彼の瞳はいばらのようだ


「俺はお前の言うことを信じるよ」

 シンドバッドはそう言うものの、その言葉はジャーファル様の目つきを余計に鋭くさせただけである。信じてもらえないのなら、いっそずっと疑われたままで私は一向に構わないのだけれども、このままではいつ退出を許されるのやら分からない。事実を述べた上で怪しまれているということは、私にはもう行動のしようがないということだった。後はジャーファル様次第である。
 事実を事実と信じてもらえないのは仕方がないと思うけれども、かといって、このままではらちがあかない。私を射抜く視線を真っ直ぐに見つめ返すだけのやり取りも、そのわずかな沈黙の時間も、ただただ不毛なものに思えた。
 いっそのこと、私もルフを濁らせて、あのいけ好かない魔導士の仲間になっていれば良かったのか。そうすれば、こんな不毛な間など必要なかったに違いない。忽ちあの金票が飛んできて、私の全てを終わらせてくれただろう。仲間になど決してなりたくはなかったけれども、そう考えれば少しだけ悔やまれるような気がした。尤も、心から後悔しているわけではないし、本当にそうなることは不可能であっただろう。

「……師は、私のルフがいずれ黒く転じるものと考えていたようです」

 私は知っている。あの魔導士は、私のルフが黒く濁るのを待っていた。恐らくルフが黒に転じたその時は、私はパルテビアの暗殺者としてではなくまた別の何者かとして、何か良くないことを為すはずだったのだろう。私に魔法を教え込んだのも、本当はきっとそのためであったのだと推測している。ただ人を殺すだけならば、最も効率的な幾つかの魔法だけを覚えさえすれば事足りる。魔法道具の研究など必要ないし、新たな魔法の研究は、ともすれば反逆のきっかけを私に与えかねない。
 本人はパルテビアに仕えていると言ってはいたけれども、そこには何か違和感があった。漠然と、その本心はパルテビアではない別の場所にあるような気がしていた。
 ただし、それがどこなのか、そもそもこの推測が正しかったのか、その答えを私は知らない。答え合わせの機会は訪れなかったのだ。

「私のルフがいつまでも白いままで……、困惑している様子が見受けられました。やがて見切りを付けられたのでしょうか、放って置かれるようになり、ここ数年は全く関わっておりません」
「なるほどな……。それを聞いて安心した」
「シン! 信じるのですか?」
「勿論だ。エルのルフのことは、ヤムライハも断言していただろう。疑う余地もない」

 ジャーファル様は何も言い返さなかった。というより、言い返せなかったというべきかもしれない。どちらにしても彼は黙りこくって、暗い双眸をこちらに向けるだけだ。
 それを見つめ返していると、何故だか自分を見ているような錯覚を覚えた。私とジャーファル様は少しも似てなどいないのに。どうにか共通項を探したとしても、精々パルテビアに関わりがある暗殺者であったことくらいだろう。それにしたところで、今でも暗殺者である私と違いジャーファル様はとうに足を洗っている。私とは、絶対的に違うはずだ。
 ──知らず知らず、強引に、自己投影してしまっているのだろうか。
 そんなまさかと思う反面、その可能性をきっぱり否定出来る程自分を理解しているわけでもない。むしろ自分のことを全く分かっていないのが現状である。考えたくなくて、眼を伏せた。

***

 もう今日は部屋に戻って休め。
 シンドバッドの言葉で退室し、今は人気の無い廊下をいつもの無表情を保ったマスルールと歩いている。会話はない。マスルールは、送ってやれというシンドバッドの言葉に頷いて私と共にあの部屋を後にしてきたのだけれども、送ってもらわずとも私は一人で戻れるのだ。別に闇討ちされるわけでもなし、されたところで、残念ながら簡単にやられるような柔な人間ではない。

「王様はああ言ったけれど、気にしなくていいよ。私、一人で戻れるから」
「…………」
「ねえ、……聞いてる?」
「聞いてる」
「だったら」
「一人で帰したら俺が怒られるからダメだ。それに、たぶん一緒の方がエルにとっても良いと思う」
「………そうかな」

 ここで一人で帰りたいのだと言って譲られなければ、あらぬ疑いをかけられかねないということなのだろう。金品を盗もうとしただの国家機密を探ろうとしただの、理由付けには事欠くまい。そうやって処刑されるなら、それはそれで、別に。これでもう何度目になるかも分からないけれども、そう思った。
 廊下には他に人がいない。黙りこくって歩いていれば、聞こえるのは私達二人分の足音と衣擦れの音だけだ。マスルールといるときの沈黙は苦では無いはずだったのに、どうしてか今ばかりは居心地悪く感じられる。

「──別に、信じてほしいと思っているわけじゃないんだけれど」
「…?」
「偽らずに語って、邪心からでなく行動して、それでも信じてもらえないのは……それは、どうすれば良いんだろうね」
「…………」

 唐突すぎたのか、マスルールは少しだけ顔をしかめて黙っている。私はあまり期待せずに答えを待った。もうじき私の部屋に着くけれども、それまでに何か答えてくれるだろうか。
 結局のところ、彼は部屋に着くまでには答えてくれなかった。部屋の前までしっかり私を送り届けると、杖を返してこれで役目は済んだとばかりに欠伸を一つ噛み殺す。そのまま「それじゃ」と踵を返すので、答えを聞くのは諦めることにして後ろ姿を見送った。数歩の歩みを見届けたところで、私も部屋に入ろうと彼の後ろ姿に背を向ける。
 そのとき、不意に足音が止まった。

「信じてほしいと思っていないうちは、どうしようもないんじゃないか」

 弾かれたように振り向くとマスルールはもう歩き出していて、どれだけ見つめても、止まることも振り返ることもなかった。

「……そんなこと、言われても」

 私は信じてほしいとは思っていないと言ったのに──いや、それがそもそもおかしいのだった。信じてほしいと思っていないのに、信じてもらうにはどうすれば良いのかを問うたのだから。ひょっとして私は、信じてほしいと思っていないと思い込んでいるだけで、自分さえ気づけぬ心の奥底では、信じてほしいと願っているのだろうか。
 いや、まさか。
 しかし、私は私が分からない。それは既に自覚していて、今の私にとって最大の問題である。考えれば考えるほど胃がむかむかして、目眩がした。

140620
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