4日目

 真新しいティーカップを手慣れた動作で持ち、いつものように紅茶を入れながら。俺は小さく溜息をついた。俺の心にある小さな、言葉で表すには難しい何か。
 その存在は行き場の無い焦りを生じさせて、解決策なんてこれっぽっちも生みやしない。
 向こうの世界にいる奴らは何をしてるだろう。

 仕事が滞っていやしないだろうか。たしかあの仕事は途中だった気が。例の話も途中のままだ。次の世界会議はいつだっただろうか。
 考えても無駄だとわかっていながら、心配せずにはいられない。焦りが募る。同じ言葉が頭でぐるぐる回り始める。

 真琴なら。この世界の住人で、なおかつ菊の国に住む人間である彼女なら、もしかしたらわかるかもしれない。この胸の中に居る邪魔者を追い払うような事を。
 なんて、浅い希望を持ちながら真琴に話しかけようと近寄った。

「なぁ真琴「ちょっと待て神原こら! 嫌だ! あたしは引きこもるからね!」

 要件を伝える間もなく、俺の言葉は全て真琴の怒鳴り声でかき消される。お、驚いた。神原? どこかに来ているのか?
 辺りを見てもそれらしき影は無い。続けて真琴が怒鳴った内容に首をかしげた。彼女の言葉には独特な言い回しがあってわかりにくい時がある。
 引きこもるって何だ。不思議に思い真琴がなにをしているのかよく見てみれば、どうやら電話で話しているようだ。
 神原は多分電話の向こうにいたのだろう。仕事の関係なのは間違いない。

 真琴が怒鳴るのを止めて小さな声で話をしているため、ここからではなにを話しているか聞こえなかった。
 二人分のティーカップを持ちながら、声が聞こえる距離までゆっくりと真琴に近づいた。

「やだやだやだ! 絶対やだ!」
『わがまま言わないで下さいよ! 仕事です!』
「やだ!代わりに出て!」

 スピーカーから聞き取れるようになった声を聞いて、電話の相手はやはり神原らしいと確信する。

 真琴は半分泣きそうな顔で電話に向かい話している。どういう状況なのかさっぱりわからない。
 俺が首をかしげている間に通話は終わったようで、携帯電話を閉じた真琴に、声を掛けた。

「何話してたんだ?」
「仕事の話なんだけど……アーサー、あたし今から出かけることにして!」

 深刻そうな表情をして話を進める彼女にどういうことか詳しいことを聞き返す暇もなかった。真琴は駆け込むように寝室に入り、ガチャリと鍵を閉める。そのあとすぐ、ベッドに乱暴に入った音がした。ドスン、と重たい音が部屋に響いた。
 音がしたその数秒後、ピンポーンとチャイムが鳴る。返事をする前にお邪魔しますと神原の声が聞こえた。

 つまり神原から逃げたいということか。

 神原も忙しなく走りながら、真琴さん! と泣きながら入ってきた。こっちも泣いているのか。
 どっちが悪いのか何が原因なのかもよくわからないが、とにかく慌ただしい。

 神原には真琴の居場所がわかる様で、迷いなく真っ直ぐ寝室の前までずんずんと進んだ。鍵がかかっているのを確認して扉を叩く。
 中で真琴が「もう来た!」と叫んでいるのが聞こえた。

 おそらく仕事をしなければいけないらしいことはよくわかった。話の端から推測するに、先日パソコンの前でしていた仕事とはまた別の種類なのだろう。
 神原はドアを叩きながら、真琴に声を掛け続けている。それに応じないということは、よっぽど嫌な仕事なのだろう。

「真琴さん! 迎えに来ましたよ! 居るのはわかってるんだゴルァ!」
「ざけんなボケェ! あたしは行かないよ! 馬鹿! お前馬鹿!」
「馬鹿じゃねーよ馬鹿! 前から行くって言ってたでしょうがハゲ!」
「ハゲてねーよハゲ!賃貸の扉ばんばん叩くんじゃねーよ!」
「だったら叩かせるよーなことしてんじゃねーよおぉぉぉ!!」

 この光景は何だ。まるでマカロニ兄弟の兄貴が二人で言い争っているような感じだ。まさにチンピラって奴か。

 言い争いはヒートアップしていき、もうお互い何を言ってるのかすらわからない。ぽつんと一人残された俺は手に持っていたミルクティーを飲み干した。少し温くなってしまっていた。

 結局、何分待っても真琴が出てこようとする気配がなかった。何時までも粘りつづけると豪語する神原を不憫に思い、俺が真琴に交渉をすることになった。
 数分の交渉の末、やっと出てきた真琴に「良い子だ」とアルにするように頭を撫でる。
 幾分落ち着いた真琴から改めて話を聞けば、どうやら小説の発売で挨拶とサイン会というものがあるらしい。映画の公開挨拶と同じようなもんだろうか。

 服を着替えているうちにまた「やっぱり行きたくない」とだだをこね始めた彼女を、神原が無理矢理連れて行く形で真琴は出かけていった。
 つまりこれから始まるのは、この家初めての留守番。

「……暇だな」

 自由にしてて良いとは真琴に言われたが、やることが全くない。紅茶ばかり淹れているわけにもいかないだろうし。
 刺繍をしようにも道具がない。話し相手になるような妖精たちすらいない。本でも読めたら良かったのに、それもできない。
 日本には座敷童とかがいると聞いたんだけどな……真琴の家にはいないのか。

 部屋を見回して、数分考えて、それなら掃除でもしようかと座っていたソファから立ち上がる。別に俺がいろいろされっぱなしでいい気分じゃないからやるんだからな!
 真琴の為とかじゃねえよ!あいつが忙しいならやってやるのが紳士の仕事だろ!

