ラベンダー畑でつかまえて
鐘が鳴る。四時半を知らせる鐘だ。俺は落ちそうになる腕章を付け直し、また走り出す。廊下を歩く連中が訝しげな目で俺を見たが、腕章を見ただけで表情は変わる。
風紀委員と書かれた腕章を着けるだけで廊下を走る罪を見逃して貰えるのだから、世の中は大抵甘い。そして自分が頑張りさえすれば、なんとなく思った通りにいくのだ。
ただし、それはあの人を除いての話。
「どこ行ったあの女」
目に入りそうになる長い前髪を避けながら、俺は彼女の姿に目をこらす。こらせどこらせど見つかる事は無い。今入った教室もはずれだった。
教室に居た華凜がこっちを見てきたが、すぐ興味がないと言うように逸らされる。だがしかしそれにめげては居られないので、生徒をかき分けて中に入った。
「ねぇ華凜」
「知らないわ」
質問する前に返された。最早とっくに生徒に知れ渡った話だったらしい。大したあてにして無かったとはいえ、即答されると身に応える。
華凜の前に座っていた赤マフラーに目を付けた。
どうやら二人で勉強していたらしく、シャーペンをくるくる回す彼と目を合わせる。
「りょうへい君、どうしたんですか」
「うん、俺はりゅうへいだからね」
「ボンバル風情が細かい事気にするのね」
「ボンバルって言うな!」
もういい加減この茶番劇も禁止するべきだろう。ボンバルが浸透し過ぎて、俺本当に改名させられちゃうんじゃ無かろうか。
肩が動くほどの大きなため息を吐いて、俺は気持ちを切り替える。
「レオン、あのさ」
「知りません」
なんだよお前等仲良しか。なに二人揃って同じ様に返してくるんだよ。ジト目で彼を見ていると、彼はふわふわな白い髪をいじりながら目を逸らす。
あれ、と首を傾げた。
がしりと彼の肩をつかみこちらを向かせる。体はこっちを向いたが、目はどこかを泳いでいた。
「知ってるんでしょ」
「……知りません」
「俺の目見て」
「……言っちゃだめって言われてますもん」
口止めされているらしい。そんな彼の頬をむにむにと両手で包めば、ぐぇとレオンから変な声が漏れた。
言ったら真琴さんから良いものあるよと適当な事を言う。バレたら怒られるだろうけど、それは俺の知ったことじゃない。
「良いことって何ですか?」
「真琴さんのマックおごり」
にやりと笑いながらそう言えば、レオンはキラキラと目を輝かせて口を開いた。
ガチャリとそこへと向かう扉を開ける。せっかく鍵を付けても内側から開けられるんじゃ、鍵の意味がない。
どうせ外から入ってくる不法侵入者の対策なんだろうけど、そんなもの来るわけがない。
鍵が閉まってなかったと言うことは、レオンが言っていたことは正しかったのだろう。肌に感じた外の空気に、思わず息を吐き出した。
「さて」
後ろ手で扉を閉めながら、そこを見回す。綺麗とは言い難い屋上。フェンスは一応あるが、ここは立ち入り禁止である。
まぁ、入ること事態は簡単に出来るのだけれど。
扉付近から見える所に奴の姿は見えない。なら反対側かと足を進める。上靴のゴムが砂利を踏んで聞き慣れない音がした。
扉がある反対側の壁。プレハブ程度の大きさをした建物の障害物を回ってすぐ。
壁に寄りかかる奴がいた。長い茶髪の髪。短いスカート。淡い紫に塗られた爪。寝ているのか目は閉じられている。
髪の隙間から見える耳にはイヤホンが装着されていた。
「おいお前」
微かな音漏れをしているそれを両手で引っこ抜く。よっぽど驚いたのか彼女が両目をまん丸になるまで見開いた。
「……なんだ、神原か」
「なんだじゃない」
引き抜いたイヤホンにつながったミュージックプレイヤーの電源を切り、自身のポケットにしまう。彼女は眉根を寄せたが、没収と腕章を見せつけて言えばため息で返事した。
