九月一日、キングズ・クロス駅、九と四分の三番線。切符の文字を何度も眺めてはドーラに呆れられる毎日ももう終わる。
 ついにやってきた九月一日の朝、すっきり目覚めたフェリシアは、うきうきとした気持ちで朝食をとった。しばらくこの家を離れるのだと思うと寂しくもあったが、今はホグワーツを楽しみに思う気持ちの方が大きい。ここのところフェリシアは、買ったばかりの教科書を読んだり、簡単な呪文など──時にはちょっとした呪いなんかも──をドーラに教えてもらいながら試してみたりして過ごしていたのだが、それはかえってフェリシアの気を逸らせた。教科書に書いてあることは興味深く、更に調べてみたいことが見つかるし、呪文が成功すればもっと高度なものを試してみたくなる。
 もちろん、シリウス・ブラックについて先生方に尋ねてみようという気持ちも変わっていなかった。クロエ・ブラックのことも知りたい。テッドやアンドロメダにも尋ねてはみたが、二人から得られる情報はとても少なかった。寮も学年も違うらしいから仕方がない。特にクロエに関しては、生家が純血の旧家であり、その家ではクロエだけがグリフィンドール寮の出身だということ以外、ほとんどわからなかった。
 朝食を食べ終えたフェリシアは、家を出る時間になるまでずっと『ホグワーツに行ったらしたいこと』を考えていた。手ではくるくると杖をもてあそんでいる。ナナカマドに一角獣のたてがみ、二十四センチ、丈夫。この杖はフェリシアによく馴染んだので文句などないが、買いに行ったときのことを思い出すと少しだけ気が沈んでしまう。店主のオリバンダー老人は、一目でフェリシアがシリウス・ブラックの娘だと見抜いたのだ( 「シリウス・ブラックが十一歳の少年に戻って、二本目の杖を買いに来たのかと思いましたよ」と笑えない冗談も言った。フェリシアは曖昧に微笑んで誤魔化そうとしたが、実際は少しひきつった表情になっていただろう)。オリバンダー老人がシリウス・ブラックについてどう思っているかはともかく、フェリシアに対して妙な偏見は持っていないようで、フェリシアの杖を始終楽しそうに選び、ナナカマドの杖に決まるとにっこりと笑った。
 ひょっとすると、と今度は杖ではなく髪の毛をくるくると弄りながらフェリシアは思った。これから先もまた別の誰かが、この外見からシリウス・ブラックの娘だと気づくかもしれない。そしてその誰かが偏見を持っていたら、きっとあることないこと騒がれて、根拠のない噂が一人歩きするのだろう。ダンブルドアの言っていた「本名を隠したところで、必ずしも隠し通せるものでもあるまい」という言葉の意味が今はっきりとわかる。自分もドーラのように七変化ができたなら、すぐにでもアンドロメダのようなライトブラウンの髪に変えるのに──そう思ったが、七変化は先天性の能力だ。いくら考えたところでどうしようもない。
「フェリシア、準備はできているの?」
 アンドロメダに言われて、フェリシアは半分上の空で答えた。必要な荷物はすべて部屋からリビングへと移動させてある。
「うん、大丈夫。──ねえ、それより、駅まではどうやって行くの? 地下鉄?」
「車だよ」答えたのはテッドだ。「今日は前々から休みを取ってあるんだ。ふくろう連れで地下鉄は目立つし、本当に良かったよ」
 まるでそれに賛同するかのように、トランクの横に置かれた籠の中で、モリフクロウが大きくホーと鳴いた。
「おや、エステルもそう思うらしい」
 テッドはクスクスと笑った。
 エステルというのは、このふくろうの名前だ。入学祝いに買ってもらったフェリシアのふくろうである。本当は他の意味が込められているような気もしていたが、フェリシアは敢えて気がつかないふりをしていた。アンドロメダたちが気を遣ってくれているなら、それを無下にするわけにはいかない。それに、自分のふくろうというのは純粋に魅力的な響きだった。飼うならシロフクロウが良いな──なんといっても綺麗だ──と思いながら店に入ったのたが、出てきたときに連れていたのは愛らしいモリフクロウだった。入口近くの止まり木にいたのを見て、すっかり気に入ってしまったのである。
「エステルは賢いから」
