底が見えない話よりも


side ヤムライハ


 シンドリアで一番エルハームさんを信じているのがシンドバッド王ならば、一番警戒しているのはジャーファルさんで間違いないだろう。
 それくらいジャーファルさんは、エルハームさんのことになると神経を尖らせる。エルハームさんの言動全てを疑っているようで、その行動は間違ったものではないと分かってはいるけれども、あまり良い気はしなかった。
 私にはどうしてもエルハームさんが嘘を吐いているようには見えなかったし、むしろ誠実な人に思えた。自分と同じ魔導士だからと贔屓目に見ている節があるのは否定できない。
 それでも彼女のルフが白く美しいことは事実であり、そんな魔導士達がその力を望まぬ形で利用されてきた歴史が存在することもまた事実である。エルハームさんが本当は優しい人だというなら、私はなんとしてでも救いたかった。
 エルハームさんが魔導士としてどの程度の実力の持ち主なのかを調べてほしいと言われたのは今日の朝。勿論言い出したのはジャーファルさんである。
 遅かれ早かれ頼まれることだろうと分かっていたから、私は悩むことなく頷いた。私自身、初めて彼女の魔法を見た瞬間から興味はあった。けれども、今になって少し後悔している。
 様子を見に来たジャーファルさんとのやり取りの後、目に見えて彼女は落ち込んでいた。
 ジャーファルさんがエルハームさんをよく思っていないことは、きっと本人も気づいているのだろう。そしてエルハームさんとしても、ジャーファルさんが苦手であるらしい。
 初めてこの二人が会話をするところを見て、最初は推察に過ぎなかったそれは確信へ変わり、考えていた以上に二人の溝は深いことを知った。お互いに丁寧な言葉の裏には棘があって、ちくりちくりと密やかに攻撃し合っている。
 あまりにも殺伐としたその空気は、痛く、苦く、哀しい。肌に感じる棘に、それを向けられたのでもない私達が閉口しても、当事者である二人は薄っぺらな取り繕った表情を貼り付け棘を仕込んだ言葉を交わしているだなんて。
 顔色の良くないエルハームさんを帰し、一人になった部屋で思い返せば、あの重苦しさに思わず溜息が出そうになる。ジャーファルさんとエルハームさん。あの二人が、仲良しとまではいかなくとも、せめて和解するためには、一体どうすれば良いのだろう。それぞれのために和解は必要なことであるということだけ分かっていても、実現の方法が分からないのでは意味がない。
 その時、扉からひょっこりとピスティが顔を覗かせた。何の用件かはなんとなく察しがつく。

「ヤム、ちょっといい?」
「ええ、大丈夫よ。入って」

 笑顔を浮かべていることの多いピスティにしては珍しく、神妙な面持ちで部屋に入ってくると、私の顔を見つめて苦笑した。

「エルさん、どう? 参ってたみたいだったけど……」
「そうね。なかなか顔色が良くならないから、部屋で休むように言ってさっき別れたところよ」
「そっか。ヤムは、エルさんのこと……怪しくないって思ってるんだよね?」
「勿論よ。……ピスティはどうなの?」
「正直まだよく分からない。でも、根っからの悪人ではないんだろうなって思うよ。もしそうなら、ジャーファルさんに何言われたってもっと上手に受け流すはずだしさ」
「そうね……」

 私がお茶を淹れる間背を丸めて椅子に座っていたエルハームさんの姿を思い出すと、胸が締め付けられるような気がした。
 彼女の背は、いつもは真っ直ぐに伸びていた。それが時々痛ましく見えることもあって、凛としているというよりむしろ張り詰めていると形容するほうがしっくりくる。
 そんな彼女の背中が小さく丸まっているのはショックだった。あたかも張り詰めていたものがぷつりと切れてしまったかのようで、必死に伸ばされていた背中よりも遥かに痛ましい。それなのに、私は。
 溜息を吐いたところで心が晴れるわけでもないけれども、ほとんど無意識に息を吐き出した。ピスティは、何も言わない。先程までエルハームさんが腰掛けていた椅子に座ると、ようやく「あのさぁ」と口を開く。少しだけ間延びした口調だった。

「エルさんって凄いよね」
「え?」
「ヤムはエルさんが悪い人じゃないって思ってるんでしょ? でもそれはシャルも王様もだし、たぶんマスルールくんもそうなんだよ。エルさんが本当は何かを企んでるんじゃないかとか、そういうことはひとまず置いといて……、エルさんには味方が出来始めてる。一種の信用を得てるんだよ。本人は『信じて下さい』なんて一言も言ってないのに」
「確かに……言われてみれば」
「そりゃ王様にとっては妹みたいな存在だから、疑う気にはならないっていうのもわかるよ。ヤムは同じ魔導士ってことが、贔屓目に見る理由になるかもしれない。でもシャル達にはそんなのないじゃん。シャルはバカだけど、さすがにこういう状況で怪しい人をホイホイ信じちゃうようなことはしないし、何より、マスルールくんまで気を許してるのは凄いよ」
「……ドラコーン将軍もだわ。あの方もエルハームさんに対して寛容だったはずよ」
「エルさんが何の企みもなくて自然に振る舞った結果なんだとしたら勿論凄いけど、何か意図があってこうなるように仕向けた結果なんだとしても、それはそれで凄いよねえ」

 人に信用されるって簡単なことじゃないよ、それもこんな短期間で。
 ピスティの言葉を反芻し、飲み込む。確かにそうだ。エルハームさんは既に一定の信用を得ている。信じてほしいと本人が言ったわけでもないのに──いや、言わなかったからこそ、なのだろうか。彼女は怪しまれても無理もない立場にいる。それはどうしようもなく明白だ。そんな立場にいながら信じてくれと主張されたところで、そちらの方が余程怪しく思えただろう。
 これは、彼女の策略なのか、否か。
 できればこんなことは考えたくない。そう思ってしまう時点で、私はエルハームさんの策略に嵌まっているということだ。勿論策略だと決まってはいないし、私はエルハームさんがシンドリアに害を及ぼすような何かを企んでいるとも思っていない。たとえそれを浅はかだと言われようと、私は自分が見たものを信じたかった。
 彼女のルフはまばゆい白。ルフは嘘をつかないのだ。

140828
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