 掃除機を探し出してコンセントを差す。やり方はいつも見てるから大丈夫なはずだ。

「掃除ってこんなに大変だったか……?」

 ふぅ、と額に滲む汗を拭う。慣れていないというのもあるからか、掃除機をかけるというのは結構な重労働だった。
 真琴はいつも片手で機体を持ちながら掃除機をかけていたから、真似してみたがそれがまた結構重い。
 どうにかならないのかとじっと見てみれば、機体の下にローラーがついているのを発見して、置いたまま掃除機が使えることを理解した。
 なんであいつ、わざわざ手に持って掃除機かけてるんだ。

 だけれどそれもすぐわかった。
 掃除機のローラーが壊れているのか元からなのか、引っ張るときに結構大きい音が出る。真琴はこの音が嫌いだったんだろう。

 掃除機を片付け、綺麗になった部屋を満足しながら眺めていると、家専用の電話が軽快なメロディを流す。
 出るか出ないか迷い、仕事の大切な電話だと困るかもしれないと意を決して受話器を取る。

「もしも「やぁ真琴ちゃん元気?」

 どうやら相手は真琴の知り合いだったらしい。聞くに堪えない猫なで声で出される男の声は好かなかったが、真琴の知り合いならと用件を聞こうと口を開く。
 が、その前に男がいきなり先に話し出した。

「今日の真琴ちゃんのイベント行くからね。 楽しみだなぁ、真琴ちゃん人前に出るの嫌いって言ってたから来てくれるかどうか心配してたんだぁ。
 そうそう、昨日は夜遅くまで部屋の電気が付いてたけどお仕事頑張ってたのかな?
 そんないい子ちゃんにご褒美として君の大好きなプリンを玄関前に置いたから美味しく食べてね。また今夜も電話するか「おい」

 喋るにつれ息が荒くなっていく男の声に、電話の相手がどんな奴かわからなくなる。彼氏などではないように思える。もちろん仕事、でもなさそうだ。

 とにかく鳥肌が立つほど気持ち悪いことをつらつらと言った男に腹が立つ。真琴が知っているのかどうかはどうでもいい。俺がこいつを気に入らないだけだった。

 気持ち悪い。イライラする。変な気持ちが体の中で渦巻き始める。こんな奴と真琴が知り合いだと思うと、更に不快な気持ちが膨れていく。

「番号間違えてるぞ」

 嘘だ。今この男は真琴の名前を呼んでいた。でも電話を取ったのは俺だから、あながち嘘という訳ではない。
 真琴にばれて怒られたらちゃんと謝ろう。次は無い。次はしないから。

 まあ、次にいう言葉は既に決まっているのだが。

「だ、誰だおま「間違ってるって言ってるだろ!もう二度と掛けてくるなこの×××!」

 凄みのある声で少し下品なことを言うと、「ひぃ」と小さな悲鳴と共に男は電話を切った。通話が切れた後の電子音を聞いて、少しの満足感を得ながら受話器を元の位置に戻す。

 ああ、電話になんか出るんじゃなかった。

 今更しても遅い後悔をしてから、気を取り直して次はなにをしようかあたりを見回す。そういえば、真琴には毎日料理を任せっぱなしにしてしまっていた。


 真琴が帰ってきたのは、外が暗くなり始めてから。ただいまがやけに疲れた声で聞こえた玄関に彼女を出迎えに行く。

「おかえり」
「ただいまアーサー。もう疲れたよ……とても眠い」
「お疲れ様」
「あれ、部屋綺麗だね」

 部屋に入ってすぐ、彼女は部屋が綺麗になっていることに気付いた。きょろきょろとあたりを見回して、ニコニコと笑いながら「ありがとう」と笑った。流石にすぐ気付くとは思っても居なかったから、あ、ああとどもりながら答える。
 疲れた顔から上機嫌に戻り笑っている真琴に、喜んでもらえてよかったと胸を撫で下ろす。

 その次の瞬間、真琴の表情がピシリと止まった。彼女の視線の先には俺の作った自信作の夕食。なにを作ったかって、まぁそれは別にいいだろう。料理だ、料理。

 真琴はぎぎぎ、と効果音が付きそうなぐらい固い動きで俺を見た。その顔は心なしか青ざめている気がしないでもない。

「アーサーさん、なんですか? これは」
「夕食も作っておいたんだ。く、食ってくれるよな?」

 ぽつりと彼女がなにか呟いた気がしたが聞き取れずに、耳を寄せて聞き返す。
 ぶんぶんと首を振って「なんでもない!」だって、なんだよ。

「いやぁ! あ、ありがとうアーサー!」

 ともかく疲れた真琴をもてなすことが出来たなら良かった。その後、俺は電話のことはすっかり忘れていて、なにも言うことなく、夕食を勧めた。

「味付けが好みじゃなかったらスパイス使ってくれよな」
「そういう問題じゃない……」

 偶には料理を振る舞うのも悪くないな。


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