ひとりとひとりで生きるために

●2024VDイベ『囚われのノーチェに恋して』に夢主がいたら?なifストーリーです。書けるところだけのつまみ食い方式。
●該当イベストのネタバレあり、なおかつイベスト未読の方には話がわかりづらい構成になっています。
●特定キャラへの当たりがきついシーンがありますが、アンチ・ヘイトを目的とした作品ではありません。




「《ヴィアオプティムス》!」

 ベリルが呪文を唱えると、氷の槍が魔物目掛けて豪雨のように降り注ぐ。
 それはいかにも北の魔法使いらしい、危なげのない圧倒的な光景だったけれど、ベリルからは大きな舌打ちが聞こえた。続いて、吐き捨てるような溜息が。
 ……こんな舌打ちも溜息も、もう何度目だろう。

(ベリル、大丈夫かな)

 晶はこっそりとベリルの横顔を盗み見た。いつも落ち着いているベリルにしては珍しく、そこには色濃い苛立ちが滲んでいる。
 戦い方、呪文を唱える声、足の運び方に視線の向け方。
 仕草の一つひとつが普段と違ってどこか乱暴で、見ていると『八つ当たり』という言葉が思い浮かんだ。
 すべて北の魔女ミアの城に来てからだ。
 正確には、ブラッドリーを囲う氷の檻を目にしてから。

(魔法舎で話しているときは、全然気にしていないみたいだったけど……)

 ブラッドリーの気配がするコルクが魔法舎に飛んできたとき、ベリルもその場にいた。
 近頃は北の国の谷底の町に戻ることが増えたベリルではあるけれど、気まぐれに魔法舎を訪れては、親しい魔法使いたちと語らったり晶と食事をしたり、時には任務に手を貸してくれたりもする。今回はブラッドリーが不在ということに当てが外れたような顔をしつつも、若い魔法使いたちに引き留められ、数日前から魔法舎に滞在中だった。
 ベリルは姿の見えないブラッドリーの心配をするでもなく、「くしゃみに託けて羽を伸ばしてるだけじゃない?」なんて呑気に笑っているくらいだったし、コルクの記憶を読んだムルによってブラッドリーが女の人といることがわかったときだって、けろりとしていた。

「ブラッドリーちゃんも六百歳だもんね。そういうこともあるある……けど、あれ? これって浮気?」
「なんで私を見るんです?」
「ベリルちゃん的に、大丈夫なのかなーって」
「何も困りませんが……?」

 はっきりと言葉にしたのはスノウだったが、ベリルの様子を窺っているのはスノウだけではなかった。
 ある人は恐る恐る。ある人は興味深そうに。ある人は気遣わしげに。
 唯一興味のなさそうなのがミスラで、けれどそのミスラでさえ、「いいんですか?」と言った。

「ブラッドリーとあなたって……なんでしたっけ、いい仲? とかいうのなんでしょう」
「寝言は寝ているときだけにして」
「は? 起きてますし、寝れないんですけど」

 厄災の奇妙な傷のせいで常に寝不足のミスラは不機嫌な顔をしたが、ベリルは無視した。

「それを言うなら、ベリルがブラッドリーのもの、じゃない?」

 口を挟んだフィガロを鬱陶しそうに見やって、「私はあいつのものじゃないし、あいつも私のものじゃない」と淡々と告げるベリルは、訂正することに心底疲れているとでもいいたげだった。

「ここにいる全員にあらためて言っておくけど、あいつとは本当になんでもないから。ただの腐れ縁。今も昔もね」
「普段あれだけ見せつけてくれちゃってるのに?」
「ご老体に何が見えているのかわかりかねますが──空が白む頃に甘ったるい残り香をまとってやって来たあいつに、『小腹が空いたから何か寄越せ』なんて言われること、珍しくなかったんですよ。私がそれについて嫉妬や葛藤を覚えたことはありませんし、私たちは今も、そういう日々の延長線上にいるんです。あなた方が想像しているものとは、程遠いんじゃないですか」
「えっ待って、それマジなやつ? ブラッドリーちゃん、罪深くない?」
「罪深さはさておき事実です。その上で、あいつと『なんでもない』私だからこそ、こうして軽々しく話せるわけで……もしも私とブラッドリーがあなた方の思うような仲だったとしたら、こんな話絶対にしません。きっと惨めだもの」
「むむ……。しかし、誰とどこでどのように過ごそうとも、朝の始まりにはそなたの元へ戻って来るのであれば……そこには特別な情があると言えそうじゃがな」
「どうでしょうね」

