小さなマスルールを可愛がる


※和解後


 ひとまず落ち着いて状況を整理しよう。混乱しそうな自分に言い聞かせた。
 私は、ヤムライハがもう五日は籠もりきりなのだとピスティから聞いて、様子を見に彼女の元を訪れた。その途中で偶然マスルールと会い、ぽつぽつと話をしながら歩いていたらあっという間に目的地。ヤムライハはなにやら熱心に研究しているらしかったけれども、ろくに休憩をとっていないようで、目の下には濃い隈があるし顔色も良くない。ピスティが心配するのも当然のひどい様子であった。しかし、いくら休むように言ったところで聞き入れてはくれないだろう。そう思って、マスルールに彼女をこの部屋から連れ出すのを手伝ってほしいと頼んだのだ──ここまでは良い。
 問題はその後で、突然何かが爆発した。大きな破裂音と共に勢い良く噴き上がる水蒸気。それは煙のように立ち込めて視界を覆う。数秒の白。そして再び視界がすっきりしたとき、そこに在ったのが今目の前にいる赤い髪の子供の姿だったのだ。
 嗚呼、混乱してはいけない。落ち着いて考えよう。
 子供など此処にはいなかった。そして私はこのような子供を知らない。知らないが、この子供によく似た青年を私は知っていて、しかもこの子供はその青年の着ていたものを着ている。大きさは背丈にあっておらず今にもずり落ちそうであるが、確かに同じものなのである。

「……マスルールが……縮んだ……?」
「きゃあああああごめんなさい!ごめんなさい!」

 ただでさえふらふらのヤムライハが、慌ただしく頭を下げるのでさらにふらふらしている。つまりヤムライハの実験が失敗して、マスルールはそれに巻き込まれてしまったと、そういうことなのだ。
 マスルールと思しき子供は今ひとつ現状を呑み込めていないのか、一回りも二回りも小さくなった掌を見つめては、握ったり開いたりを繰り返していた。
 ヤムライハを宥めながら、私は考える。どうすれば良いのかと。私にはマスルールにかかってしまった魔法の命令式が分からないから、解けるのはヤムライハだけだ。しかし、失敗した結果こうなってしまったのだから、ヤムライハにさえよく分かっていない可能性もある。そもそも今のヤムライハには休息が必要で、疲労している彼女では、平生で出来ることも出来ないだろう。マスルールを元に戻すためにも、まずはヤムライハを休ませなくてはならない。

「ヤムライハ、まずは睡眠をとりましょう」
「で、でも……」
「そんな寝不足の頭で考えるより、すっきりした頭で解決策を考えた方がずっと良いはずだよ」

 爆発音は大きかったし、きっとそのうち誰かが様子を見にやってくる。そうしたらその人にヤムライハを任せて、今度はマスルールの方を考えなくては。

「マスルール……気分は?」
「なんかヘンな感じだ」
「……意識ははっきりしてるみたいね」
「大丈夫」
「記憶は? 曖昧になったりしていない?」
「問題ない」

 受け答えはしっかりしているし、目の焦点も定まっている。無表情も相変わらずだ。しかし、どうしても幼さが目立つ。筋骨隆々の逞しかった腕はずっと細くなって、低かった声も今は随分と子供らしい声だ。単純に背丈が縮んだというよりも、極端な若返りをしたらしかった。

「何歳くらいなの?」
「わからない。でも、シンさんとはじめて会ったとき、これくらいだったかもしれない」
「そう……」
「?」

 不謹慎なのは分かっている。分かっているけれど。
 ……とても、可愛い。

***

 思った通り、幾ばくと経たぬうちに騒ぎを聞きつけたジャーファルさんがやってきた。ヤムライハに代わって事情を説明し、今のマスルールの背丈に合う服を用意してもらうことにして、ヤムライハには睡眠をとるよう言い聞かせた。マスルールに降りかかった災難は、王は勿論のこと八人将全員に通達され──現在シャルルカンに大笑いされている。マスルールはしかめ面をしているけれども、彼の幼少期を知る人々はかつてを懐かしむような目で見守っているだけだ。助け舟を出してやる人はいないらしい。
 マスルールがこうなってしまったのは、彼に手伝いを頼んだ私のせいでもある。ひょっとしたら小さくなってああして笑われているのは私の方だったかもしれないのだ。そう思うと申し訳なくて、せめてシャルルカンからは離してあげようとマスルールを抱え上げた。

「……あっ凄い…私今マスルールを抱っこしてる……」
「いやがらせか」
「ああごめんね、そういうつもりじゃなかったんだけれど、つい」

 シャルルカンがげらげらと笑っている。これは逆効果だったかと急いでおろしたけれども、今度はうっかりその頭を撫でてしまって、マスルールの眉間に深いシワが刻まれた。シャルルカンの笑い声も大きくなる。

「なでるな」
「ごめん、つい…」
「それ二回目だぞ」
「ごめんね、可愛くて」
「…………しゃがめ」

 不機嫌そうに言うのに声が高いから、それも却って可愛らしく思えてしまう。青年のマスルールを知っているだけに、小さなマスルールの幼さが一層際立つのだろう。そんなことを思いながら言われた通りしゃがみ込めば、小さな掌が頭に食い込んだ。

「……痛っ、痛い痛い!」
「ちゃんと手加減してる」

 侮ることなかれ、幼くともファナリスはファナリスである。この年頃の子供の力ではない。しかし、青年のマスルールならば片手で足りるだろうに、子供だから両手を使わないと私の頭を包めないのだ。そう思うと、食い込む掌さえ愛らしく思えてくるから仕様がない。

「エルさんって子供大好きなんだね〜」
「……いや、マスルールだから可愛がってるんだろう」
「え?」
「エルはあれで案外、閉鎖的なところがあるからな。打ち解けるまでは頑なに一定の距離を守る。逆に、心を開いた相手には………まあ、見た通りだ」
「なるほど…」

 後方で交わされているそんな会話にも気がつかず、ようやく手を離してくれた小さなマスルールの頬をつついた。ふにふにとした子供特有の柔らかさがなぜだか妙に懐かしい。マスルールは不機嫌そうに顔を歪めるけれども、諦めたのか呆れたのか、私の手を振り払うことはしなかった。思わず口元が緩む。
 この幼いマスルールがあの逞しく頼もしい青年に成長していく日々を、この目で見てみたかったなあ。やはりあの時、シンドバッドについて行くべきだったのだろうか。ぼんやりとそんなことを思う。
 そうしていれば、マスルールだけでなく、私を受け入れてくれたこの優しい国の生まれる様を見ることが出来ただろう。勿論それは、ついて行かなかった今の私だからこそそう思うのだと知っている。ついて行った私が、今の私のような価値観や感受性を持っているとは限らないのだ。マスルールのことをこうも可愛いと思えるのも、ついて行かなかった私だからこそかもしれない。
 つまるところ私は、ついて行かなかったことを間違っていたとはこの期に及んでも思わないのだけれども、それでも何とはなしに、ついて行った私がシンドバッドや幼いマスルールと旅をする様を夢想する。
 その私には、多かれ少なかれ幼少の純粋さがまだ残っているだろう。だとすれば、その私はどうするだろうか。最初はお互いに遠慮する。それから、遠慮が無くなってきたら──。
 きっと、抱き締めるだろう。

「……ね、マスルール。せっかくだから一度抱き締めてもいいかな」
「……………………もう勝手にしろ」

140619 二万打企画/匿名さん
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