吐き出すことに意味はない


 朝議がどれほど時間のかかるものなのか分からない私は、とりあえず手早く身支度を整えた。そして、ジャーファル様が来たら訊かれるだろう内容を推測する。しかし、よく考えてみれば、シンドバッドがどの程度私のことを明かしたのかを知らない。それ次第では、一度マスルールに話したようなことを今一度話す必要があるかもしれなかった。気が進むはずもなく、窓から差し込む日の光の明るさとは裏腹に、私の胸中は暗くなるばかりだ。悪夢を見たこともあってか、気分はあまり優れない。
 悪夢は、明らかに昨夜のシンドバッドとの会話を反映していた。私は彼に縋ってしまったけれども、果たしてそれで良いのだろうか。私は何のために此処に来たのだ。セレンディーネ様のお慈悲を無碍にすることにはなるまいか。悶々としているうちに、時間は刻々と過ぎていった。
 コンコン。不意にノックの音がして、物思いに耽っていた私は思わず肩が大きく跳ねた。ついにジャーファル様が来たのである。はい、と返事をすると、私が扉に駆け寄るより先にジャーファル様が部屋へ入ってきた。

「失礼します」

 緑のクーフィーヤが揺れる。表情こそ穏やかではあるが、暗い色をした双眸は何を考えているのか読み取ることが出来ない。彼が私を警戒していることなどとうに分かっているのだから、無理に取り繕わずとも良いのにと思いながら椅子を勧める。向き合う形でそれぞれ座り、茶の一杯も出せぬことを詫びたあと、私から切り出した。

「それで、何からお話すれば良いでしょうか」
「そうですね……では、まずは今回の件について」

 “まずは”ということは、やはり今回のことだけでなく色々と訊きたいことがあるのだと確信する。しかし、それを表には出すような真似はしない。私はただ頷いた。

「昨晩、私が部屋でぼんやりしていると、王が一人訪ねて来られました。それから、他愛も無い会話を交わしたあとで──私は王に殺して欲しいと願い出ておりますから──前向きになるよう諭されたのです。お優しい言葉をかけて頂いて、私はつい泣いてしまい……泣きながら眠ってしまったようです。目覚めると、王がおりました。よく状況を飲み込めずにいるうちにジャーファル様とマスルール様がいらっしゃって、あとは、ご存知の通りです」
「なるほど。本当に、“何も”なかったということですか」
「はい。私も生娘ではありませんから、王が“何も”なさらなかったことは分かります。私が“何も”しなかったことは、王のご様子をご覧になればお分かり頂けるでしょう」
「ええ、勿論。その点に関しては明白であると私も考えていますよ」

 私が滲ませた意味を正しく理解したらしい彼は、口元に穏和な笑みを浮かべて答える。しかし、目は違った。冷たい色を湛えたまま、にこりともしない。私が自ら殺意の無いことを仄めかしたことで、全て策略なのではないかとより警戒を強めたようだった。とはいえ、端から見れば優しげに微笑む好青年である。本気で彼と腹の探り合いをするとなれば、なかなか手強い相手であるのは間違いない。

「今回の件に関しては、やはり当事者である貴女も一連の事情を説明するべきだと思うので、手短にお伝えしますね。今朝、いつもの時刻に王室付きの侍女が王室へ向かったところ、何処にも王の姿がなく、私のところへ伝令がありました。探し回っていたところに貴女の悲鳴をマスルールが聞きつけ、もしやと思い駆けつけたところ、貴女の部屋にいたということです」

 ご迷惑をおかけしました、と頭を下げる動作に至るまで完璧な好青年振りであった。いいえお気になさらず。そう返しながら、ジャーファル様が次になんと言って話を切り出してくるのかを見守った。私としては、いっそ単刀直入に聞いてくれて構わないのだ。彼が私のことを微塵も信用していないことなど分かっているし、私も信用してほしいとは思っていない。
 ジャーファル様は当たり障りの無い話題で隙を作ることにしたのか、この国には慣れましたかなどと訊いてくる。私も当たり障りなく返すけれども、どうもまどろっこしくてならない。気づいたときには、ぽろりと口に出していた。

