マスルールと昼下がり


 私は常々、シンドリア国内で最も涼しい場所は王宮のすぐ側にある森なのではないかと思っている。生い茂った木々の葉が上手い具合に日の光を遮って、居心地の良い木陰を作ってくれるのだ。今日のように雲一つない快晴で、茹だるような暑さの日には正にもってこいのはずである。
 シンドリアの気候にまだ慣れていないためか、私はこの暑さに滅法弱かった。パルテビアはシンドリアに比べれば大分涼しい気候だったし、ここにやって来た当初は与えられた部屋に籠もっていたというのも一因であろう。きちんと仕事を割り振られるようになって外出が増えても、なかなか適応出来ずにいる。いつまでもこれではいけないと思ってはいるものの、涼しい場所を求めて森に足を向けた自分がいることに最早諦めの気持ちを抱きながら、森を目指している次第である。
 よくこの森へ来るらしいマスルールに一度簡単に案内してもらったけれども、それから今まで踏み入れる機会もなかった森は、私にとっては相変わらず未知の領域であった。案内といっても、要は散歩をしつつ時折姿を見せる野生生物の名を教わっただけのことで、森の全ては見ていないし、植物については全く知らない。私を育ててくれた祖母がその分野に明るかったこともあり、私も植物には興味がある。とりわけ南国の植物には見たこともないものが多く、好奇心を擽られていた。
 森に入ると途端に暑さが和らいだ気がして、ほっと息を吐いた。どうせならば、マスルールと歩いたのとは別の経路で散策してみよう。分け入った先に早速見慣れない植物を見つけて、胸が高鳴った。大きな赤い花が咲いている。これはなんという名だろう、何か効用があるのだろうか。しゃがみ込んで手を伸ばしたとき、近くの茂みから赤毛が覗いた。

「それは触らないほうがいい」
「どうして?」
「……よく見ろ、葉と茎に小さな棘がある。刺さるとなかなか取れない」
「へえ…」
「どうしてここにいる」

 のそのそと隣に並んで律儀にしゃがみ込んだマスルールが、声音も表情もそのままに問うた。「ちょっと、暑くて」と答えると、私が暑さに強くないことを知っているマスルールは「ああ、」と軽く頷いた。

「確かに街よりはここのほうが涼しい」
「そうみたい。ついでに植物観察をしようと思ったのだけど」
「むやみに触るのはやめろ」
「でも触ってよく見ないと分からないし…。誰か詳しい人はいないの」
「さあ。たぶんジャーファルさんじゃないか」

 ……よりにもよって。
 まさか同行を願い出ることなど出来ないし、尋ねることも憚られる。やはり自分で調べたいけれども、マスルールは植物のことなどよく知らないと言うし、興味も無さそうなくせ、また私があの花に手を伸ばしやしないかとしっかり見張っている。どうやら日を改めたほうが良さそうだった。尤も、マスルールが森にいない時にしなければ同じことが起きそうだが。
 諦めて立ち上がると、マスルールも立ち上がった。どちらにしても私が彼を見上げることになるのは変わらないのだけれども、立ち上がるとその大きさがより際立つ。よく見るとマスルールの髪には何かの葉やら綿羽やらがついていた。

「マスルールは何をしてたの」
「寝てた」
「ああ、やっぱり。頭に色々ついてる」
「……ん」

 マスルールは、背中を丸めて頭を近づけてくる。これは……取ってくれということなのだろう。自分で取るものだとばかり思っていたので面食らった。
 折角なので取ってやってついでに綺麗な赤毛をわしゃわしゃと掻き回してやると、マスルールは背筋を伸ばしてからふるふると頭を振った。それがあまりにも獣染みているので思わず笑みが零れる。気がついたマスルールは少し怪訝な顔をしたけれども、さして興味もないようで、一つ大きな欠伸をして頭を掻いた。

「また寝る」
「え?」
「…エルも来るか」
「涼しい?」
「街よりは、たぶん」
「それなら……お邪魔じゃないなら」
「わかった。こっちだ」

 がさがさと、先程彼がやってきた茂みを分け入って進んでいくその後を着いて行く。視界の範囲内だけでも気になる植物が幾つかある。次に来たときに分からなくなってしまわないよう、植物の様子と場所をしっかりと目に焼き付けながら進んだ。
 やがて、少し拓けたところに出た。決まった場所なのだろうか、大木の下にマスルールが寝転がる。すると途端にいかめしい鳥が飛んできて彼の側に群がった。マスルールが攻撃されやしないかと身構えたけれども、どうやらその心配は無いらしかった。様子をみていれば、鳥の方はマスルールを強者と認めているようで、寄り添いはすれど威嚇はしていない。むしろ威嚇されているのは私の方である。鳥達と睨み合っていると、マスルールが寝転がったまま言った。

「パパゴラス鳥だ。焼くと美味い」
「……食べるの」
「宴には必ずある」
「へ、へえ…」
「………」
「………なに?」
「来ないのか、ここ涼しいぞ」
「いや、でも、鳥が……」
「大丈夫だ。一度殴れば攻撃してこなくなる」
「それはきっとマスルールの場合だけだ…」
「?」

 果たして鳥相手にボルグが発動するものかも分からない。無理に近づくのはやめたほうが良いだろうと、少し離れた木陰に腰を下ろした。木が小振りなのもあって、マスルールがいる木陰よりはやや日陰が少ないけれども、ここも十分に涼しい。存外に風通りも良く、木に寄りかかり、目を閉じてじっとしているのが心地良かった。
 どれぐらいそうしていただろう。微睡みの中で鳥の羽音を聞いた気がして目を開けると、いつの間にかマスルールが隣りに寝転んでいて、パパゴラス鳥達は幾羽かはその背に寄り添い、幾羽かは最初の木陰で戸惑ったようにうろうろしている。彼らにとっては敵でしかない私の側にマスルールが移動してしまったから、どうして良いか分からないのだろう。その様子をぼんやり眺めていれば再び眠気がやってきて、抗うこともなく瞼を閉じた。
 もう少しだけでいい、今はまだ微睡みの中で。

141115 二万打企画/ユエさん
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