初めて足を踏み入れるホグワーツは、想像を遥かに超えて素晴らしかった。「イッチ年生! イッチ年生はこっち!」と手招きする大男──ハグリッドという名前で、ホグワーツの森番らしい──に連れられ、ボートで大きな湖を渡るその最中に、そびえたつ城が近づいてくるだけでフェリシアは興奮した。──これからこの城で暮らすだなんて!
 門をくぐるとエメラルド色のローブを着た厳格そうな魔女が現れ、引率を交代した。一年生は、辺りをきょろきょろ見回しながらその後ろをついていく。マクゴナガル先生というその魔女は一年生を小さな空き部屋に連れてくると、寮のことを簡潔に説明し、組分けの儀式の準備ができるまで身なりを整えて待っているように告げ、部屋を出て行った。その間際、マクゴナガル先生がフェリシアをじっと見つめたような気がした。いったい何が先生の目に留まったのだろう。まさか、マルフォイは足縛りの呪いをかけたことがもう知られているのだろうか? フェリシアは少し落ち着かない気持ちになって、ローブのシワを伸ばすことに専念した(ひょっとすると、マクゴナガル先生もこのシワが気になっただけかもしれない。ああ、きっとそうだ)。
「どうやって寮を決めるんだろう?」
「試験のようなものだって聞いたけど」
 そんな会話が聞こえてきて、フェリシアはそっと首を傾げる。そういえば、組分けの方法については誰も教えてくれなかった。試験ならそうと言ってくれそうなものなのに──そのとき急にどこからか悲鳴が上がって、フェリシアはびっくりして考えるのを中断した。
 くるりと辺りを見回して原因を探すと、それは案外すぐに見つかった。フェリシアたちの頭上にゴーストがいたのだ。半透明のゴーストたちはふわふわと漂って、怯える一年生に笑いかけた。不運にもゴーストにぶつかられた子は、氷水を浴びたような顔をしている。フェリシアは本物のゴーストを見るのはこれが初めてだったので、まじまじとその半透明な体を眺めた。なんと向こう側が透けて見える。
 不意に一人のゴーストがフェリシアに気がつき、音もなく振り返った。目を逸らそうにも間に合わない。ばっちりと目が合ってしまった。気まずさに目を泳がせると、何故かそのゴーストはふわふわと近づいてきて、フェリシアに親しげに声をかけた。
「やぁお嬢さん、ようこそホグワーツへ──おや、なんと!」
 突然ゴーストの声が大きくなった。妙に驚いているのを見て、嫌な予感がした。シリウス・ブラックの子供だと気づかれてしまったのかもしれない。どうか、何も言わないでいて。フェリシアの祈りなど露知らず、ゴーストは言った。
「もしや、フェリシア嬢では?」
 それがあまりに大きな声だったので、何人もが振り返ってフェリシアを見た。マルフォイまでこちらを見ている。フェリシアはゴーストがシリウスともブラックとも言わなかったことに拍子抜けしてポカンとしていたが、視線が集まっていることに気がつくとすっかり居心地が悪くなって、ゴーストを見上げた。
「どうして私の名前を知っているんですか?」
「君がまだ赤ん坊の頃に、お会いしたことがあります。いやはや、あの幼子がこんなに大きくなったとは……。心から歓迎しますよ」
 ゴーストが朗らかに笑って去っていっても、フェリシアは全く朗らかな気持ちにはなれない。赤ん坊の頃に会っただって? フェリシアは混乱して、頭を振った。
「あなた、ゴーストと知り合いなの?」
 知らない女の子が不思議そうに声をかけてきたが、正直なところフェリシアにもよくわからないのだ。
「うーん……そうみたい」とだけ答えた。


 それからすぐにマクゴナガル先生が戻ってきて、ついにフェリシアたちは大広間へ入った。中が見えた瞬間、一年生は一斉に息を呑んだ。見上げた天井には星空が見えていて、宙には無数のろうそくが浮かんでいる。並んだ四つの長テーブルには上級生が、上座の長テーブルには先生方が着席していて、千を超えるだろう視線がフェリシアたち一年生に注がれていた。
 その場の何もかもにドキドキしながら、一年生はマクゴナガル先生の指示で横一列に並んだ。皆緊張で顔が強ばっている。マクゴナガル先生はそんな一年生の前に黙って四本足のスツールを置き、その上にボロボロのとんがり帽子を置いた。普段なら置いてあってもきっと誰も見向きもしないような、古びてみすぼらしい帽子だ。
 じっと見ていると突然その帽子は歌い出し──寮に関することのようだ──一同の拍手を浴びた。これが通例なのだろう。拍手が止むと、マクゴナガル先生が長い羊皮紙を広げた。
 一人ずつ名前を呼ばれ、帽子を被る。それが組分けのやり方らしく、次々に一年生は名前を呼ばれ、それぞれの寮を決められていった。最初に呼ばれたハンナという女の子はハッフルパフに組分けされたし、先程フェリシアに話しかけてきた女の子、ラベンダー・ブラウンはグリフィンドールに決まった(ちなみにハーマイオニー・グレンジャーもグリフィンドールになった。絶対にレイブンクローだと思ったのに!)。組分け帽子が寮の名前を叫ぶたび、各寮のテーブルからは喝采が起こる。