 面倒臭そうなベリルの返答の後、短い沈黙がおりた。
 ミチルが困ったような顔でベリルとスノウを見比べ、それからちらりとフィガロを見上げる。ミチルにはまだ少し難しい話だったのかもしれない。フィガロはただ微笑むだけだ。

「もしかしたらブラッドリーは、ベリルの気を引きたかったのかも?」

 沈黙を破ったのはムルだった。好奇心にきらめく瞳が三日月のように細くなる。

「ないない。私の気を引きたければ、あいつが狙うのは私の鼻より目や耳でしょうよ」
「じゃあ、妬かせたかったとか!」
「もっとない。というか、いつまで続けるの、この話……」
「ちなみにブラッドリーが一緒にいるお相手は、紺色の長い髪に、金色の瞳の持ち主! 顔には大きな傷があるよ!」

 ──相手がブラッドリーよりも強い北の魔女ミアだと判明し、スノウとフィガロが顔を曇らせても、ベリルの表情はほとんど変わらなかった。
 ベリルも北の国で長く生きている魔女だから、ミアの名前と外見の特徴は知っているが、直接的な関わりはない。ミアのほうは、自分より弱い魔女であるベリルのことを認識してもいないだろう。そんな感じのことを淡々と言ったベリルには、焦りも嫉妬も見受けられず、先程の話も事実で本心だったのだと窺えた。
 それでも、ブラッドリーを迎えに行こうという提案には賛同し、ベリル自らミアの城への同行を申し出てくれて──。

「きみは変わらないね」
「何が」
「あいつのために体を張れて、命すら賭けられるところ」
「馬鹿言わないで。私は、たったひとつしかない体と命を、他人のために賭けたりはしない」

(フィガロに嫌な顔はしてたけど、それもいつものことだし……北の国に着いたときも、ミアさんのお城でブラッドリーを見つけたときも、いつもどおりに見えた。ブラッドリーの格好に少し驚いているくらいで……)

 その時点で表情を変えていたのはむしろブラッドリーのほうで、声には出さずとも「どうしてベリルがここに」と言っているかのように見えた。まさかちょうどベリルが魔法舎に滞在しているとは、思ってもいなかったのだろう。焦っているのとも違うけれど、前髪を大胆に上げたヘアアレンジのおかげで顰められた凛々しい眉がよく見えたから、ベリルが来たことがブラッドリーにとって好ましくない展開だというのはなんとなく察しがついた。

(ベリルの様子が変わったのは、やっぱりその後──)

 ミアの剣幕に眉ひとつ動かさなかったベリルは、氷の柱がブラッドリーを取り囲んだ瞬間に雰囲気が変わった。あのとき、吹雪がごうごうと唸る合間に、「は?」という低い声を聞いた気がする。
 ブラッドリーとミアの緊迫したやりとりに全員の意識が向いていて、晶がベリルの表情を目の当たりにしたのは、二人の賭けの内容が決まった後だった。
 鋭く細められた両目、眉間に深く刻まれる皺。ネロに腕を掴まれているのは、おそらく何か仕掛けようとしたのをネロが力尽くで制したのだろう。ベリルはその腕を振り払うことすらもどかしいとでもいうように、微動だにせずミアを睨んでいる。ミアに向けられた魔道具のダーツの矢の尖端がいつもより鋭く凶悪に見えるのも、晶の目の錯覚とは思えなかった。自分に向けられているわけではないにも関わらず、ベリルから発せられる敵意に身震いしてしまう。
 そのときになって初めて、ミアは真っ直ぐベリルを見据えた。それまで意図的に無視をしていたのか、それともベリルが予想していたとおりまったく興味がなかったのかはわからないが、ベリルを見据えたミアの表情は険しい。
 ミアは金色の瞳にフィガロや双子を目にしたときとも違う切迫した色を湛え、ベリルとダーツの矢を一瞥した。

「貴様は……」
「北の魔女、べリル」
「ベリル? 聞いたこともない名だ」
「今覚えてくれればいい。あなたを石にする魔女の名として」
「何?」
「おい、ベリル、落ち着けって──」

