あの人の凍った瞳の先


 魔導士にとっての杖というものは剣士にとっての剣であり、肌身はなさず持っていて、自分の一部であるといってしまっても良いような物であるけれども、その基準は案外適当であったりもする。
 要はある程度の長さがあれば構わないのであって、その材質は木だろうが金属だろうが不問なのだ。こだわり抜いて作られた精巧な杖でも荒削りの木の棒でも、なんなら釣り竿でも良い。私のように仕込み杖を使っている魔導士が他にどれほど居るかは知らないけれども、剣を杖とすること自体は、珍しくはあれど必ずしも異端ではないのだ。
 しかし、ジャーファル様の目には異端と映るのかもしれない。剣を杖として振るうことそのものか、あるいはその魔法の使い方についてか──とにかくジャーファル様は、警戒すべき点であると認識したらしかった。私に向けられた表情は穏やかであるのに双眸は決してそうではないのだから、言われずとも分かってしまうのは仕方のないことである。シンドバッドが少し困ったような顔をしているのを視界の端で捉えながら、私はジャーファル様にしっかりと向き直った。

「実は、貴女の魔法の使い方は独特だったと報告を受けたのです。この国にもヤムライハをはじめとして優秀な魔導士達がいますが、貴女のようなやり方は見たことがないと」
「……自覚はしております。そもそも剣を杖とする魔導士が、あまり多くはないでしょうから」
「そうですね。少なくとも私が知る中では貴女一人ですし、ヤムライハも珍しいと言っていました」
「そうですか」
「……しかしヤムライハが言うには」

 ──杖の形状や材質は様々だとしても、普通、その使い方には大差はないだろう。

 私は黙っていた。
 勿論それは事実に違いないのだ。魔導士が杖として使う以上、あくまでもそれは杖の域を出ない。たとえ剣を杖の代わりにしていても、使い方はただの杖と同じだ。剣として使うことはまず無い。なぜならそれの持ち主が、脆弱な魔導士であるのだから。

「貴女の場合はむしろ眷属器を使っているのと見紛うように感じられた、とのことでした」
「…………」

 それはスパルトス様も言っていたことだった。というよりも、ジャーファル様に報告したのがスパルトス様本人なのだろう。
 何も言わない私の真意を見透かそうとでもするかのように、ジャーファル様の双眸が私を射抜く。私はそれを黙って受け止めていた。互いに口を閉じたまま、居心地の悪い沈黙が私達を包む。マスルールが身じろぎでもしたのか、かちゃりと金属が触れ合う音がした。

「ジャーファル、」

 沈黙を破って口を開いたのは私でもジャーファル様でもなく、シンドバッドだった。ジャーファル様の視線がすっと私から離れていく。

「まさかエルが眷属器使いだと考えているのか? エルは魔法使いなんだ、有り得ない」
「本当にそうでしょうか。魔法道具で魔法使いに見せかけているだけということは──」
「いや、エルは幼い頃からルフを見ている」
「その言葉が事実である確証はありません。防壁魔法や風魔法も、魔法道具を使っているのだとすれば、非魔法使いでもあるいは」
「ジャーファル!」

 わずかに怒気の滲む声に、ジャーファル様は口を噤んだ。そして、小さく謝罪の言葉を述べて頭を垂れる。しかしその瞳には一切の揺らぎもなかった。私を疑うことに関して、迷いも躊躇いもないのだろう。その証拠に、再び頭を上げた彼は躊躇することなく話を続けた。

「勿論、彼女が魔法使いであることを本気で疑っているわけではありません。杖のほうもヤムライハが解析済みですから、眷属器などではないのでしょう。しかし、……貴女がどのようにしてその着想に至ったのかが気になるところです」
「……要するに、私がどこかの金属器使いに仕えているのではないかと思っておられるわけですね」

 それこそがジャーファル様の危惧するところであったのだと合点した。私が間者である可能性は当然視野に入れてあっただろうけれども、その上に金属器使いがいるとなればまた話は変わってくる。パルテビアに金属器使いがいるのか、それともパルテビア云々の話が偽りで、他の国の金属器使いに仕えているのか。疑いだせばきりがない。
 ジャーファル様の双眸を見据えれば、そこにはやはり真っ直ぐな疑念がある。私は少なくともその真剣さには応えねばならないけれども、私の正直な答えにジャーファル様が満足するかは些か疑問であった。

「私はパルテビア以外の国についたことはありませんし、金属器使いや眷属器使いを主としたこともありません。今の戦法は私なりに考えて辿り着いたものですが、パルテビアの武器庫に納められた迷宮道具の研究をさせられた時期もありましたので、その頃の成果は多かれ少なかれ影響しているものと思います」
「させられた?」
「はい、……師達に」
「…………なあ、エル。気になっていたんだが、その師は……なんという名だった?」

 シンドバッドの問いにぴくりと反応を示したのはジャーファル様だった。おそらく心当たりがあるのだろう。私は正直に、首を横に振った。

「名は、知りません。常に布で覆っておられましたから、顔も知らないのです。……時折、私の知らない──同じく布で顔を隠した魔導士を連れて来ることもありましたが、やはり正体は知りません」

 ジャーファル様の目つきが鋭さを増したのが分かった。袖の中では、あの金票に触れているのかもしれない。ぴりぴりと肌を刺すのは殺気だろうか。杖は部屋に入るときにマスルールに預けてあるし、眷属器を発動されればボルグは一秒と保たない。もしもジャーファル様がシンドバッドの目の前で命令に背くだけの決断力を持つなら、ここが私の死に時なのだろう。
 「そうか、」頷いたシンドバッドの声も固い。

「そいつが何者だったか、お前は知っているか?」
「パルテビアの魔導士であるとしか……。本当のところは違うのだろうと 漠然と感じたことはありましたが、真相は知りません。師は自らのことを語ろうとはしませんでしたから。私にはっきりと分かるのは、ルフの濁った魔導士であったことくらいです」
「関わりはどの程度あった?」
「訓練と研究だけです。用があればその都度師が私の部屋に迎えに来ました。ですから、それ以外の時にどこで何をしていたかは存じません」
「本当だな?」
「はい。……ですが、命が惜しくない私にとっては嘘を吐いて処刑されるのも本望、嘘ではないと言っても信じて頂くのは難しいのでしょうね」

 この言葉さえ、挑発のつもりはなくともジャーファル様にはそう受け取られてしまうのだろう。それを分かった上で敢えて言葉にした時点で、殆ど挑発しているのと変わらないのかもしれなかったが、ジャーファル様と向き合うとどうにも穏やかでいられなくなる。それは今でも幼い感情を引きずっているらしいからだと、私は気づいていた。

140615
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