 とりわけ凄かったのは、ハリーの組分けのときだ。ハリーの名前が呼ばれた途端に大広間はシンと静まり返り、全員が息をひそめて見守った。帽子が「グリフィンドール!」と叫ぶと、グリフィンドールの寮からは大歓声が上がり、見覚えのある双子が「ポッターをとった!」と騒いでいるのが見えた。さすが魔法界では知らない者はいないと言われるハリー・ポッターだ。ハリーが好むと好まざるとに関わらず、ハリーはこれから事あるごとに注目されるに違いない。
 それは、フェリシアにはとても気の毒に思えた。覚えてもいないことであれこれ騒がれるなんて、きっと良い迷惑だろう。フェリシアだって、ブラック姓を名乗っていれば今頃注目を受けていたかもしれないが──おそらく歓迎はされないだろう──覚えてもいない父親のことで、あれこれ騒がれるのは迷惑である。
 そんなことを考えているうちに、リサ・ターピンの組分けが終わった。いつの間にかTにまで順番が回ってきていたらしい。
「トンクス・フェリシア!」
 ついに名前を呼ばれたフェリシアは、小走りで椅子に駆け寄り帽子を被った。ハリーの少し前にあのいけすかないマルフォイがスリザリンに決まったので、できればスリザリン以外に入りたい。
「フム──君はブラック家の子なのか」
 突然帽子の声が頭に響いた。その上ブラック家の名前を出されたことにも驚いて、フェリシアは危うく椅子から転げ落ちそうになった。ただ座っていればいいだけの組分けで椅子から落ちるだなんて、きっと笑い者になってしまう。どうにか踏ん張ったものの、代わりにぶかぶかの帽子がすっぽり顎までずり落ちて、どこからかクスクス笑いが聞こえた。
「ブラック家の子は代々スリザリンと決まっておる。しかし君の父親はグリフィンドールだ。さてさて、どうしたものか……」帽子は一人でうんうん唸っている。「その幼さに似つかぬ勇気──聡明で広量──信念がある──そのための忍耐強さと狡猾さを備えている──」
 ふとフェリシアは、自分の寮が永遠に決まらないような気がしてきた。寮が決まらなかったらどうなるのだろう。組分け帽子が匙を投げ、大広間がざわつく中、フェリシアはマクゴナガル先生に帰宅を命じられる──本当にそうなったらどうしよう! 想像してぶるりと震えたフェリシアだったが、幸いにも、組分け帽子はまだ真剣に悩んでいた。
「しかし、誠実さを重んじ偏見を好まない……スリザリンでも上手くはやれるだろうが、おそらく他の寮のほうが──」
 どうやらスリザリンは選択肢から外れたらしい。フェリシアは密かに安堵した。アンドロメダには少し申し訳ないが、これでマルフォイと同じ寮にならずに済むのだと思うと素直に嬉しい。スリザリンでないのなら、あとはもうどこだって良いと思える。
「だが、そうなると──ウーム……知るべきことを知ろうとする意志、知ることを恐れぬ覚悟──聡明さと勇敢さを併せ持っているのか──だが知力を重んじているわけではない……むしろその器量と誠実さはハッフルパフにふさわしい……しかし──」
 帽子はまだ悩んでいる。フェリシアはだんだん疲れてきた。ずっとドキドキしながら帽子の言葉を聞いているが、一向に決まりそうにない。帽子が具体的な寮を出す度に心臓が大きく跳ねるせいで、寿命が縮まっているような気さえする。
「巨大な敵に立ち向かうことだけが勇気ではない──待ち受けるものから逃げず向き合うこともまた勇気だ、この子にはそれがある──ハッフルパフか、グリフィンドールか──」
 胸を押さえながら注意深く聞いていると、どうやらようやく二択に絞られたようだった。心臓がバクバクと煩くなる。
「早く決めてください」フェリシアは囁いた。「私の親が誰であっても私を受け入れてくれて、信じてくれる人がいれば、私はどっちだって構わないから」
「そうかね? 君が望むのは最高の友だと──なるほど、君がその未来を見据えているのなら……よろしい────グリフィンドール!」
 大きな声で、帽子が叫んだ。やっと──やっと決まったのだ。フェリシアは帽子を脱ぐと、よろよろとグリフィンドールのテーブルに駆け寄って、ハリーの向かいに座った。どっと疲れが寄せてきて、拍手の音もほとんど耳に入らない。
「随分長かったね」
「帽子が凄く悩んだの。でも、ハリーだって長かったでしょう」
「まあね……それでも君ほどじゃなかった。たぶん、君が一番長かったんじゃないかな」
 ハリーが気の毒そうに言った。あまりに長いので、生徒たちの多くが首を傾げていたらしい。確かに、今もまだあちこちから視線を感じる。
「ああ、あと十五秒長けりゃ五分を超えてたな」
「僕たちが見た組分けのなかじゃ最長だ」
 そっくり同じ声が二つ聞こえ、フェリシアは声のしたほうを見た。同じ顔が二つ並んで、フェリシアに笑いかけている。
「まあなんにせよ」
「よくぞ来た!」
「我らがグリフィンドールへ!」

150720
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