図書館の前で双子と別れたフェリシアは、結果としては、図書館には入らなかった。偶然、廊下の先にほとんど首なしニックを見つけたからだ。
 シリウス・ブラックのことを聞き出すなら、周りに誰もいない今しかない。
 フェリシアは慌ててほとんど首なしニックを追いかけた。ニックが壁をすり抜けてどこかへ行ってしまったらどうしようとひやひやしたが、幸いにもニックは真っ直ぐに廊下を進んでいた。なんとか追いついたフェリシアは、できるだけ愛想良く声をかけた。
「こんにちは、サー・ニコラス」
「おや、フェリシア嬢。こんにちは。今日はお一人ですか?」
「うん、そうなの。実は、あなたに聞きたいことがあって」
「……構いませんよ。ここではなんですから、どこか教室に入りましょう」
 ニック促されるまま近くの空き教室に入ると、そこはいつも変身術で使う教室だった。見慣れているはずの教室なのに、人気がないだけでいつもとどこか違って見える。フェリシアはとたんに落ち着かない気持ちになった。
「ダンブルドアが言っていました。いつか君がお父上の話を聞きに来るかもしれない、と」
「やっぱり、お父さんのことを知っているのね?」
「知っています。ですが、詳しくはありません。私はグリフィンドール寮憑きのゴーストで、彼はとても目立つ学生でした。だから、知ってはいる。それだけです。きっとお役には立てないでしょう」
「それでもいい。ただ、あなたから見て、お父さんはどんな学生だったか教えてもらえれば」
 ニックが戸惑っているように見えたが、フェリシアは食い下がった。
「些細なことでいいの」
「……良くも悪くも、人目を引く学生でした」
 静かな口調で話し始めたニックは、当時を思い出しているのか、ここではないどこか遠くを見るような目をしていた。
「成績は非常に優秀だったと聞いています。ご存知でしょうが、ジェームズ・ポッターと親しかった。よく一緒に悪戯を仕掛けているのを見かけたものですよ……もっぱら標的はスリザリンの生徒でした」
「悪戯?」
 フェリシアが聞き返すと、ニックは曖昧に微笑んだ。
「二人とも随分と悪戯好きな生徒で……ほかの生徒から人気はあったようですが、マクゴナガル教授はさぞ手を焼いたことと思います」
「そんなに? なんだかフレッドとジョージ・ウィーズリーみたい」
「確かに、すっかり同じとまでは言えませんが、今の生徒で例えるならその二人が最も近いのかもしれません」
「ポッターさんのほかにはどんな人と仲が良かったか、覚えてる?」
「彼の友人ですか? そうですね──私が知る限りでは、同じグリフィンドールのリーマス・ルーピンとピーター・ペティグリュー、それから、クロエ・ワイズ」
「クロエって……」
「ええ。君のお母上です」
 ニックはそこで先ほどとは違う明るい笑みを見せた。
「彼女もまた、人目を引く生徒でしたよ」
「……そうなの?」
「ええ。利発で、友を大切にする魔女でした。彼女に救われた者は少なくなかったでしょう」
 フェリシアは黙りこんで、ニックの話を反芻していた。少しとはいえ、クロエの話まで聞けたのはラッキーだったし、初めてわかったこともある。父親がある意味問題児だったこと、両親が学生時代から親しかったらしいこと、それと、二人の──そしてポッターさんとの──共通の友人の名前。
 友人の名前を聞くことができたのは大きな収穫だった。上手くいけば、彼らからもっと詳しく両親の話を聞くことができるかもしれない。
 しかし、フェリシアはすぐにダンブルドアの話を思い出した。シリウス・ブラックがハロウィーンの翌日に友人を一人とマグルを十二人殺したのというあの話だ。その友人というのが、リーマス・ルーピンとピーター・ペティグリューのどちらかのことなのだとしたら、今やこの世にはシリウス・ブラックと親しかった人は一人しか残っていないことになる。
 ふとフェリシアは、自分がシリウス・ブラックの詳細を知らないことに思い当たった。
 ニックは、すっかり黙ってしまったフェリシアの顔色を伺うようにしながら「私が知っているのはこのくらいですよ」と言った。「お役に立てましたかな?」
「うん、ありがとう、サー・ニコラス。……最後にもうひとつ訊いても?」
「はい、どうぞ」
「あなたは、私が赤ん坊の頃に会ったことがあると言っていたけれど……それは、どういうこと? ゴーストはホグワーツの外へ行けるの?」
「…… いいえ。私が君にお会いしたのは、この城の中でです」
「え?」
「ちょうど十年前、赤ん坊の君はこの城にいました。短い間でしたがね」