 自分のふくろうを誇らしく思いながら、フェリシアは時計を見た。
「そろそろ出る時間?」
「そうだね、そろそろ行こうか」
 そう言ってテッドがトランクを車に積みに行った。フェリシアもソファから跳ねるようにして降り、エステルの籠を抱える。
「ああどうしよう、エステル」フェリシアは興奮気味に呟いた。「私、本当にホグワーツに行くんだ!」
 車に乗り込んでからもフェリシアは落ち着きなくそわそわとしていたので、テッドやアンドロメダには笑われっぱなしだった。信号待ちの時間ももどかしい。
 駅に着くと、フェリシアは駆け出さんばかりの勢いで車を降りる。テッドがトランクを下ろしているうちに、アンドロメダがカートを持ってきてくれた。そこにトランクと鳥籠を積み重ねると、フェリシアは真っ直ぐ九番線と十番線の間を目指した。ドーラの見送りと出迎えのたびに通っているので、今更迷ったり怖がったりすることは何もない。後ろにテッドたちが着いて来ているのを確かめてから、フェリシアは柵に向かって駆け出した。柵はいつものようにフェリシアを迎え入れる。一瞬にして、目の前には人でごった返すプラットホームが広がった。
「フェリシア、焦らなくてもまだ時間はあるわ!」
「コンパートメントが埋まる前に荷物を積んでおいで」
 後からすぐにやって来たアンドロメダとテッドが呆れたように笑っている。フェリシアは「わかった」と返事をして、ホグワーツ特急に足を向けた。トランクを引き上げるのをテッドに手伝ってもらい、空いているコンパートメントを探す。前の方は埋まりつつあったが、後ろの方にはまだ空きがあるようだ。気がつくとかなり後ろの方まで来てしまっていて、戻るのも面倒なのでちょうど見つけた誰もいないコンパートメントに決めた。重たいトランクをどうにか押し込む。思ったより時間がかかってしまい、列車の中も外もさっきと比べ更に人が増えたように見えた。きっと出発の時間も近いのだろう。育ての両親に別れの挨拶をするため、フェリシアは急いでコンパートメントを出た。
 途中で、くしゃくしゃした髪の男の子とすれ違った。さっきまでのフェリシアと同じく、コンパートメント探しをしているらしい。困っているように見えたので、後ろの方が空いていると教えてあげた(「少なくとも三つ後ろのコンパートメントはまだ空いてるよ。私と相席になっちゃうから、それでも良ければだけど」)。軽く手を振って別れてから、もしもさっきの彼が上級生だったらどうしようと考えたが、小柄だったしたぶん大丈夫だろうと結論付けた。
「パパ、ママ!」
「ああフェリシア、遅かったわね」
「空いてるところを探していたら、最後尾近くまで行っちゃって」
「よくあることさ」
 二人と順番にハグをすると、急に寂しさが襲ってきた。あんなにホグワーツを心待ちにしていたのに、いざ家族と離れることを実感すると胸がギュッと締めつけられる。
「手紙を書くね──できるだけ、たくさん」
「ええ。エステルがあなたからの手紙を届けてくれるのを楽しみに待っているわ」
「組分けの結果が知りたいからね、なるべく早く頼むよ」
 テッドが冗談っぽく言ったが、きっと寮を知りたいというのは本心なのだろうとフェリシアは思った。以前はどこでも構わないと思っていたフェリシアも、今は少し自分の組分けが気になっていた。漏れ鍋で、よく笑う双子の男の子に出会ったからだろう。彼らとは学年が違うようだったし、同じ寮でもない限り話す機会などないように思える。あの二人はどの寮にいるだろう──もしも同じ寮になれたなら、またあの時のように話しかけてくれるだろうか?
「大急ぎで届けてって、エステルに頼むね」
 フェリシアが笑うと二人も笑ったが、不意にアンドロメダがフェリシアの肩越しに何かを見てハッとしたように目を見開いた。手で口元を覆って、じっと何かを見つめている。
「……どうかした?」
「あ……いいえ、なんでもないわ」
 フェリシアも首を捻って周りを見たが、驚くようなものは何もない。ただ、何組かの親子が別れを惜しんでいるだけだ。一年生らしきプラチナブロンドの男の子を見たとき、うっかり母親のほうと目が合ってしまい、フェリシアは慌てて目を逸らした。

150711
prevnext
- ナノ -