しがらみはほどけることを知らずに


「ジャーファル、これは誤解だ!」
「何が誤解ですか! 大方、また酔った勢いで眠っていた彼女の布団に潜り込んだんでしょう!」
「違う! 俺は昨日は酒を飲まなかったし、ちゃんとエルが起きているときに…」
「堂々と手を出したって言うんですか!? あれだけ義妹(いもうと)だと言っていながら!!」
「だからそうじゃない! 俺は何もしてない!」
「じゃあどうして彼女は悲鳴をあげたんです! マスルールが聞いたんですよ!?」

 それは…とシンドバッドが言い淀む。私は私で、この一連のやり取りから少しだけ状況が掴めてきていた。どうやら私が眠っている間にシンドバッドが夜這いをしたと、そういう風に思われているようである。ジャーファル様の口振りから察するに、前科もあるのだろう。しかし、事実として私達の間には何もなかったのだ。それは私からもきちんと弁明しておかねばならない。なぜかマスルールが私を抱えたままなので、その腕を軽く叩いて降ろしてもらい、「あの」と口を開いた。

「ジャーファル様。シンドバッド王が仰っていることは本当です。本当に、何もありませんでした」
「しかし」
「悲鳴は……恥ずかしながら、私が寝ぼけていて、それで。お騒がせしてしまい申し訳ございません」

 ジャーファル様はそれでも納得出来ない様子で、シンドバッドと私を交互に見やった。眉間には深いしわが刻まれている。

「マスルール、どう思いますか」
「さあ…。でも今回はシンさんが服着てますよね、珍しく」
「それはそうですが」
「ああ、でも、」

 マスルールはちらりと私を見て、鼻を鳴らした。

「凄くシンさん臭いです」
「一晩中俺が抱き締めていたからな!」
「やっぱり手出してんじゃないですか!!」
「だからそれは違う! 兄が妹に添い寝してやっただけだ、何が悪い!」
「開き直るな!」

 二人とももういい大人のくせして何が添い寝ですか、そもそも貴方という人は本当に────。
 くどくどと続く説教を聞いていると、シンドバッドが酒癖・女癖においていかに信頼されていないかが窺えた。少年の頃の言動を顧みれば、今のシンドバッドについて殆ど知らない私にも想像がつかないでもない。目に余る程なのだろう。ジャーファル様は、今回の件についてというよりも、この機につけて過去の過ちもひっくるめ叱責しているようであった。王たるシンドバッドに反論の隙を与えない。王に対してここまで叱責する従者というのも珍しいが、マスルールがそれを止める気配も無く、むしろいつものことだというように平然と眺めているのだから、私はどうしたものかと眉を寄せた。やはり、まずは誤解を解くのが先決だろう。いまだ終わりそうにない説教に口を挟むのは気がひけるとはいえ、誤解されたままでは厄介極まりない。口を開こうとしたとき、ついにシンドバッドがジャーファル様の説教を遮った。

「俺が悪かった! お前の言う通りだよな、エルももう子供ではないし、今後は添い寝しないと誓おう」
「それは結構なことですが、私が言いたいのはその事だけでは無いとお分かりですか!? 私は、」
「分かっているさ。……だがな、俺とエルは一晩中一緒にいて“何も”無かったんだ」

 一瞬ぽかんとしたジャーファル様は、シンドバッドの言わんとすることを理解して目を見開いた。シンドバッドが言外に滲ませた内容は私にも分かって、その表情からは彼が確信犯であるとしか思えなかった。ジャーファル様は一度反論しようとしたのか口を開きかけたが、すぐにやめて唇を真一文字に引き結ぶ。言うなら今しかない。

「ジャーファル様、私のような者が口を挟むことのおこがましさは存じておりますが、どうかこの場はこのくらいで収めて頂けないでしょうか。『何も無かった』、この言葉に偽りはございません。王の潔白は私が身をもって断言致します」

 頭を垂れれば彼の表情を窺い知ることは出来ないが、頭の上で小さな溜息が聞こえた。いうまでもなくジャーファル様の溜息である。次いで、「分かりました」と苦々しい声が降ってくる。顔あげると、ジャーファル様の視線は真っ直ぐ私に向けられていた。

「朝議まで時間もありませんし、お二人の言葉を信じることにしましょう。ただし、王が貴女の部屋に朝までいたことも事実です。あとできちんと、お二人から説明して頂きますよ」

 口調こそ穏やかだが、目は決してそうではない。ピリピリとしていて刺すようなそれは、私を探るようでもあった。やはりこの人は私への警戒を未だ解いていないのだと直感する。
 それは侵入者たる私に対して取る正しい反応であるし、私としても慣れた反応であった。パルテビアで私を使った権力者達は、いつか私が刃向かってくるのではないか、あるいは他の権力者が自分を殺すために差し向けたのではないかと、いつもどこか警戒の色を携えて私を見ていた。この国に来て、ここまで警戒されずにいたことのほうが異常なのである。
 私は背筋を伸ばして、ジャーファル様と向かい合った。

「勿論、ありのままを説明させて頂く所存です」
「それは助かります。朝議のあとで、またお伺いしても?」
「ジャーファル様のお仕事に障りがないのでしたら、私は構いません」
「では、そうさせて頂きます」

 私は、彼がこれまで私に接触して来なかったのは、おそらくシンドバッドが何か言い含めていたからだと推測していた。そうでなければ、誰よりも私を警戒している人物であるのだから、真っ先に尋問なりなんなりしに来ていたはずだ。怪しい者を王宮内に置き世話をすることに、彼が心から納得したとは到底思えない。そう考えると、シンドバッドが困ったようにこちらを見ているのもおそらくは気のせいではないのだろう。

「それでは、朝議後に」

 ジャーファル様はそう言って会釈すると、シンドバッドとマスルールを連れて部屋を出て行った。シンドバッドが何か言いたそうにしていたのには気づかない振りをして、頭を垂れて三人の後ろ姿を送る。すっかり足音が聞こえなくなったことを確かめると、顔をあげるよりも先に溜息が零れた。それは静かになった部屋にはよく響く。
 この件の事情を訊くというのはあくまでも名目、もしくは理由の中でもほんの一部に過ぎないだろう。ジャーファル様には、他にも私を問い質したいことが山とあるに違いないのだ。果たして私は彼が納得する答えが出来るのだろうか。思うところはあったけれども、ひとまず顔を洗わなくてはと思い直した。考えるのは、それからにしよう。

140410 
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