「トルシェさん、ここはどこかわかりますか?」
「遂に呆けが始まったのか?」
言い終わる前にトルシェさんの両頬を片手でつかむ。寄せられた頬に彼女の唇がアヒルのようになるが、まあアヒル口って流行ってるらしいからいいだろう。
ぐりぐりと力を入れてやれば、トルシェさんは観念したように屋上と呟いた。
「屋上はどんなとこ?」
「広くてかいてき……」
頬の肉越しに歯の感覚をなぞる。「むげむげ」と変な声が漏れたが、気にしないで正しい回答を待つ。
「立ち入り禁止区域、でし」
「よくできました」
自分でもわかるほど作った営業スマイルと共に手の力を抜く。
いつもなら女子にこんな事すれば真琴のあんちきしょうが黙ってないが、ここは屋上。誰かに見られるはずがない。
「何しに来たんだ」
「あんたを探したんです」
ご苦労なこって。鼻で笑いながら彼女はそう言った。
「まずスカート丈直して」
「断る」
「ミュージックプレイヤー返しませんよ」
「それはアイポッドだ」
「馬鹿」とまで呼ばれて、俺っていったい何なんだろう。へらへらしてれば何とかなると思っていた自分が懐かしい。
思えばこの人が自分の思い通りに動いてくれた覚えが無い。悔しいと思う次元も通り越した。
むにりとまた頬を摘む。これは気付けば癖になっていたが、これ以上じゃ暴力だしこれ以下じゃ効き目がない。更に引っ張ってやろうと力を込めた。
どこか遠くで鐘が鳴る。屋上にスピーカーが無いからかと思うと同時に、それが意味する重大な事態に気付く。
放課後二度目の鐘は五時半の鐘。
まさかトルシェさんを探し説教するまでに一時間経つとは誰が思うか。そして五時半から委員会だと、俺は決して忘れていたわけではない。
「委員会……」
「サボれサボれ」
俺が肩を落とした事に愉快そうに笑って、トルシェさんは俺の手から逃げた。
トルシェさんに色々な件で反省文を書かせるのは俺の仕事。委員会に参加するのは風紀委員の仕事。
俺にどうしろと。
「私を見逃せばいいだろ」
「今日こそ書かせる」
その気はないなぁ。面倒なのかいつもの様にするりと逃げようとする。
今日こそ書かせなきゃ、真琴さんもうるさい。あれ、委員会サボっても怒られるよな。
「最悪だ」
「ここに居れば見つからないぞ」
そういう事じゃない。
いずれ彼女とは顔を合わせることになるし、せめてトルシェさんの反省文で埋め合わせ出来れば。いやでも委員会に参加しないとあの人本当めんどくさい。
「ここに居れば良いじゃないか」
「だから……」
「私と一緒は嫌か?」
しゅんと眉尻を下げた女性に、首を振らない男が居るだろうか。いや、居るまい。気付けば首を全力で振っていて、それにまた笑われる。
いつも思うが、悪知恵を働かせた後のその笑い方は狡い。怒るに怒りきれないじゃないか。
「神原いつか悪徳業者に騙されるぞ」
「それいろんな人に言われます」
またため息を吐いて、観念したと言うように彼女の隣に座る。壁を背もたれにして空を仰いだ。随分透き通って、秋の色だ。
雲も空の端に寄せられて、こんな綺麗な物を見れるならこのままでも良いと思ったり。現実はそんなうまくいかないんだけど、まだもう少しだけ。
「お疲れ様、神原」
「あざっす」
お礼を言っておいてなんだが、そう言うならそろそろ正直に反省文が欲しい所である。
同情するなら金をくれ。だ。
やっと座れた事と、疲労感からか目を閉じる。少し眠い。わしゃりと頭の上を何かが動いた。
それが手だと言うことに気付いたが、起きたときに覚えているかはわからない。
「トルシェさんのばーか」
寝ぼけながら呟いた言葉は、あなたに届いただろうか。
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