 ネロが掴んだままの腕を引く。ベリルの体は簡単に引っ張られたが、ダーツの矢が一本くるりと翻りネロの喉元へ向いた。

「落ち着いてる。──ミア、ブラッドリーはあなたのものじゃない。あなたがあいつを飼い殺しにするというなら、私があいつを自由にする」

 誰もが意表をつかれたような顔をしてベリルを見た。ベリルの声音は、まるで無理矢理感情を削ぎ落としたかのよう。それでいて、潜めきれなかった激情が瞳の奥に見え隠れしている。
 ミアの顔は激しい怒りに染まって、ベリルの足元にいくつもの氷柱がせり出した。先ほどブラッドリーを取り囲んだものと明らかに違うのは、その先端が槍のように尖ってベリルを狙っていることだ。

「貴様、よくも抜け抜けと……! 私からブラッドリーを奪うと? その程度の魔力しか持たぬ小娘が、私に勝てるつもりでいるのか? 石になるのは貴様のほうだ。身の程を知れ」
「それならあなたは、恥を知るといい。あなたが我が物顔をやめるなら、私も身の程とやらを考えてあげる。その上でもう一度言う、私は──」
「ベリル」

 ブラッドリーが静かに名前を呼ぶと、ベリルは渋い顔をして口を噤んだ。
 視線だけのやり取りをしている二人を見つめるミアは、再び表情を変える。怒りの中に焦りのような、嫉妬のような、複雑な色が滲んで溶けていく。

「話は聞いてただろ。俺たちは今、賭けをしてる。水差すんじゃねえよ」

 ベリルは唇をつんと尖らせたけれど、反論はしなかった。ネロがゆっくり腕を掴む力を緩めても、じっとしている。
 やがて、動かないベリルの代わりに、ダーツの矢の尖端が三本とも床を向いた。拗ねた子どもが俯くみたいに。

(──それからずっと、いつものベリルじゃない)

 弱気になっているとか、落ち込んでいるとか、そういう雰囲気ではないものの、そばにいると何だか空気がヒリヒリするようだった。
 普段のベリルとブラッドリーは自然と肩を並べてお喋りしていることが多いのに、ミアの城を出てからの二人はまったく会話をしていない。
 夕方までにベネデッタの実を見つけ、ミアの元へ持っていくことができなければ、賭けはブラッドリーの負けだ。ベネデッタの実の探索メンバーにブラッドリーが選んだのは、ミスラとミチル、そして晶とベリル。残りのメンバーは、人質としてミアの城に残っている。ベネデッタの実が見つからなければブラッドリーはミアのものになるし、途中でブラッドリーが逃げてしまえば、人質の五人が石にされてしまう。
 そんな状況で、お喋りするような時間の余裕がないのは確かだとはいえ、ブラッドリーとベリルの間に会話がないのはどうしたって気がかりだった。ミチルも時折、心配そうな面持ちでベリルの後ろ姿を見つめている。
 ただ、晶もミチルもベリルに声をかけられない。なんと言葉をかければいいのかわからなかったし、皆と同じようにミアに用意された衣装に身を包んだベリルは、それだけでいつもよりも近寄りがたい雰囲気を纏って見えた。
 ミアが着ていたようなタイトなシルエットのドレスに、ファーがたっぷりついたコートを羽織り、足元は十センチ以上ありそうなハイヒール。外に出て早々に「動きづら……」とぼやいて箒を取り出していたけれど、その装いはベリルによく似合ってはいて、脚を組んで箒に乗っているだけでも絵になっている。
 晶がじっと見ていると、急にベリルが振り返った。その拍子に、左耳のピアスが揺れる。ベリルが大事そうに持っていた傷入りの赤い宝石で、ヒースクリフが作った、あのピアスだ。晶もクロエたちと一緒にデザインを考えたから、よく覚えている。
 ──ミアの城で今の服を着せられたとき、ベリルの耳には別の耳飾りがついていた。服と一緒に用意されたもので、ミアの髪のような、濃紺の石だったと思う。ベリルはおもむろに髪をかきあげ、あらわになった耳朶をロゼ色の指先でつまみながら、静かに言った。

「せっかく用意してもらったところ悪いけど、自分を飾るものは自分で決めさせてもらう」
 
 言い終わるが早いか、ベリルが手を離したときにはもう、ピアスは赤い石のものに変わっていて。
 ベリルはさらに同じ手で鎖骨の辺りを払うように撫で、小振りな青い石の首飾りを鮮やかな黄金色の宝石がついた首飾りに変えてから、反対の手の親指のあたりを同じように撫でた。すると一瞬のうちに、何もついていなかったはずの親指に武骨なシルバーリングが嵌っている。
 そのときブラッドリーは、ベリルの様子をただじっと見ていた。

