残骸になる覚悟


 不愉快な笑みを絶やさない男は、壁にぶつかって伸びていた他の六人がのろのろと起き上がるのを横目に、自らが隠し持っていたらしい小瓶を私に見せた。透明な小瓶、中に入っている液体も透明である。栓を開ければあのつんとした匂いがして、先程飲んだものと同じ毒だということがわかる。
 顔色一つ変えずに見ていると、男はゆっくり私との間合いを詰め、小瓶ごと差し出した。

「これを、一滴残さず飲み干して下さい。出来ますよねえ?」
「正気ですかい旦那!?」

 様子を見守るだけだった男達が驚くのも無理はなく、この量を飲めば普通の人間なら命に関わる。辛うじて一命を取り留めたとしても、体の至るところに麻痺が残るのは避けられない。
 もしも私がそうなってしまえば売り物にはならないのだから、焦るのも当然であった。しかし、旦那と呼ばれたこの男にとっては、さしたる問題ではないのだろう。この賭けは、単なる娯楽でしかないのである。
 私は何も言わずに受け取り、一息で飲み干してやった。口に含んだ瞬間に不快な匂いが鼻をつき、口内には何ともいえぬ味が広がる。嗚呼、不味い。幼い頃から、幾度となく食事に混ぜられた。だから、この一瓶分であれば物ともしない自信はあるのだけれども、こんな状況でなければ決して口にしたくはないし、出来るのであれば今すぐ男の顔にでも吐き出してやりたい程だった。
 それでも私は吐き出すことなく最後の一滴まで全て飲み込んだ。空になった小瓶は無造作に投げ捨てる。固い地面にぶつかって、呆気なく割れる音がした。
 雇われ者の男達は平然と立ち続ける私にどよめいたけれども、目の前の男だけは沈黙し、目を爛々と光らせて見つめてくる。最早狂気染みていて怖気がした。

「へえ、これは想像以上!」
「私の勝ちで宜しいですか?」
「そうですねえ、貴女の勝ち……と言ってあげたいところですが、残念ながらまだですねえ」

 男がより一層笑みを深くし、懐からまた小瓶を取り出した。先程のものとは違い、今度は中身が見えない。

「先日手に入れたばかりの、ちょっと珍しい毒です」

 珍しい、毒。声には出さずに反芻する。珍しいという一言がどうしても引っかかった。
 私はあくまでも人間で、体の作り自体は脆弱な魔法使いのそれである。耐性のない毒には呆気なく命を奪われるだろう。
 こんな男に殺されるのは不本意だけれども、私は死ぬためにシンドリアに来たのだ。だから、何も未練などない。あるはずが、ない。
 男が瓶の栓を抜く。すぐにむわりと熟れすぎた果実のような匂いがした。
 これは知っている匂い、知っている毒だ。
 果実に近い匂いでありながら植物から採れるものではなく、ある稀少な毒蛇と毒蜘蛛から採取した毒を調合することで出来るものだったと記憶している。元となる毒がそもそも稀少なもので、故にこれは相当に珍しい毒である。
 結論から言えば、私はこの毒への耐性が殆どないに等しい。その稀少さから無駄にすることは許されなかったし、耐性をつける必要性も希薄とされていた。
 万事休す。
 そんな言葉が脳裏をよぎった。例えばこの毒を一瓶飲もうものなら、私は確実に死ぬ。半分しか飲まないとしても、助かる可能性は低い。調合の元となった毒への耐性はあるはずだから、それがどれだけ役に立つかだ。

「手に入れたばかりで、実際の効果をあまり知らないんですよ。ちょうど良い機会ですから飲んでもらいましょうかねえ」

 ぎらぎらと異常な程に光る目。間延びした口調の相俟って、どこまでも不気味である。

「流石にこれを一瓶使い切っては勿体無いですから、そうだなあ、どのくらいが良いでしょうねえ?」

 不意に男の手が延びてきて顎を鷲掴みにしたかと思うと、そのままぐいと上を向かされ、指で口をこじ開けられた。ボルグが発動しないのは、男が今、純粋な狂気と好奇心で行動しているからだろうか。抵抗する間もなく流し込まれた毒を、私は飲み込む他なかった。喉を通っていく瞬間の焼けるような不快感に涙が出そうになる。
 喉が動くのを見届けた男は、手を離してぎらぎらした目で問うた。

「気分はどうです?」
「……最悪」

 私が返事をするとは思わなかったのだろう、男が面食らったその隙を逃しはしない。

「ラムズ!」

 この賭けをするに当たって杖を奪われなかったことが幸運であった。雷が私と男の間を切り裂いて、空へ走る。男は壁の方へ大きく吹っ飛んだ。

「ひッ…」
「化け物かこの女…!!」 

 動揺した残りの男達が口々に叫んで向かってくるけれども、それを聞き取る余裕も暇もなかった。この毒は、先に飲んだものに比べて少し回るのが遅い。体に回りきるまでに、今私の後ろで怯えている人々の安全くらいは確保しなければ。
 杖をくるりと返し刀身を引き抜くと、男達が一瞬困惑した素振りを見せた。やはりこいつらは、甘い。

「ラムズ・サイカ!」

 雷電を纏う銀の刃を振り抜いて、軌道に乗せて雷を走らせる。それを一旦その場に留めた後で、私の背後に連ならせた。これで人々を守れる保証はないけれども、何もないよりマシなはずである。
 飛びかかってくる六人の男は、力任せに短剣を振り回している。視界がぐにゃりと歪んだことには気づかない振りをして、闇雲に突っ込んでくる男達をかわし適度な間合いを取りながら握った剣を振り抜いた。
 雷に打たれ、一人また一人と動きを止めていく。
 一気に動きを封じられなかったのは、上手く力の入らない腕のせいだ。体を動かしたせいで毒の回りが思ったより早かったらしい。たった一つの武器を取り落とさないように強く握っているつもりなのに、指先には既に感覚が無く、物に触れていることさえ分からない程だった。呼吸もおかしい。深く息を吸うことが出来ず、ひゅうひゅうと妙な音がしている。
 あのリーダー格らしき男が目の前に立っているけれども、その顔はぼやけていてよく見えない。化け物だな。そう言ったような気がした。音がやけに遠く聞こえている。

「これでまだ膝もつかねえなんて信じられねえ。それで最後まで死なずに回復するなら、相当高く売れるだろうよ」
「…生憎、売られるつもりは…ない、ので」

 喉がひきつって声がすんなりと出てこない。無理やり絞り出せば、何かがせり上がってきて思わず咳き込んだ。苦しい。口に手をあてがおうとしても上手く動かせず、仕方なしに手の甲を押し当てた。すると甲にはべっとりと血がついて、しかし血の生暖かさも感じず、そこに手があるのかさえ不安になる程感覚がない。
 そんな様子を見て強がりだと思ったのだろう、男は声をあげて笑った。私はもう一歩も動けない。辛うじてまだ手の中にある剣の切っ先も、下を向いたままである。男はすっかり油断しているらしかった。

「そりゃまあ、死んじまえば売れねえよな。残念だなァ、あと少し毒が少なけりゃ……。いや、旦那に目ェつけられたのが運の尽きか。若い女の苦しむ顔が好きで、そのために毒の収集始めたらしいからな」

 随分と悪趣味な男だ。悪態の一つや二つ吐いてやりたいところだけれども、そんな余力がないことは自分がよく分かっている。

140913
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