体が浮くような感覚と一緒に意識が戻ってきて、目を開けると目の前にマクゴナガル先生の顔があった。今までに見たことがないくらい青ざめている。
「ああ、よかった。ミス・トンクス、何があったのか覚えていますか?」
「はい、ええと、トロールが来て……トロール!」
 フェリシアは慌てて起き上がった(この時になって、ようやく自分が担架に乗せられていたことに気がついた)。なんだか頭がぐらぐらするし、吐き気がする。スネイプが相変わらず憎々しげにフェリシアを見ていることにも気づいたが、今はそれを気にする余裕がなかった。
「先生、トロールは……ハーマイオニーは……?」
「トロールならそこで伸びています。ミス・グレンジャーは怪我がないようなので、先ほどグリフィンドール塔に帰しました」
 ぐるりと首を回すと、確かにトロールが床に伸びていて、なぜかドアのそばにはハリーとロンが立っていた。二人とも、何とも言えない顔をしている。どちらもフェリシアと目が合うと、気まずそうに目をそらした。
「ごめん、フェリシア。僕たち……」
 ハリーが何か言いかけて途中で口をつぐんだ。直前にロンがハリーを小突いていたのを、フェリシアははっきりと見た。どう考えても怪しい。しかし、フェリシアの顔色を観察していたマクゴナガル先生は気がつかなかったようで、「まだいたのですか。帰ってよろしいと言ったはずですよ」と言うだけだった。
「あなたは頭を打ったようですから、医務室へ。少なくとも今夜は医務室で過ごすことになるでしょう。さあ、担架で運びますから横になって」
「先生、私、自分で歩きます」
「駄目です」
 ぴしゃりと却下されて、フェリシアは諦めた。これ以上、マクゴナガル先生に逆らう気はしない。フェリシアが大人しく担架に横になると、マクゴナガル先生は突っ立ったままのハリーとロンを振り返った。
「あなたたちも早く寮へ戻りなさい」
「はい、今帰ります……フェリシア、お大事に」
 急いで女子トイレを出ていく二人に、フェリシアは叫んだ。
「あとで説明してもらうからね!」


 医務室でマダム・ポンフリーに出された苦い薬を飲んだあと、フェリシアは絶対安静を言いわたされた。マクゴナガル先生が言っていた通り、今夜は医務室に泊まらなければならないらしい。
「明日には寮へ戻って結構。授業も出て構いませんが、念のため一週間は安静ですからね。飛んだり走ったりは禁止です」
 マダム・ポンフリーはマクゴナガル先生に負けず劣らず厳しい口調で言った。
「もし大人しくしていられないようなら、医務室のベッドに縛りつけておきます」
 もちろんそれは嫌だったので、フェリシアは素直に頷いた。マダム・ポンフリーは疑わしげにフェリシアをまじまじと見つめ、ずっと付き添っていたマクゴナガル先生を振り返った。
「あとは私にお任せくださいな」
「ええ、よろしくお願いします」
 これでマクゴナガル先生は医務室を出ていくだろう。フェリシアはそう思ったが、先生はなかなか立ち去る様子がない。まだ少し青い顔で、じっとフェリシアを見つめている。
「マクゴナガル先生?」
「こんなことは今日限りにするように。いいですね」
 ひどく怒っているのか、声はほんの少し震えていた。
「悪くすると死んでいたかもしれないのですよ。今回は運がよかった……友人のために体を張れるのは美徳ですが、それがいつでも正しいとは限りません。クロエのためにも、自分自身のことも大切になさい」
 マクゴナガル先生は静かにそういうと、「では、マダム・ポンフリーの言うことをよく聞くように」と念押しして、いつものようにきびきびとした足取りで医務室を出ていった。まさか母親の名前が出てくるとは思なかったのでポカンとしていると、すかさずマダム・ポンフリーがたしなめた。
「さあ、怪我人は大人しく寝ていなさい。私は奥にいますから、何かあったらすぐ声をかけるんですよ」
 しぶしぶフェリシアはベッドに横になって目を瞑ったが、ちっとも眠くないし、薬のおかげか具合が悪いということもない。それどころか、ご馳走を食べ損ねているせいでお腹が空いている。
 マダム・ポンフリーに頼めば何か用意してもらえるだろうかと考えていると、突然「フェリシア、起きてるか?」とひそひそ声が聞こえた。びっくりして目を開けると、同じ顔が二つ並んでフェリシアを見ている。
「静かに」片方が、シーッと人指し指をたてた。
「マダム・ポンフリーに気づかれたら追い出されちまう」
「ええ、もちろんですとも!」
 三人は思わず飛び上がりそうになった。いつの間にかすぐそこにマダム・ポンフリーが立っている。フレッドとジョージは一瞬しまったという顔をしたが、すぐに開き直って言った。
「僕たち、お見舞いに来たんだよ」
「この子に今必要なのは安静です!」
「けど、食事も必要だ」
 差し出されたかごには食べ物がたくさん入ってきた。
「わーっ! ありがとう、腹ペコだったの」
「そうだろうと思った」
「話はロンから聞いたよ」
「せっかくのハロウィーンなのに災難だったよな」
「来年は一緒に楽しもうぜ」
「じゃあまた明日」
「お大事に」
 二人は交互にフェリシアの頭をひと撫でして、マダム・ポンフリーの雷が落ちる前に医務室から出ていった。そのあまりの素早さにフェリシアは呆気にとられたが、マダム・ポンフリーはブツブツと文句を言っている。
「全く、こそこそ忍び込もうとするなんて……。腹ペコだというなら食べても構いませんが、食べたらきちんと寝ること。これ以降は誰が来ても面会は許しませんからね」
 フェリシアがうんうんと頷くと、マダム・ポンフリーはまた奥にひっこんで見えなくなった。