「そんな他愛も無いお話のためにいらしたのではないでしょう」

 空気が変わるのを肌で感じる。ジャーファル様の表情がゆっくりと変わっていくのを黙って見つめた。それでいい。私にとっては、こちらの方が良い。

「そうですね、お言葉に甘えて回りくどいのはやめにします。貴女がここへ来た目的はなんですか」
「シンドバッド王の暗殺を名目に、実質は彼に殺されるためです」
「暗殺は誰に命じられたのですか」
「……私が敬愛する方です」
「その者は?」
「名は易々と明かすことは出来ません。しかし、私の過去をご存知でしたら、それが誰かなど言わずともお分かりになるでしょう?」

 嫌味たらしい口調になっているのは分かっていたが、構わず言葉を続けた。ジャーファル様が一瞬言葉に詰まったところを見るに、恐らくは。

「シンドバッド王は私の過去をお話にならなかったのですか」
「……ええ。王が説明したのは、貴女が殺されるために来た暗殺者であり、王の義妹だということのみです。ですから、貴女の口から聞いた者以外は誰も貴女の過去を知りません」
「……なるほど。それで、ジャーファル様はわざわざここへいらしたのですね」
「その通りです。話して頂けますね」

 選択の余地を与えない口調であったが、その心づもりはしていたから特に気にはならなかった。鋭くなる目つきと袖に隠された金票を確かめた手とに少しだけ緊張感を覚えながら、あの日マスルールに語った話を繰り返す。淡々と淀みなく話す私を、ジャーファル様はどう思ったのだろうか。どうせ作り話だと糾弾するだろうか。
 話を聞き終えたジャーファル様は、険しい顔をして私を見据えた。

「いくつか質問したいことがあります」
「どうぞ」
「本当に死にたかったのなら、なぜ任務を完遂させてきたのです。失敗すれば死ねたのでは?」
「完遂するしかなかったのです。私が標的に実力で勝る限り、失敗など不可能でした」
「どういうことです? 貴女のボルグが頑丈だというのは聞きましたが──」
「私はボルグを自分の意志では扱えないのです」

 ジャーファル様が眉をひそめたのを見て、無理もないと思った。彼は今頃、ヤムライハを思い浮かべているのだろう。私は彼女ほど優秀ではないけれども、魔導士たる者、自分の魔法くらい制御出来るのが当然のはずなのだ。
 しかし、私には出来ない。ほかのどんな魔法を扱えようとも、ボルグだけは出来ないのだった。

「ボルグは悪意ある攻撃に対する反射なのです。悪意ある攻撃に反応して私が考えるより先に発動し、壊れるか、悪意ある攻撃が止むまで消えません」
「そのように訓練されたと?」
「どうなのでしょう。元からそうだったような気もしますし、そう叩き込まれたような気もします。どちらにせよ、ボルグの制御の仕方は教わりませんでした」

 攻撃を視認してから動くのでは遅すぎる。目で見るより先に、肌で気配を感じ取れ。
 それが師の教えであった。無意識の領域。転んだときに咄嗟に手を突き出すのと同じように、悪意ある攻撃を向けられたら発動してしまうものなのだ。自らの魔法でありながら自制が出来ないとは情けない話だが、どうしたってそれが現実だった。

「今まで私が差し向けられた標的には、私のボルグを壊せる者がおりませんでした」
「相当お強いのですね」
「そう思いますか? 残念ながら違うのですよ」

 私が並外れて強いのではない。私よりも桁違いに強い者から、私が遠ざけられていただけのことだ。シンドバッドを殺すため──そんなことを本当に期待されたのは、おそらく最初だけだったのだろう。

「私が決して殺されないように、そして、私が決して懐柔されないようにするために、ある程度師によって標的は選ばれていました」

 私は暗殺者というだけでなく、魔導士としても利用価値がある。だから、無理はさせない、死なせない、逃げさせない。ある意味、私は大切にされていたわけだ。目の前のそばかすの青年を見据えて、私は言葉を続ける。彼の顔を見る前から、私はこの人が、嫌いだった。

「私までも懐柔されては困ると考えていたのだと思います。貴方という前例を踏まえて」

140420 
- ナノ -