輪郭は朧


side シンドバッド


 エルを薬草師に。
 ジャーファルの提案に最初に賛成を唱えたのは意外にもドラコーンで、それに倣うかのように次々と賛同の声がこだました。マスルールは相変わらず無言であるが、何せ考えることが得意ではないマスルールのことだ。賛否を問えば、ジャーファルの提案ならば問題もなかろうと、すぐに賛成と答えるだろう。並ぶ顔を順に見ていけば、考え込むような表情をしているのはただ一人、生真面目なスパルトスだけだった。

「しかし……ジャーファル殿がそう言うのだから、問題はないのでしょうが。私は今一つ、彼女を信用していいものか確証が持てないのですが」
「お前まだそんなこと言ってんのかよ」
「なにしろ私はシャルルカン達ほど彼女と関わっていないからな」
「じゃあ積極的に関わってみればいいじゃん。そうしたらきっと、エルハームさんが悪い人じゃないってわかるよ!」
「え、いや、それは……」
「商船警護とかで一緒になったことあるんでしょー?」

 逸れ始めた話も耳に入ってはそのまま流れていく。なんとなく、俺は、ジャーファルの話を受け入れがたく感じていた。素直に飲み込むことが出来ない。
 恐らくジャーファルは、エルハームがどこにも属さずに生きたいのだと告げたときから、こうすることを考えていたのだろう。俺はエルハームを食客としてシンドリアの王宮に住まわせるつもりでいたが、最早それは難しい話である。食客ならばこのシンドリアに力を貸す意思を見せてもらわねばならない。しかし、あいつははっきりと『何も差し出せない』と言ったのだ。となれば、食客とはまた別の立場を用意する必要がある。王宮に住まいを与えられるような立場をだ。無論、名ばかりの食客として王宮に置くことは不可能ではないが、それをエルハームが知れば拒絶するだろうことは明白だった。
もしもその結果、エルがこの国からふらりと抜け出してどこかへ行ってしまったとしたら。そんなことは誰にとっても本意ではないのだから、なんとしても避けねばならない。
 ジャーファルが安易な考えで提案をすることなど有り得ないと知っている。だから今回の提案にしても、八人将が揃って賛同するに値するものには違いなかった。それでも頷くことが出来ないのは、やはりエルハームを危険から遠ざけたいと思うからだろうか。未知の植物、あるいはその毒によってエルハームが傷つかぬ保証はない。むしろエルハームの性格を考えれば、まず食べてみる、なんて方法を採るとしても不思議ではなかった。
 いつの間にか全く逸れた話題に盛り上がり始めた若い連中を嗜め、ジャーファルはぐるりとその場を見渡した。「賛成多数のようですね」そして、居住まいをただして俺に向き直った。

「王は、どのようにお考えですか」

 途端にばっと八対の瞳が向けられる。ピスティやシャルルカンは、俺が今まで黙りこくっていたことに今初めて気がついたといわんばかりの顔だ。それぞれの視線をいつになく煩わしく感じるが、このまま黙っているわけにもいかず、漸く俺は重い口を開いた。

「確かにエルは昔からそういった方面に明るかった。適任ではあるだろう。ただ、自分の身を軽んじるきらいがあるのがどうもな……。自分が苦しむ可能性を理解した上で片っ端から毒味をしかねない」
「なるほど。しかしその点については、既に本人に釘を刺してあります」
「……そうか、さすが、仕事が早いな」
「先走った真似をしてすみません。とはいえ、もうこれ以上彼女の立場を曖昧なままにしておくことは出来ないと思いまして」
「ああ……そうだな」

 王宮に勤める役人達が、はてあの女人は何者だろうかとそこかしこで噂をしているのは、確かに俺の耳にも届いていた。難民だの食客だのと、急に新しい顔が増えるのは決して珍しいことではないが、そういう時はすぐにその報せが回る。ところがエルハームについては、一部の侍女を除けばなんの報せもなかったに等しい。そんな彼らからすればエルハームは、ふと気がついたら王宮に住み着いていた女であり、当たり前のように部屋があって、挙げ句八人将と気軽に会話を交わしている妙な女である。
 このままぐずぐずしていては、妙な噂がたたないとも限らない。そうしてエルハームが国に馴染めなくなるようなことは勿論避けたいところだというのに、自分一人が未だ腹を決めかねている。一歩引いてそれを見つめ直すと、ひどく滑稽に思えた。

「毒の恐ろしさを、彼女は身に染みて理解しているはずです。そう無茶はしないでしょう」

 彼女を信じられないのですか、とジャーファルは尋ねた。
 より正確にいうならば、尋ねたというよりもむしろ囁いたというべきだろう。決して大きな声ではなく、責めるような口調でさえもなかったが、どうしてかその一言はそれまでのどんな言葉より深々と心臓を貫いた。

「……まさかお前からそういう言葉が出てくるとはな」
「その話はまたの機会に」

 はぐらかすな、誤魔化すなと視線だけで訴えるジャーファルから思わず目を反らすと、ドラコーンの視線とかち合った。鱗に覆われて表情の読みにくい男は、代わりに雄弁な視線をこちらに向けている。「誰かが彼女に新しい生き方を示してやらねばならない──」徐に開かれた口から紡がれる一語一句が重々しい。一瞬、立場が入れ替わったような錯覚すらあった。

「──そして、我らが王は、これまでに何度もそれをしてきたはずだが」
「……わかってる。わかってるさ」

 ただ、大切にしたいだけなのだ。妹だろうが友だろうが、いつだって俺にとって唯一無二の存在だったことに変わりはなく、 出来ることならば、ありとあらゆる危険から遠ざけておきたい。たとえ真綿にくるまれたような生活を本人が望んでいないのだとしても、あいつが傷つきながら生きるよりずっと良いと思える。利己的だと謗られようとも同じことだ。
 しかし──自分自身にまとわりついたしがらみが、許してはくれない。無意識にがりがりと頭を掻いていた手を止め、吐き出しかけた溜め息を飲み込んだ。

「──そうだな。皆の意見も一致していることだし、薬草師としての仕事をエルに任せることにしよう」

 すかさずシャルルカンが口笛を吹き、ピスティが「やった!」と手を叩く。ヤムライハもほっとしたように微笑んで、年長組も表情を和らげた。
 一体いつの間にエルハームはこんなにも八人将の心に入り込んでいたのだろう。それは果たして喜ぶべきことなのだろうか。分からないまま、それでもいつもの完璧な笑顔を貼りつける。

「何かあれば、お前達も力になってやってくれ」

150616 
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