 翌朝、フェリシアはまたあの苦い薬を飲んだ。寮に戻ることは許されたが、明日もこの薬を飲みに医務室へ来なければならないらしい。フェリシアがつい露骨に嫌な顔をしてしまったので、マダム・ポンフリーは目をつり上げ、頭を打つことがどれだけ危険なことなのかガミガミと言って聞かせた。
 荷物を取りに寮へ向かうと、談話室の入り口でハーマイオニーと鉢合わせた。しかも驚くことに、ハリーとロンも一緒にいるではないか。
「ああ、フェリシア! 私たち、今からあなたのところに行こうと……」
「もう寝ていなくて大丈夫なの?」
「マダム・ポンフリーは安静にしてなくちゃいけないって言ってたって」
「うん、大丈夫。もう戻っていいって。まあ、まだ薬は飲まなくちゃいけないんだけど……。それより、説明してほしいことがたくさんあるの。特にロニーにね」
 とたんにロンの顔がひきつったが、フェリシアは構わず「ちょっと待っててもらえる?」と一旦寝室へ行って荷物をひっつかみ、すぐにハリーたちのところへ戻った。「朝食を食べながら聞くよ。なんなら歩きながらでもいいし」
 ハリーとロンから一通り話を聞き終わったあと、フェリシアは大きな溜息をついた。
「ドアを閉めたのはあなたたちだったの」
「ごめん。君たちがいる女子トイレだって気づかなかったんだ」
「でもそのあと僕がトロールをノックアウトさせたんだよ。これでチャラになるだろ?」
「ならないよ」
 朝食のかぼちゃジュースを飲みながら、フェリシアはきっぱりと言った。
「そもそもロニーが酷いことを言わなければ、ハーマイオニーはトイレで泣いたりしなかったんだから。……でも、来てくれて本当にありがとう」
「え、ああ、うん」ロンが拍子抜けだという顔をした。「あれ……怒ってるんじゃないの?」
「うーん、確かにちょっと腹は立ってたけど。私は何もできなかったから、えらそうにとやかく言えない」
「待って、それを言われたら……その原因を作ったのは僕たちだ。僕たちがトロールごと閉じ込めたから……」
 ハリーが眉を下げて言うと、ハーマイオニーも熱を込めて言った。
「何もできなかったのは私だわ。フェリシアはずっと私を庇ってくれたじゃない。そのせいで、あなたが怪我を……」
 なんだか堂々巡りになりそうな予感がして、フェリシアは苦笑いした。
「じゃあ、みんなおあいこね 」

151205
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