(やっぱり、思い入れがあるアクセサリーなのかな……。ブラッドリーから貰ったとか……)

 振り返ったベリルのピアスに視線を奪われていた晶は、「どうかした?」と声をかけられてハッとした。

「はいっ、いいえ!」
「どっち? 何か話したいことがあるなら話しなね、聞くから。聞き入れるかどうかは別だけど」

 それは何度か聞いたことがあるベリルらしい言い回しで、晶は少しだけホッとした。

「……ベリルこそ、何か、話したいことはありませんか?」
「私?」
「はい……無理にとは言いませんが、話して気持ちが落ち着くようなら、聞かせてほしいです」

 首を傾げたベリルが、ちらりと魔物の群れと戦っているミスラたちを見やる。
 晶の目から見ても、ミスラとブラッドリーの圧倒的優勢。周囲にベネデッタの木らしいものがないか探っているミチルも、上手く立ち回れている。
 余裕のある状況と見てとったからか、ベリルは晶のほうへ箒を寄せた。

「どうしてそう思ったの」
「それは……だって、様子がいつもと違うので。この言い方で合っているか分かりませんが、冷静じゃないように見えます。その……ブラッドリーとミアさんのこと、やっぱりショックでしたか……?」
「……ショックというか……」

 ベリルは答えようとしたが言葉が続かない。どんな言葉で言い表すべきなのか、ベリルも迷っているのだろう。また、唇がつんと尖っている。
 晶はふと、ブラッドリーがベリルを探索に連れていくと言ったときのミアを思い出した。あれはきっと、ひどくショックを受けている顔だった。
 不満を漏らしたミアに、ブラッドリーは「ベリルを残せば、どうせすぐ殺し合いになって賭けどころじゃなくなるだろ」と説明した。それは晶もほかの魔法使いたちも納得の理由ではあったけれど、ミアの不満が取り払われることはなかったし、あのときのミアがベリルに向けていたものは単なる殺気だけではなかったような気がする。そのことに、ベリルだって気がついていないはずがない。
 ベリルの言葉を待ちながら、晶もまた言葉を探した。晶にとってベリルは友人だから、できるだけベリルが傷つかなければいいと願ってしまう。……だけどそれは、ミアの心を軽んじていいということではなくて。
 二人の心もブラッドリーの心も大事にするためには、いったいどうすればいいのだろう。

「……ショックというか。なんか……むかついてる」
「それって……」
「ああ違う、違うんだよ。別にあいつが誰と過ごそうが、誰に求められようが、どうでもいいんだけど……あの人、言ってたでしょ。何度も。『私のものだ』って。檻にまで入れて。それだけは……聞き捨てならなくて。とにかく、むかつく」

 ぽつぽつと言葉を区切って話すベリルからは、装いとは真逆の幼さが感じられた。

「……私は、ブラッドリーに自由でいてほしい。心も、体も、自由で。自分だけのものにしたいなんて、理解できない。……でも」

 その先は続かなかった。ミスラが戻って来て、ベリルに声をかけたからだ。
 たくさんいたはずの魔物は、いつの間にか一匹もいない。ブラッドリーとミチルは、ベネデッタの木の有無を確認するためか木立のほうを探っている。

「ちょっと。何サボってるんですか」
「いや……ミスラが強すぎて、私の出る幕がなかっただけ」
「はあ……まあ、それはそうでしょうね。俺がいる限り、あなたの出番はないかもしれません」
「そうだね。じゃあ、次の場所に扉繋いでくれる? 私、先に行ってる」

 晶は思わず「えっ」と声をあげてベリルを見た。ベリルは口元だけで笑って、

「ここでもベネデッタの実は見つからなさそうだし、それなら先回りして魔物を片付けておいたほうが効率がいい」
「でも、一人でなんて危険なんじゃ」
「何言ってんの、晶。私は北の魔女だよ」

 北の魔女が相手だろうと、心配くらいする。しかし晶がそれを伝える前に、ミスラが呪文を唱えた。現れた扉の向こうには、今いる場所とあまり変わり映えしない真っ白な景色が広がっている。
 ベリルはひらりと手を振って、扉をくぐり抜けていってしまった。「気を遣わせて悪かったね」とだけ言い残して。

「ああ……行っちゃった。大丈夫かな……」
「ベリルが心配なんですか?」
「はい……今のベリル、なんだか少し不安定っていうか……」
「……そうですか?」

 ミスラは不思議そうに首を傾げた。

「でも、まあ、大丈夫だと思いますよ。飛び方、安定してましたから」


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