 お礼を言ってニックと別れたフェリシアは、改めて図書館へやって来ていた。
 まさか赤ん坊の頃にホグワーツに来ていたことがあるだなんて。
 想像もしていなかったことではあったが、思い当たる節はひとつだけあった。あのとき、ダンブルドアが言っていたではないか。クロエはシリウスの無実を証明するため、フェリシアを信頼できる人物に預けて旅立ったのだと。もしもその人物がホグワーツの関係者だとしたら、クロエがフェリシアを連れてホグワーツを訪れたとしても不思議ではない。
 しかし、本当にそうなら、なぜダンブルドアははっきりそう言わなかったのだろう。
 頭の中で疑問が渦巻いていたが、ひとまずフェリシアは適当な席に腰をおろし、先ほどマダム・ピンスに出して貰った日刊預言者新聞を広げた。十年前の古い新聞である。シリウス・ブラックの事件の詳細を知るには、当時の新聞を読むのが手っ取り早いと思ったのだ(過去の新聞を読ませてほしいと頼み、具体的な日付を告げたときのマダム・ピンスは、眉根をキュッと寄せて険しい顔をしていた。フェリシアが読みたい記事の見当がついたのかもしれない)
 目当ての記事は一面を飾っていて、探すまでもない。大きな写真には一人の男が写っていて、ギラギラとした目でフェリシアを見つめ返していた。この人がきっとシリウス・ブラックなのだ。一緒に過ごした記憶は全くなく、初めて見るも同然のはずなのに、何故だかそんな感じはしなかった。これまで何度も言われたように──こうして写真を見てみても自分ではよくわからなかったが──自分と似た顔だからなのだろうか。
 不思議な気持ちのまま記事を読み始めたフェリシアだったが、文字を追うほどに、どんどん息苦しくなった。
 記事によれば、シリウス・ブラックはたくさんのマグルと一人の親友──ピーター・ペティグリューを一瞬にして吹き飛ばした。指一本、それが唯一残ったペティグリューの体だったという。
 これが、自分の父親がしたことなのだ。たとえクロエがそれを信じなかったのだとしても、世間ではそういうことになっているし、誰も疑っていない。むしろ、どうしてクロエはシリウスが無実だと強く信じられたのだろう。 記事を読む限り、状況からいえば彼の犯行としか考えられないのに。
 フェリシアは先ほどのマダム・ピンスのような表情になりながら、更に翌日付けの新聞を広げた。シリウス・ブラックの記事が引き続き載っていたが、今度はクロエ・ブラックのことも書かれている。

「何かの間違いです。夫ははめられたのかもしれません。夫は絶対に無実です」と妻であるクロエ・ブラックは主張する。同氏は公正な裁判と慎重な捜査を求めているが、魔法法執行部は、夫の凶行を受け入れたくないが故に正常な思考力を失い妄言を連ねている可能性が高いとして、これを却下する方針である。

「『彼女が錯乱あるいは服従の呪文にかけられた状態にあるとの見解も』……うーん」
 身内が犯罪をおかしたと聞いて、信じたくないと思うのはきっと自然なことだ。フェリシアだって、実の父親が本当にこんなことをしたとは思いたくないし、トンクス家の人々が犯罪をおかしたと言われるようなことがあれば、何かの間違いだと思うだろう。それなのにこのように書き立てられては、自分の母親だという贔屓目無しでクロエが可哀想になる。
 フェリシアは長いため息のあとに、新聞を丁寧に畳んで席を立った。
 マダム・ピンスに新聞を返却するときも、談話室に戻る間も、頭の中はずっと今読んだ記事とニックから聞いた話でいっぱいだった。戻ったら、すぐにでも今日わかったこと、考えたことを書き留めておこう。
 このときのフェリシアは、ハーマイオニーのことをすっかり忘れてしまっていて、入口近くの席に座っていたハーマイオニーに気づきもしなかった。

151201
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