。送り主がリーマス・ルーピンなのではないかという素晴らしい思いつきが外れていたのは残念だが、クロエのことをここまで知ることができたのは大きい。
 しかし、それにしても、ハリーに届いた不思議なプレゼントの送り主がマクゴナガル先生でないのなら、いったい誰なのだろう。もしかして、その送り主こそがリーマス・ルーピン?
 そこまで考えて、フェリシアは思わず頭を抱えた。マクゴナガル先生の話があまりにも衝撃的で、リーマス・ルーピンのことを聞きそびれてしまったことに気がついたのだ。

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