世界はたおやかに終を告げる


 ここで私は死ぬのだなと、他人事のように考えた。シンドリアまで来たのに、シンドバッドでもなくその部下でもなく、ましてやシンドリアの者でもないどこの誰とも知れない野郎に殺されるのか。なんて滑稽な話なのだろう。シンドリアまで来て、こんな薄暗いところで薄汚い話に巻き込まれて死ぬなんて。私には丁度良いのかもしれないけれども、出来るならシンドバッドに少しでも近いところで終わりたかったかなあ、なんて。
 今や手足の感覚は全くなかった。まだ剣を落とさずに居られていること、膝をつかずに立ち続けていることは、我ながら奇跡だと思う。化け物、とは実に言い得ている。
これだけの毒を飲んで、まだ死なない。普通の人間の致死量はゆうに超えているのにも関わらず、まだ生きている。気持ち悪い体だとぼんやり思ったけれども、そのおかげで誰かが駆けつけてくるまでの時間稼ぎが出来るのだから、良しとしよう。これでその駆けつけて来る誰かが悪党の仲間であったらそれもまた滑稽だけれども、きっとなんとかなる。
 それよりも今は、感覚が消えていく現状から早く解放されたかった。感覚がなくなるのは、ひどく怖い。私がここにいる確信を持てなくなる。私のものであるはずの手足は鉛のようになって、私の意志で動いてくれない。私が私を認識できるものは最早この思考以外には何もなく、しかし思考など目に見えなければ触れられもしないから、確かめることが出来ない。私は今この場所に、本当に存在しているのだろうか。私は、どこに在るのだろう。ひょっとしたら、私は、もう。
 また喉の奥からせり上がってくるものがあって咳き込んだ。もう手が口元まで挙がらない。

「もう終わりにしてやろうか」

 男が言う。その手に持った短剣で殺してくれるとでもいうのだろうか。私が死にかけの今なら、ボルグも脆くなっていて可能かもしれない。しかし生憎、私は、下卑た笑いを浮かべるような男に刺し殺されたいなどという馬鹿げた願望は持っていないのだ。
お断りしますと答える代わりに、引き摺った切っ先をそのまま男に向けた。

「……ラムズ」

 迸る雷電は弱々しかったけれども、地面を伝って男に直撃する。文字通り雷に打たれた顔で、男は声もなく地に伏した。
 悪党は皆地面にのびている。
 これでもう終わりだ。この件も、きっと私も。
 男達全員が倒れている様子を見て、捕らわれていた人々が弱々しく声を発した。

「大丈夫、なの……?」
「……だ、いじょうぶ、です。直に…、助け、が来て、みなさんを……保護、してくれる」
「そうじゃなくて……貴女は……!」
「…………」

 なんと答えていいか分からずに、背を向けたまま頷いて誤魔化した。この優しい人達は、知らなくて良い。気づかなくて良い。そう思うと、肩で口元についた血を拭っても人々を振り返ることは出来なかった。まだ、膝もつけない。
 拭ったそばから咳が出て血を吐く。
 死ぬことは構わない。死にに来たのだから、いつだって死ぬ用意は出来ている。……出来ている、はずだったのに。無性に泣きたくて叫びたくて、しかしそんな力も残っていなくて、やるせなかった。怖かった。苦しかった。寂しかった。
 シンドバッドに会いたかった。
 シンドバッドの悲しげな笑顔を思い出す。そんな顔が見たかったわけではなかったのに、間違いなく私がその顔をさせたのだ。私がこんな風に死んだら、彼は悲しむのだろうか。腹を立てるのだろうか。嗚呼、謝りたいなあ。迷惑をかけたこと、世話をしてもらったのに身勝手をして、恩を仇で返すこと。謝って、だからどうなるのかと言えば、私の自己満足でしかないことは分かっている。それでも、どんな口実をつけてでも、もう一度会いたいと思ったのだ。これを未練というのだろう。
 今の私には、未練がある。未練しか、ない。
 不意に騒々しい足音がして、誰かが袋小路に入ってきたのが分かった。

「エルハームさん…! っ、これ…!?」

 シャルルカンの声だ。ほっとした瞬間、手から剣がすり抜けて地面に転がった。固い地面と金属のそれがぶつかって大きな音をたてる。いよいよ私の限界らしかった。
 のびている男達、枷をつけられた人々、様子がおかしい私。それらを見たシャルルカンが慌ててこちらに駆け寄ってくるのを感じて、私は声を絞り出した。

「先に、…人々、を、……枷を……」

 躊躇った様子のシャルルカンだったけれども、私と人々の間には雷魔法で創った急場の防御壁がやんわりと形を保っている。やむなしと判断したのだろう、離れていったのを感じて安堵した。シャルルカンが駆けつけた今、この雷の壁は必要ない。しかし、風魔法で相殺しようにも杖は落としてしまった。そして、私自身の体が限界を迎えようとしている。
 ──なんだ、それなら消さなくても、後で自然に消えるじゃないか。
 そう思いながら、膝をついた。咳が止まらない。思わず自分を抱き締めるように腕を動かしたものの、感覚がないものだから実際どうなっているのやら分からなかった。

「おい、大丈夫かよ!?」

 シャルルカンの声と、手足の拘束を解かれた人々が安堵する声がやけに遠く聞こえている。ただ締め付けられるような苦しさがある他は何も感じない。手足はすっかり麻痺して感覚がなく、まるで切り取られたかのよう錯覚する。嗚呼、私は消えてしまったのだろうか。怖い。
 ひゅ、と喉が鳴る。
 背後でバチンと大きな音がした気がした。きっと、雷の壁が消えた音だろう。その瞬間に私は悟った。
 本当に、ここまでだ。
 そう思ったのを最後に、世界が消えた。

140915 
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