この青い空に慣れてしまったら


「……それでは、追ってまた連絡します。急に呼びつけてすみませんでした」
「いえ」
「正式に決まり次第、民への紹介も兼ねて宴が行われることになるでしょうから、そのつもりでいて下さいね」

 元々快気祝いだのなんだのと宴を開きたがっていた王のこと、必ずそう言い出すはずだとジャーファルさんが苦笑した。それを見る私はきっと苦い顔をしている。気乗りしないのだ。シンドリアの財政が厳しいというのなら、わざわざ宴などしてくれなくて良いからその分のお金をもっと国政に回して欲しいと思うし、何より宴などという華やかなものに私はてんで疎い。折角私のために宴を開いてもらったとしても、それを楽しめる自信がなかった。
 ジャーファルさんと別れ再び鍛錬場へと戻る道すがらも、考えるのは宴のことばかりだった。宴のことで頭がいっぱいで、などと言えば、宴が楽しみで待ちきれずに浮かれているかのように聞こえなくもない。しかし、事実はまるで正反対なのだから困ったものである。溜息は知らぬ間に零れ、自分以外の足音に気づいたときには遅かった。

「どうした? 元気がないな」
「…………貴方こそ仕事はどうしたの、シン」
「開口一番がそれか。ジャーファルに似てきたんじゃないか?」
「似てきたかは知らないけれど、ジャーファルさんがカンカンになって捜しに来る前に戻ったほうが良いんじゃないかな」
「お前が元気がないのに放ってはおけないよ」

 また仕事を放って抜け出して来たのだろうシンドバットは、全く悪びれもせず言った。本心から言ってくれているのか、私を都合の良い言い訳にしようとしているのかは定かではない。恐らくは半々といったところだろう。
 私は首を横に振った。心配される程のことではないし、宴が嫌なのだと言うのは余りにも幼稚な気がした。駄々をこねられるような歳はとっくに通り越しているのは自覚している。そもそもまだ本当に宴があるとは決まっておらず、しかし、それを決めるのはシンドバットだ。彼はきっと宴が好きだから、私が子供染みた我が儘を言うわけにいかない。

「別に、何でもない」
「溜息をついていただろう」
「それは……色々考えちゃって」
「色々?」
「……大したことじゃないよ。これから上手くやっていけるかなって、それだけ」

 本当のこととは少し違ったけれども、丸きり嘘というわけでもなく、真実ではあった。衰えた体力や筋力はなかなか以前のようには戻らず、今の私は人より少し魔力が多いだけの平凡な魔導士だった。刃を仕込んだ杖は、やはり普通の杖に比べればどうしても重い。以前はさほど気にならなかったその重さが、今では私の体力を余計に奪うのだ。杖も満足に振れぬ魔導士など魔導士を名乗れない。
 何より私の人生のおよそ半分は暗殺者としての人生である。そんな人間がこの平和な国に溶け込めるのか。違和感を拭えないのは他でもない私自身だった。市民に温かい言葉を貰い、ジャーファルさんに後押しされて、その上でこれ以上何を望んでいるのだと自分で自分に呆れてしまう。

「大丈夫、やっていけるさ」

 シンドバットの声が降ってきた。そこでようやく私は、いつの間にか自分が俯いていたことに気づいた。顔を上げれば、そこには痛いほど優しい表情で笑うシンドバットがいる。

「どうしてそう思うの」
「俺がいる。たとえ上手くいかないことがあったとしても、俺がついている」
「…………それは……とても頼もしい、ね」
「俺だけじゃないさ。ここにはもうエルの友がいるだろう? 何もかもを一人でどうにか しようとしなくていい。頼っていいんだ」
「いいのかな」
「……じゃあ言い方を変えよう。俺を、……俺達を頼ってくれ。その方が俺もあいつらも嬉しいよ」

 そう言って頭を撫でるのは相変わらずで、彼の中では私はいつまでもあの日の幼い少女なのかもしれなかった。髪をかき混ぜられるこの感覚を私はもう何年も前に忘れていたはずだったのに、この国に来てからというものまた当たり前のように染みついて、既に懐かしいものではなくなっている。
 ……いつか、同じように、この平和な生活を当たり前だと思う日が来るのだろうか。
 すぐに漠然と、そんな日は来ないだろうと思った。たとえシンドリアでの温かな生活に馴染んだとしても、それを当たり前だとは思えない。私が私の過去を忘れない限り、そして、私が生きてきた薄暗い世界を、そこに居た人々を覚えている限り。
 私は自分の手を伸ばして、まだ頭の上にある大きな手をそっと外した。

「ありがとう」

 頼っていいと言われることも、頼れる人間がいることも、少なくとも私にとっては当たり前のことではないのだ。

「やっぱり私は幸せ者に違いないね」

150403 
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