美しき世界の向こう側


 男はどんどん人気のない通りに入っていった。シンドリアの街に未だ詳しいとは言えない私は、シンドリアにも陽の当たらない場所があるのだなと呑気に考えた。
 陰陽は表裏一体、明るいところがある以上、影は必ず出来る。
 そんな当たり前のことを忘れていたわけではないけれども、少し意外に思えてしまう程この国は、どこにいても眩しかったのだ。薄暗い場所に蔓延るはずの不届きな輩や家のない者の姿が見えないところに、この国の平和が現れている。シンドバッドは良い王様をやっているのだなと思ったら、不思議に胸が苦しくなった。
 男の後を追って進んでいくと、やがて町外れの袋小路に行き着いた。馬のいない荷馬車が留めてあり、男が二人──私が追ってきた男を含めると三人──集まっている。
 シンドリアのこの街で、わざわざ薄暗い場所にいるというのは妙であったし、あの荷も怪しい。聞き耳を立ててみても、声を潜めているのと声が低く嗄れているのとで聞き取りにくく、会話の内容まではわからなかった。
 善からぬ輩なら仲間がいるだろうと予想はしていたものの、私一人で来たことは失敗だったかもしれないと一抹の不安が掠める。
 ──いや、大丈夫だ。一人でも。今までだって全部一人でやっていただろう、今更何を不安がる必要があるのだ。
 相手は毒を所持している。私は余程の量を盛られない限り大半の毒には耐えられるけれども、他の人はそうではない。分かっていてそんな危険に晒す必要はないし、毒を受けても戦えるのは結局私一人だというなら、何人でここに来ようが同じことだった。
 だから、大丈夫。私にはボルグだってあるのだから。
 それに、奴らが何者であっても、恐らくそれほど腕は立つまい。少なくとも、所謂裏での活動には不慣れなのだろう。何せ袋小路のような、入り口を塞がれれば逃げ道がない最悪の場所に身を潜めているくらいだ。慣れた者ならこんな場所は絶対に選ばないどころか、候補から一番に除外するはずである。
 目下の問題は、今確認出来ている他にどれだけの仲間がいるのかだ。
 袋小路が優れているとすれば、入り口が一つしかない分 敵の侵入経路も絞られるという点で、あとから他の仲間が来た場合私はすぐに見つかってしまう。飛んで上から来れば良かったかとも思うけれども、それは別の意味で目立って尾行どころではなかったに違いない。
 さて、これからどうするか。
 私の勘では、あの荷の中身は人間である。私が追いかけてきたあの匂いからして、奴らが持っているのは、ほんの少量体内に入るだけで身体の自由を奪うような毒だ。量が増えれば増えるほど症状はより重篤になり、一定量を超えて摂取すれば死に至る。そのためたとえば食事に混ぜるなどして暗殺に用いられることが多いのだけれども、しばしば奴隷狩りにも使われると聞いていた。
 奴隷制度を禁じ、夢の都と謳われるシンドリアの国民には、さぞかし良い値が付くことだろう。
 そのとき、ざりざりと地面を踏みしめる音を聞いた。ああ、危惧していたことが起こる。奴らの仲間が来たのだ。

「……おい、テメェそこで何してやがる」

 男が三人。そのうちの一人がドスを利かせた声で凄む。表情には出さないものの、目を見れば焦っているのはよくわかった。

「道に、迷ってしまって」
「……迷ったァ?」
「はい。それで、ちょうど良いところに人影を見つけたもので、街に戻る道を訊こうと思ったのですが、なにやらお取り込み中のようで声をかけるにかけられず……。悪気はなかったのです、すみません」

