世界は彼女を救わなかった


side ジャーファル


 スパルトスからの報告を聞いたとき、まずは冷静になれと自分に言い聞かせた。彼女のことになるとどうも悪い方へと気が急いて、妥当性も整合性も後回しにいくつもの疑念が沸き上がってしまう。
 まるで金属器や眷属器の類のように剣を振り、魔法を使う魔導士。
 そのような魔導士は、少なくともこれまでに見たことはなかった。自分は魔導士ではないから魔法には決して明るくないし、シンドリアの魔導士を除けば関わったこと自体それほど多くない。それを踏まえれば自分が浅識なだけであるともいえるのに、一度奇妙で怪しいと思ってしまうと、どこまでも疑わしく思えた。
 浅慮が過ぎるかとも思う。しかし、警戒するに越したことはないはずだ。半ば自分に言い聞かすように結論づけると、王の元へ向かった。どのみちスパルトス達の任務が恙なく終わったことを報告せねばならないのだ。そのついでに、彼女のことも報告するだけである。
 スパルトスの話によれば、彼女の戦法はヤムライハ達のそれとはやや色合いが異なり、むしろ武器化魔装の金属器や眷属器でのそれに似ているとのことだった。果たしてその戦法に行き着いた根本にあるものはなんだろうか。勿論、彼女自身が考え抜いて編み出した独自のやり方なのかもしれない。しかし、間近で金属器や眷属器が発動するさまを見ていたとも考えられるし、眷属器使いになれない魔導士の それでも眷属として在りたいがための代替案だった可能性もある。
 ひねくれた考え方だろうか。そんな思いがちらりと掠めたが、すぐに霧散した。存外、私は冷静さを欠いているらしいと他人事のように感じた。
 王の部屋、扉を叩いて声を掛ければ「入れ」と返事がある。入るとそこには彼女がいて、王と向き合うようにして立っていた。やはり王は彼女を疑わなさすぎる。マスルールがいるだけマシではあるが、毒を盛ることを画策しているかもしれない、懐に短剣を忍ばせているかもしれない。彼女に七海の覇王が殺されるなどとは微塵も思っていないが、それにしてももう少し警戒するべきだ──。
 小言を飲み込んで本題を切り出し、彼女にも話をさせた。
 自分でも驚くほど、信じる気になれなかった。彼女が何を言っても疑わしい。何をしても気に食わない。流石に自分でもまずいと思った。冷静になれていない。客観視出来ていない。これではいけないと思うのに、それでもどろどろとした何かが胸のあたりに蟠っている。

***

 彼女とマスルールが部屋を出て行くと、必然的に王と自分とだけが残された。王はどこか困惑したように頬を掻く。

「どうしたんだ、ジャーファル。お前らしくもない」

 それはむしろこちらが訊きたいと思った。自分らしくないことだって自覚している。だが、自覚しているからといってどうにもならない。

「すみません。少し……頭を冷やすべきですね」
「いや、まあ、それも大事だが……。お前、エルのことを意識しすぎているんじゃないか?」
「……は?」
「同族嫌悪なんじゃないかと思ってな」
「同族……? 何言ってるんです。私と彼女は違う。共通点など、精々パルテビアの暗殺者ということくらいで──」
「だから、それだろう。ましてエルはお前のあとを継がされて暗殺者になったようなものだ。……シャム=ラシュとは関係ないとしてもな」
「しかし……それは少し強引すぎますよ。暗殺者は何処にでもいるでしょう。それくらいのことで同族嫌悪なんてしていたらキリがありません」

 共通点は確かにある。しかし、似ているというにはあまりにも乏しい共通点だろう。
 そう思いながら、すとんと胸に落ちてくるものがあった。
 同族嫌悪? いいや、それは違う。そこまで似てはいない。だが、似てはいるのに全ては似ていないから──人を殺めることの価値観だとか、ここへ至るまでの運命観だとかが、なまじ似ていないからこそ蟠るのだ。
 人を殺して笑っていた自分と、人を殺して自分を罰そうと決めた彼女は、どちらもパルテビアで暗殺者をしていた子供だった。今でこそ自分は、シンドリアの八人将などという地位を得て、日の降り注ぐ明るい国で生きている。暗殺者であったことも今や過去の話だ。だのに彼女は今もまだ暗殺者である。
 人を殺して苦しんだであろう少女と、笑っていた少年。真っ先に救われるべきはどちらだったのか。
 この蟠りの原因は、紛うことなく自分にあった。
 あの頃の自分が持たなかった罪悪感や清廉さを彼女は持っていて、だから死のうとする。人を殺したから殺されるのが真っ当ならば、先に殺されるべきは自分のほうだ。彼女のように罪悪感を持ったわけでもなく、彼女よりも前に人を殺した自分のほうなのだ。
 しかし自分は生きているし、殺されるつもりもない。
 それでも彼女は死にたがる。殺してくれと言う。
 その矛盾が厭わしかった。きっと彼女がいつかの自分のように、笑いながら殺しを吹聴したならば、そこに過去の自分を重ね疎ましく思うとしても、それだけのことだっただろう。自分と同じであれば、もっと簡単に認められた。
 ところが、彼女は同じように見えて同じではなかった。過去の自分よりずっと清らかだった。パルテビア、暗殺者、シンドバッド。共通項はあるはずなのに、こうも違う。その違いに、あの頃の己の愚かさを今になってまた思い知った。
 つまるところ、青臭い自己嫌悪と幼稚な八つ当たりだ。自分には持っていていないものを持ち続けてきたくせに何故それを以て自らを許さないのか、彼女が自身を許さないなら私だって私を許せないだろう。
 嗚呼、そうだ、だから──やめてくれ。自分は自分で思う以上に未熟であったらしい。勝手に比較して、疎み妬んで苛立った。馬鹿馬鹿しいにも程があるし、身勝手もいいところだ。なんて情けないのだ。一体自分は、どこまで冷静に彼女を疑うことが出来ていたのだろう。どこから支離滅裂な感情に呑まれたのだろう。冷静に対処してるつもりで、全く出来ていなかった。

「……ジャーファル?」

 王に名前を呼ばれてはっとする。一気に雑多な現実が押し寄せてきて、思わず右手で顔を覆った。溜息と一緒に悪態を吐き出したくなるのをぐっとこらえた。勿論自分への悪態である。

「すみません。少し考え事と反省を……」
「そうか? あまり思い詰めるなよ」
「はい」

 手をおろして顔を上げると、王は目を瞬いたのち、口元を緩めた。

「大丈夫そうだな」

 それほど自分の表情が変わっていたのか、それとも別の何かを感じたのかは分からないが、どうやら胸中の変化は簡単に見抜かれたらしい。やはりこういうところは適わないと思う。
 今度こそ冷静に、彼女を見るのだ。感情に振り回されては正しい判断など出来ない。そもそも正しい判断とは何なのかも今の自分には分からないが、これが自分の役割であるのだからしかと果たす義務がある。未熟さに気づけただけ幾らか進歩したはずだろうと、今はそう信じるしかない。

140629
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