ヤムライハの実験に巻き込まれる


 マスルール子供化事件から数日。
 十分に睡眠をとったヤムライハにより、彼は元通りの背丈に戻っていた。私にとっては少し名残惜しくもあるけれども、マスルールのほうは安心したという様子で、元に戻って早々片手で私の頭を鷲掴みにした。あれは痛かった、手加減しているとは言われたけれども、幼少期の比ではない。思い出すだけで痛みがぶり返しそうだ。
 ところで私は、ヤムライハに頼まれた巻物を持って彼女の部屋に向かっていた。
 数日前のことが自然と思い出される。あれはどうやら八型魔法の魔法──特に若返りの研究をしているところだったらしい。彼女には若返りなどまだまだ縁の無さそうな話題であるのにどうしてと問えば、曖昧に笑うだけであった。
 そして今、私が頼まれた巻物は八型魔法に関する論文ばかり。良くない予感がするのは、単なる考えすぎだと思いたいところである。

「ヤムライハ、持って来たよ」
「ああ、ありがとう! その辺に置いておいてくれる?」
「その辺? その辺って言われても……」

 相も変わらずに雑然とした机の上に、今し方持って来た巻物を置けるような空きは無い。どうしたものかと辺りを見れば、ちょうど私の足元に何か書き付けてあるのが目に付いた。それは言うまでもなく、落書きでは無い。

「ねえ、これって、」
「ごめんね」

 間髪入れず、視界が真っ白になった。予感は確信に変わり、同時に焦りが込み上げる。
 これはなんの魔法だ? 若返りか?
 二つ三つ若返るだけならばまだマシだが、乳飲み子にでもなろうものならどうすれば良いのだ。肩から服がずり落ちやしないか気掛かりで、視界が晴れるまでずっと両手いっぱいに抱えた巻物ごと押さえていた。
 どれくらいそうしていただろう。ヤムライハの叫びが聞こえて、いつの間にか瞑っていたらしい目を開くと、彼女は私の目の前で頭を抱えていた。

「また失敗だわ……!!」
「…………」
「どうして若返りの程度が限定できないのかしら!」
「…………ねえ、ヤムライハ」
「基本は八型魔法……あとは程度の問題だけなのに…!!」
「ちょっと、ヤムライハってば」
「どこ! どこの命令式が間違っているの!?」

 全く私の言葉が聞こえていない。前回のマスルールに関しては不慮の事故、しかし今回は間違いなく意図的に実験台にされたのだ。怒りたいところだけれども、周りが見えちゃいない彼女を見ていたらその気も失せてしまった。足元に巻物を置いて、自分の身体を確認してみる。
 怪我はない。意識、記憶共に問題無し。目線は低くなった。服は背丈に合わないのは明らか、ただし今すぐずり落ちてしまう程ではない。
 近くの棚に鏡があったので覗き込んでみると、最後に見たよりずっと幼くなった私が見つめ返している。これは幾つの私だったろう、思い出せない。意識がしっかりしているだけに、幼い私が見つめ返してくるのは随分と奇妙な感じがした。
 ……さて。
 どうしたものだろうか。ヤムライハが今すぐ元に戻してくれるのが一番良いのだけれども、彼女はああでもないこうでもないと唸っている。とはいえ私もいつまでもこの姿ではいたくないし、ひっぱたいてでも戻してもらうしか無い。出来れば他の誰かに見つかる前に、元に戻りたかった。
 ところが、世界は私に都合良くは回ってくれないのだ。何故か──そして私にとっては甚だ運が無いことに──来訪者がやってきた。

「おーい、ヤムライハ……」

 彼は部屋に入るなり私に気がついた。言葉を無くし、目を驚きに見開いている。その驚きの奥に何を思っているのだろう。私はこの人に一番見つかりたくなかったのだ、と一人落胆した。

***

 シンドバッドがヤムライハの部屋を訪れたのは、怒り心頭のジャーファルさんから匿ってもらうためだったらしい。尤も、ジャーファルさんを怒らせたのは彼のさぼり癖故であり、ヤムライハがシンドバッドを匿うことはなかっただろうと思われる。
 しかし今や誰もそんなことは気にしていなかった。なぜなら私が12の子供に若返ってしまったからである。年の頃はシンドバッドの「俺が村に置いていったお前だ」という言葉によって判明したものの、ちっとも嬉しくない。せっかくだからと周りが口を揃えるせいで、今日一日この姿でいることになってしまったのだ。何がせっかくなのだと憤然とする私を、マスルールが同情とも憐れみともつかぬ目で見ている。いや、ひょっとしたら、いい気味だと思っているのかもしれなかったが、願わくは違っていてほしい。

「エルさんがちっちゃい! 可愛い〜!」
「おいピスティ! そんなこと言って、お前より12歳のエルハームさんのほうが背ェ高いじゃねえか」
「今はそれどうでもいいでしょ!」

 ピスティはぎゅうぎゅうと抱きついてくる。シャルルカンはわしゃわしゃと頭を撫でてくる。先日自分がマスルールにしたことを思えばやめてくれなどと言えるはずもなく、仕方なしにされるがままになっていればピスティが笑った。

「エルさん不機嫌なときのマスルールみたいな顔してるー!」

 絶対にしていないぞとは思ったけれども言わなかった。なにせ私には自分の表情が見えていないし、反論したところでまた何かと笑われるのがオチだろう。

「ピスティ、シャルルカン。そのくらいにしておきなさい」
「あっジャーファルさんも抱き締めてみます?」
「みません」
「そんなきっぱり断るなんてひどい! エルさんが傷つくじゃないですかー」
「いや、私は全然」
「それにしても王様、こんな可愛い子置いてったなんて信じられない!」
「ちょっとピスティ、人の話を…」
「ああ、本当にそう思うよ。連れて行けば良かった」

 シンドバッドはなんでもないように答えて笑う。それが冗談なのか本気なのか判断しかね、私は閉口した。ジャーファルさんの考えを読めないと思ったことがしばしばあるけれども、同じくらいシンドバッドの考えも読めない。閉口したのは私だけでなく、ジャーファルさんもであった。おそらく彼と私は似たような顔でシンドバッドを見ていただろう。

「……私は……ついて行けば良かったとは、思ってないよ」

 どうして。
 問うたのはピスティだった。純粋に不思議そうな響きに、はてどうしてかと改めて思い出してみる。

「あの頃の私は、きっと足手纏いにしかならなかった。私は、ついて行かなかったことを正しかったと今でも思う」
「……それを、その姿で言われると不思議な感じだな。あの日に戻ったみたいだ」
「気のせいだよ」
「ああ、気のせいだろうな」

 笑っているのに泣きそうにも見えるシンドバッドが私を抱き締めた。そういえば、こうして予期せぬ若返りを果たした私を見て、彼は、懐かしいと言いこそすれど頭を撫でることさえしなかった。遠い過去の姿そのままの私に、複雑な思いをしていたのかもしれない。
 不意に、少し掠れた小さな小さな呟きが耳に届いた。「連れて行きたかった」。その言葉に、まるであの日のようだと思う。勿論そんなものは気のせいである。しかし、たとえ気のせいであっても、あの日と変わらず今でもそう思ってくれているというそれだけで、私の胸にはあの頃のぬくもりが蘇るのだ。

140625 二万打企画/ゆずこさん
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