 殊勝な態度で言ってみせると、凄んだ男に少しだけ戸惑いを見せた。それでもこの中では一番余裕がある。リーダー格なのだろう、残る二人がこの男の顔色を窺っている。袋小路にいた三人も話し声に気が付き、こちらへやって来た。
 全部で六人。ぐるりとその顔を見回すと、余裕のない顔が殆どだった。不慣れさ故か、七海の覇王の国で悪事を働くことに気後れしているのかは定かでないけれども、これならどうにかなりそうだ。数は完全に相手の優勢、かつ私が女とくれば、向こうは大いに油断してくれるだろう。
 雷魔法で一気に──。
 出し抜けに、「あっ」と声がした。振り向けば、私がつけてきた男がおろおろと私を指差した。

「こいつ、さっき八人将のシャルルカンと並んで歩いて……!」

 見られていたのか。そう思っても私は焦りはしなかった。困ったように笑ってみせる。

「その話はやめてください。恥ずかしくて、人集りから逃げてきたんですよ。それで道に迷ってしまったんですけれど…」
「……八人将と懇意なのか」
「い、いえ、そんな大袈裟です。ただ、その……少しだけ、良くして頂いたというか……」

 恥じらう乙女さながらに顔を俯かせる。頭上で息を呑むのを聞いて、餌に食いついてくれたようだと確信した。リーダー格の男だろうか、私の肩を掴むと、さっきの態度より幾分朗らかに話しかけてくるのが滑稽である。

「そうかそうか、凄んで悪かったなぁ。あとで誰かに道案内させてやろう」
「本当ですか? ありがとうございます」
「でもまあ折角だ。ちょっと酒でも飲んで行けよ」
「いえ、道案内して頂くのに、お酒まで頂くわけには」
「いいんだ。さっき凄んじまった詫びだよ。俺達は酒専門の商人でな、旅しながら珍しい酒を集めてんのさ……オイ、さっさと持ってこい。ああ、少し多めになァ!」

 慌てて男達が荷馬車にかけていく。成る程、そういう建て前で動いているのかと顔には出さずに得心した。
 ところで、多めに、というのは毒の量だろうか。
 やがて持ってこられた酒からは、つんとあの匂いがした。それに加えて別の甘ったるい匂いもする。これは睡眠系の毒の匂いだ。
 杯いっぱいのそれが酒ではないのは明白であった。しかし彼らは、旅で手に入れたどこぞの珍酒と言い張るに違いない。
 私は疑う素振りも見せず、礼を言って受け取ると一気に飲み干した。

「味はどうだい?」

 下卑た笑い。嫌な笑みだと思いながら、私は膝から崩れ落ちた。手から杯が転がり落ちる。男は声を上げて笑った。

「よしよし、こいつは訳アリが好きな貴族に高く売れるぜ!」
「で、でも、大丈夫ですかね? 八人将が追っかけて来たら……」
「そりゃねえよ。この女は、誰にも何も言わずに一人でここに迷い込んだんだ。しかもここは夢の都シンドリアだ、誰がこんなことになってるなんて思う? さあ、この女も樽に詰めとけ。日没後出発する」
「へい! あ、でももう樽はいっぱいで…」
「じゃあ適当に積み込んでおけ。どうせしばらく意識は戻らねえ。戻っても当分動けねえし、俺らも出発まではここで待機だ。女一人どうにでもなる」

 男の一人が乱暴に担ぎ上げ、荷の中に放り込む。それから背中に巻きつけた布に挟み込んである杖に気づいたようで、抜き取ってどこかに投げ込んだ。かたたん、と複数の物にぶつかった音がしたから、おそらく他の荷にぶつかったのだろう。金属製のそれも売り物になると考えたのかもしれない。
 やがて足音が離れていって、がやがやという話し声しかしなくなった。六人で今回の成果を語り合っているのだろうか。何にせよこちらにはもう気が向いていない。
 ──ツメが甘い。
 こういう手段に出たのはいつぶりかも分からない程に久々だったけれども、なかなか上手くいった。ぱちりと目を開ける。意識ははっきりしているし、痺れなどこれっぽっちも感じていなかった。

140909
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